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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

大乗仏教の、汎神論的世界観が孕む意味 

Posted on 16:53:34

 
 2011年3月に、東日本大震災と福島原発事故を経験した日本は、それ以降、文明史的な転換期に入ったと私は見ています。
 数十年、あるいは百年単位での、時代精神や価値観の地殻変動が起こり始めている、と感じています。
 そして、今後のあるべき時代精神や価値観と、大乗仏教思想は深く関与していくであろう、と私は予感しています。(この理由―なぜ大乗仏教なのか―については、次回、論じます)
 今回は、大乗仏教の、汎神論的世界観が孕む意味を、私なりに考察します。

 
 
 福島原発事故は、西欧近代の科学技術に対する信頼や、進歩への楽観的期待が神話に過ぎないことを示してくれました。
 近代合理主義の限界を顕わにした惨事、と言ってもよいでしょう。
(この論点については、こちらをご参照下さい)
 17世紀の科学革命期以来の科学思想には、「自然の管理・支配」という指向性が常につき纏ってきました。(この方向性は、植民地支配とも密接な関連があります)
 それに対し、東洋の大乗仏教が歴史を通じて目指してきたのは、「心・精神を制御する」ということでした。
 制御の対象のベクトルが正反対なのです。
 おそらく、両者は相補的で、物質的にも、精神的にも、豊かで深みのある文化的生活を送るには、どちらも必要な方向性なのかもしれません。
 ところが、内向きの方向性の探究は、近代化の過程では軽視されてきたきらいがあります。
 私が大乗仏教でとくに着目しているのは、「菩薩」の思想と、「一切衆生悉有仏性」の概念です。
 自らの悟りを後回しにして、ほかの人々を救おうとする菩薩は、「利他的精神」の見本です。また、誰にも「仏性」が宿っている、という汎神論的世界観は、「共生」の理念と繋がります。
 そして、これらの思想には、「自発的な精神の統御」を可能にする潜在力が秘められている、と考えています。(理由は後で述べます)
 「自然を管理・支配する」という方向性から、「心・精神をコントロールする」という方向性への転換、外向きから内向きへの意識変革の鍵が、これらの概念にある、と見当をつけているのです。
 強制的・意志的なコントロールではありません。自ずと、心のあり方が統御される、ということです。
 
 さて、ここからが本論なのですが、上記の大乗仏教思想に、「自発的な精神の統御」を可能にする潜在力が秘められている、と私が考える理由を説明します。
 厳密な、論理的根拠を示すことはおそらく無理ですが、可能である、と確信することはできると思います。
 その筋道は、大乗仏教の歴史と、世界観から、私には見えてきました。
 ここでは、世界観からの筋道をたどってみます。
 
 「一切衆生悉有仏性」や「如来蔵」の概念に典型的に表されているように、大乗仏教には、汎神論、ないしは有機体論・物活論的な世界観が表明されています。
 この世界のすべての存在物に、仏性が宿っている、活力・生命力が秘められている、といった見方です。
 精神修養の過程で(仏教的修行に限りません)、こうした世界観を実感するようになれば、当然、自分の心・精神も、もっと広い世界の心・精神と繋がっている、あるいは仏性の一部である、と確信するようになるでしょう。
 それと並行して、「自発的な精神の統御」が具現化されていくことでしょう。
 自分の中にも、仏性が宿っているからです。
 そして、そのような精神こそが、「一切衆生悉有仏性」の世界を実在の世界として生きられるようになる、という構図になっているように思えます。
 結局、循環論法かもしれません。でも、本質的な事柄は、循環論法でしか語れないことが往々にしてあります。
 もう少し異なる語り口にしてみます。
 
 [問い]
 大乗仏教が提示する、「一切衆生悉有仏性」や「如来蔵」の世界観を実感するようになり、この世界のすべての存在物に仏性が宿っている、活力・生命力が秘められている、と自覚できるようになると、その人の心・精神はどうなるでしょうか。
 
 [答え]
 周りの世界や人々、隣人に対して優しくなります。
 また、心が穏やかになります。
 自然にそうなります。
 相手に対して怒ったり、憎んだり、妬んだり恨んだりすることは少なくなるでしょう。
 相手にも仏性が宿っているからです。
 あるいは、争ったり、暴力を振るったり、悪口を言ったりしなくなるでしょう。
 そして、暴力や悪口に対しても、やり返したりしなくなるでしょう。
 (このことは、六波羅蜜の「忍辱」に対応しそうです)
 さらに、世界に対する根本的な信頼が生じますから、恐れや取り越し苦労も減っていくことでしょう。
 
 こうしたことが、自ずと、無理なく生じる可能性を秘めているのです。
 強制的でない、自発的な「持戒」が実現されるのです。
 近代社会に瀰漫する競争的・弱肉強食的な価値観を緩和・鎮静する効果を持った、漢方薬のような世界観なのです。
 
 まとめます。
 「心・精神の自発的統御」が可能となる回路として、大乗仏教の汎神論的世界観から開示される筋道がある、ということです。
 この世界観を心身全体で実感し、諒解するならば、精神の変容が導かれる可能性が開かれているのです。
 そして、この精神・意識の変革の方向性が、今後の時代精神や価値観の地殻変動と大きくかかわりそうな予感を、私は持っているのです。
 
今回の記事には、関連して論じた方が良さそうな個別テーマがいくつも絡んでいるので、今後、追ってひとつずつ取り上げて吟味していこうと思っています。
 今回、掘り下げが不十分なところ、言い足りない個所を、次回以降、補います。
 

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ジャンル - 学問・文化・芸術

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