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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

価値観の複層化―近代合理主義の価値観は方便― 

Posted on 10:37:06

 
 前回、前々回の続きです。
 前々回の記事では、大乗仏教思想の世界観には、「精神の自発的統御」の可能性が秘められている、という趣旨の話をしました。
 前回の記事では、今後の時代精神や価値観に、大乗仏教思想は深く関与していくであろう、と私が考える理由を述べてみました。
 今回は、大乗仏教的価値観を、すでに浸透している西欧近代合理主義的価値観と、どう折り合いをつけたらよいのか、という論点への私見を語ることにします。

 
 
 現代の社会に生きている限り、近代合理主義的価値観を捨て去るのは不可能でしょう。
 個人的能力をアピールしたり、他者と競争したりしなければ、仕事に就くことは困難ですし、技術的産物(携帯電話、PC、車など)をやみくもに拒絶していては、文明社会内での生活に無理が生じ、かえって周囲に迷惑をかけかねません。
 しかし、捨てられない近代の価値観を、「制御」していくべきでしょう。
 その制御の構図を短い言葉で表現すると、
 
 ―精神の複層化―、―価値観の複層化―
 
 となります。
 これが、このテーマに対する私の提案です。
 
 日本人が精神の古層に眠らせている大乗仏教的精神を賦活化し、衝突しかねない二つの価値観が重層的に共存するようにする。より深い東洋的精神が、近代合理主義の価値観を包み込むようにしていく。
 このようなイメージを持つようになりました。
 大乗仏教的精神の中核をなす、「菩薩」の思想や「縁起」や「一切衆生悉有仏性」の理念から導かれる、利他的精神や関係を重視する姿勢や共生の世界観を、生き方の軸に据えます。そして、その上に、“方便”としての近代合理主義的生き方を載せておくのです。
 近代的生き方を、「仮のもの」、場合によっては「必要悪」と捉えて、生活していく、ということです。
 競争や自己主張は、最小限に止めておく。物質文明に過度に依存しない。体と心と周囲の世界の声を聴きながら、調和の取れた生き方を心がける。
 以前の記事で述べたように、近現代の根本的問題の本質を、「自分と他者や周りの世界との関係に対するバランス感覚」の不全、と私は捉えています。そして、その処方箋として、大乗仏教思想が最もふさわしい、と感じるようになりました。それゆえ、自ずと、自分の生き方もその方向性にシフトしていきました。
(私事で恐縮ですが、高校入試、大学入試、大学院入試と、すべて1校しか受験しないで来ました。今振り返ってみると、競争を最小限に止めたかったのだと思います。とりあえず、どこかに入れればよかったのです。あるいは、受験する姿勢を示せればよかったのかもしれません。生徒・学生としての枠組や、学歴社会の価値観から逸脱していないことを示すために。また、自家用車とスマートフォンは所有していません。私の場合はなくても生活できます。おそらく、「そこまでしてまで」物質文明を享受したくはないのでしょう。携帯電話とPCは、持っていないと他の人や仕事に却って迷惑がかかるため、必要悪と了解した上で所有しています)
 むしろ、事柄の順逆をより正確に記述するならば、過去の自分の生き方のシフトを振り返ってみて、その理由を明示的に言語化できるようになってから、大乗仏教思想の構図の深遠さを了解するようになり、それが今日の時代の根源的問題に対処しうる潜在力があることを認知するに到った、というのが私の個人史的展開でした。
 
 さて、両者の価値観の構造上、西洋近代の積極的・攻撃的姿勢に対して、東洋的精神の受動的・協調的姿勢は、対決した場合には必然的に負けるでしょう。対決姿勢をとった場合、相手の土俵で相撲を取ることになり、本来の東洋的な良さが相当失われてしまうからです。
 それゆえ、価値観において対決姿勢をとることは有効ではありません。
 対決姿勢ではなく、包容の姿勢で臨むこと。
 相手や自分の表層にある価値観を否定・非難せず、受容し、共存していくこと。
 しかし、表層的価値観に染まらずに、「仮のもの」、“方便”と認知して、バランスを崩さないこと。

 こうした方向性を言葉にすると、
 
 ―精神の複層化―、―価値観の複層化―
 
 につながる、というわけです。
 
 大乗仏教思想から導かれる、上記のような生き方の指針は、『老子』の処世訓、「争わず」「足るを知る」「止まるを知る」と重なります。思想の源泉が似ているのでしょう。
 人間として「成熟」するというのは、こういうことだと思います。
 
 現在進行中かもしれない時代精神の地殻変動のあり方は、こうした意味内容と方向性が中心となっている・なっていくのではないか、と考えます。
 この時代精神の変容がうまく社会に反映されていくと、教育や医療や法律などのシステムが徐々に変わっていくでしょう。ただし、これらは慣性の強い社会制度ですから、数十年単位、あるいは百年単位の社会変動になるかもしれません。
 個々の人々が精神的に大人に成長することと呼応して、人類の文明史的な成熟の時代が到来することを望んでいます。
 
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ジャンル - 学問・文化・芸術

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