08 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. » 10

作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

「天体の音楽」と『荘子』の「天籟」 

Posted on 11:57:57

 
 前回の記事<音楽を分類すること>では、ボエティウスやキルヒャーによる音楽の分類を紹介し、音楽を分類することが、世界の調和を提示することに繋がっている、という趣旨の話をしました。
 森羅万象には、人間の奏でる音楽から類推される調和的秩序が貫かれている――
 こうした思想が、西洋の音楽史の底流にはあったのです。
 では、類似の観念は、東洋思想にはあるのでしょうか。

 
 私がすぐに思いつくのは、何度となく読み返した中国の古典、『荘子』の斉物論篇に記述されている「天籟(てんらい)」の話です。
 前回紹介したように、6世紀のローマの学者、ボエティウスは、音楽を、「被造物の音楽」「人間の音楽」「天体の音楽」の3種に分類しました(被造物の音楽は器楽の音楽と訳されることもあります)。すべての存在物には、「音楽=調和」が内在している、という確信が、ここにはみられます。
 
 では、『荘子』の場合はどうでしょうか。
 斉物論篇の冒頭で、南郭子葵という師が、忘我の境地から還り、弟子に語る場面で、「天籟」の話は出てきます。
 要点をまとめておきます。
 
人籟…[例]人の吹く笛
地籟…[例]風によって大地の穴が奏でる音。調和する
(原語は、小和、大和)
天籟…人籟、地籟を発動させる世界の構造やエネルギー(森による意訳です)
 
 「天籟」が説明されている個所の日本語訳を引用しておきます。
 
「それはほかでもない。さまざまな異なったものを吹いて、それぞれに特有の音を自己のうちから起こさせるもの、それが天籟である」
(小川環樹編『老子 荘子 世界の名著4』中央公論社、p.169)
 
 『荘子』の「天籟」の場合も、ボエティウスと同様、世界の調和的秩序に対する確信が見られます。「天籟」という、世界に張り巡らされた見えない原理または活力が、万物を貫通している、吹き抜けている、というイメージを、私は持ちました。
 けれども、『荘子』の場合、強調点はそこにはないようです。
 この冒頭の節で南郭子葵が弟子に示したかったことは、次のふたつでしょう。
 
(1) 忘我の境地において「天籟」が感じられること。
 
(2) 万物を同一の原理が貫通していること。

 
 ボエティウスの場合は、音楽を対象世界の現象として捉え、暗黙のうちに自分とは切り離して調和的世界を理解していたようです。それに対し、『荘子』では、自我を忘れた状態で世界と共振して了解される世界を描いています。
 世界に没入し、陶酔した状態―坐忘の境地―で自ずと感じられる世界、それが「天籟」なのでしょう。
 そして、この話が斉物論篇の冒頭に出てくることも見逃せません。斉物論篇では、万物斉同論が展開されます。その章のイントロダクションなのです。
 万物斉同論とは、すべてのもの・出来事・考え方に区別・優劣はなく、すべては等価である、という荘子の根本思想です。この章の構成の意図を推察すると、「天籟」で忘我の境地における世界の調和的秩序との共振を提示した上で、その世界の様相を語っていく、ということだと思われます。
 したがって、万物斉同論を了解するための準備として、「天籟」の話は位置づけられます。「天籟」を実感した後に、『荘子』の世界が開かれてくるのです。
 
 まとめます。
 ボエティウスの「天体の音楽」と同様、『荘子』の「天籟」も、世界の調和的秩序がこめられた概念ですが、それは、忘我の境地において実感できるものでした。そして、「天籟」が了解されると、『荘子』の思想が自ずと理解されてくる仕組になっているのでした。
 「天籟」は、『荘子』の世界観の縮図、といえるでしょう。
 
関連記事
スポンサーサイト

テーマ - 文明・文化&思想

ジャンル - 学問・文化・芸術

△page top

△page top

Secret

△page top

トラックバックURL
→http://wood248.blog.fc2.com/tb.php/83-4485e42b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

△page top

カテゴリ

全記事一覧リスト

最新記事

月別アーカイブ

コメントをどうぞ

最新コメント

最新トラックバック