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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

リンネはなぜ、植物の分類基準として「雄しべ」を選んだのか? 

Posted on 15:30:38

 
 近代分類学の基礎を築いた、18世紀スウェーデンの博物学者、カール・フォン・リンネは、植物分類の大枠の「綱」を区分する際に、「雄しべ」の数と特徴を基準として、24の綱を設定しました。
 見方によっては奇妙なこの「雄しべ」に基づく綱区分は、リンネ以降の植物学者によって批判され、今日まで引き継がれていません。
 では、リンネはなぜ、分類の最も重要な基準として、「雄しべ」という形質を選んだのでしょうか。
 今回は、この問題に、18世紀の発生学におけるある学説の影響を確認してみようと思います。

 
 まず、リンネの分類学上の主な業績を確認しておきましょう。
 リンネは、「近代分類学の父」と称されます。その理由は、現代まで至る分類の方法論を彼が確立したからです。分類における階層概念は、リンネによって整備されたものが、その後多少改良されて、今日でも用いられています。また、生物の正式名称の「学名」も、リンネが行った命名法が、引き継がれています。
 動物・植物の多様な種の中には、類似した形態の種があります。似たタイプの種は、「属」というグループにまとめられます。たとえば、ハイマツやアカマツは、マツ属に所属します。属をいくつか束ねると、「目」が形成されます。さらに大きな分類群として、「綱」があります。その上には、動物界・植物界の「界」が控えています。
 これらはすべて、階層分類のための概念です。こうした階層の視点を、分類に自覚的に導入して体系を構築したのがリンネでした。[界―綱―目―属―種]という階層分類概念がリンネによって整備され、その後の分類の基本的な枠組となりました。今日では、主な分類階級として「門」や「科」という階層がさらに採用されています。
 またリンネは、動物や植物の種の正式名称の定め方を提案しました。それが、「二名式命名法」です。[属名―種名]の形で、ラテン語で短く簡潔に定義します。たとえば、サンシキスミレは Viola tricolor となります。この方法は、人物名を姓と名で定めるのと似ていて、とても馴染みやすく便利でした。そのためこの名称は、種を識別するのに有用な記号となったのです。
 この命名法が、今日の生物学における「学名」に用いられています。ひとつの種には唯一の正式学名が対応するように、国際的な取り決めがなされています。植物の種名については、リンネの『植物種誌』初版(1753年)、動物名については『自然の体系』第10版(1758年)に掲載された学名を基準としします。それ以前の名は無視されます。これら以降については、最初につけた学名が有効となります。同一の種に異なる名がつけられたり、異なる種に同一名が与えられたりした場合、等々についての取り決めもなされています。
 つまりリンネは、今日まで引き継がれている階層分類概念と命名法を確立し、分類学の方法論を定めたのです。その意味で、リンネは「近代分類学の父」でありました。
 リンネの父は、プロテスタント教会の牧師でした。リンネも若年期は、聖職者になるべく教育されました。そうした境遇もあり、リンネは18世紀中葉においても揺らぐことのないキリスト教への信仰を保持していたようです。
 リンネは、天地創造以来、種が不変であることを前提に分類を行いました。「神のなされた御業を観察」した結果、創造以来「もはや新しい種が生ずることはない」とリンネは『自然の体系』初版(1735年)の冒頭で述べています。
(大場達之訳、千葉県立中央博物館編『リンネと博物学』文一総合出版、2008年、所収、p.7より)
 彼が分類を通して目指したことは、神が創造時に意図した生物界の秩序を探り、それを再現することでした。
 したがって、彼の功績の背後には、神が天地創造時に定めた生物界の位階的秩序、という視点があったのです。近代分類学は、「神の創造した秩序」という観念のもとで成立したのでした。
 
 さて、リンネの分類方法は継承されたのですが、その分類の具体的な内容については、継承されたわけではありません。とりわけ、リンネが心血を注いで構築した植物の分類体系は、その大枠である「綱」の区分方法が「人為的」であると後の研究者たちにみなされ、否定されてしまいました。それが、リンネの採用した「雄しべ」に基づく植物界の綱区分です。
 
リンネ以前、17世紀~18世紀前半にかけての植物分類では、果実や種子の性質に重点を置いた分類や、花弁の数や花冠の形を基準とする分類などがなされていました。リンネの採用した基準は、伝統からは外れています。
 
 リンネは植物界を大きく24の綱に区分しています。その基準は、雄しべの数と特徴です。そして、雄しべによって分類された各綱は、次いで雌しべの特徴によって、目に区分されます。彼は、分類基準として、雄しべ、雌しべの順に、最も重要な器官とみなしたのでした。
 ではなぜ、リンネは「雄しべ」を最も重要な形質とみなしたのでしょうか。
 まず、リンネは、植物における「性」の存在を認め、生殖においての雄しべと雌しべの役割が、植物の生活の基礎となっている、と考えていました。リンネは、体系的な分類を行うための基準となる「植物の本質」が結実器官のうちの花にあり、さらに「花の本質は葯と柱頭にある」ため、それらを用いて分類した、と語っています。
(遠藤泰彦訳、同上書、p.23)
 しかし、それだけではありません。彼は、雄しべの先の葯の中に詰まっている花粉の一粒一粒には、その植物の胚が封じ込まれている、という前成説的観念を持っていたのです。(木村陽二郎『ナチュラリストの系譜』中央公論社、1983年、p.89-92)
 
ここで少々、「前成説」の説明が必要でしょう。
 17世紀後半から18世紀中葉まで、動物の個体発生をめぐって、前成説と後成説の論争が断続的になされていました。ヒヨコは、卵の中でどのように成長を遂げているのでしょうか。あるいは、人間の胎児は、母親のお腹の中で、どのようにして心臓や内臓や手足を形成していくのでしょうか。
 こうしたテーマをめぐって、17世紀後半においては、顕微鏡が実用化されたため、顕微鏡の観察事実に基づいた考察がなされるようになっていました。
 「前成説」とは、成体のミニチュアが発生の初期にすでにできあがっていて、発生はそれが展開・拡大されてくる過程であるとする説です。もう一方の「後成説」は、個体の器官は発生の過程で徐々に形成され、単純な胚が複雑に分化していく、という説です。前成説の考えに従えば、発生過程において新たなものは出現しません。すでに存在していた構造が拡大するだけです。後成説では、新たな構造が次々と生成してくることになります。
 18世紀の前半には、前成説のほうが優勢でした。そして、前成説は「先在説」(入れ子説)という、キリスト教の創造論と結びついた形態に変貌(成長?)していました。生物はすべて神による天地創造の時点で創られており、それらが入れ子式に、ロシア人形のように次々にはめ込まれているという説です。最初に生を受けた雌たちは、その後に誕生する同じ種のすべての個体を宿して創造された、と考えられました(卵子論者の場合。精子論者も存在していた)。
 前成説は、この世界が神によって設計されているという自然神学的世界認識や、生き物を受動的な機械と見做す生命観と調和的な学説でした。先在説は、哲学者のマルブランシュやライプニッツにも支持されていました。
(クララ・ピント-コレイア、佐藤恵子訳『イヴの卵』白揚社、2003年、第1章を参照)
 

 当時普及していた、このような前成説の影響を、リンネは受けていたと思われます。
 自然界を「神の設計による秩序」と見る自然観を、リンネも共有していました。それゆえ、リンネが植物の生殖に対しても前成説的な考え方を採用したのは、なんら不思議ではありません。すでに、植物の成体のミニチュアが出来上がっているはずの花粉にこそ、神の意図が宿っている、とリンネは考えていたことでしょう。
 その花粉を形成するのが雄しべであるから、雄しべが分類の際の最も重要な形質とリンネが判断したのもうなずけます。
 つまり、リンネは、雄しべの先にこそ神の創造的秩序は宿っている、と考え、雄しべを最優先にした分類体系を構築したのでした。
 
 ところが、リンネのこの綱区分に従うと、人々の直観的なグループ分けと、しばしば齟齬をきたしてしまいます。たとえば、ヤマツツジは5本の雄しべを持ち、リュウキュウツツジは10本の雄しべを持ちます。リンネの体系に従えば、全く異なる綱に所属することになるこのふたつの植物は、雄しべの数以外はほとんど似ています。人間の類似に対する直観的パターン認知に従えば、この両者は同じ属に入れるのが自然でしょう。こうした事例が続出したのでした。
 それゆえ、彼のこの植物分類法に対しては、自然界のあり方とかけ離れた人工的な方法だといった批判がとりわけフランスで相次ぎ、分類のあり方が反省され、改良されていきました。リンネの分類は「人為分類」と評されました。そして、目指すべきは「自然分類」である、という方向性が見えてきました。より自然界の秩序に即した分類が望まれるようになっていったのです。

 近代分類学の枠組を決定づけたリンネの分類の方法論は、今日まで引き継がれていますが、彼の植物分類における、綱の区分方法は、継承されることなく18世紀に消滅してしまいました。
 彼が採用した「雄しべ」を基準とする綱区分の方法は、その時代の自然観を如実に反映するものでした。学説に対する自然観の影響の実例として、実に興味深いものであります。
 

<リンネの植物分類の後始末―ジュシューの自然分類―>に続く

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