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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

ベートーヴェンの蒔いた種―自己主張の侵略性― 

Posted on 16:33:13

 
 1800年頃に活躍したベートーヴェンは、彼以降の19世紀ロマン派の音楽の趨勢に決定的な影響を及ぼしました。
 ベートーヴェンの主に中期の作品群の傾向を、ロマン派の作曲家たちは引き継いだのです。
 このことは、音楽史上の常識的な見解ですが、ベートーヴェンは同時に、その後の音楽史への“負の遺産”となりうる種を蒔いていた、と私はみています。
 今回は、そのことを論じてみます。

 
 
 オーケストラを活用する音楽には、さまざまな思惑が複層的に関与しています。
 一方には、作曲家の表現への意志や、自己主張、技巧・技術の誇示、などがあります。 もう一方には、聴衆を楽しませ、演奏家と一体となり、その場における精神の共鳴や陶酔を望む思いがあります。
 あえて単純に図式化すれば、自己主張と人々への配慮、という2極の構図となるでしょう。
 ベートーヴェンのわずか以前の、18世紀末のハイドンやモーツァルトは、その両者のバランスが絶妙でした。自然な音楽の流れを損なわずに、さらりと自己表現を匂わせつつ、聴衆や演奏家たちを楽しませていました。
 ところが、先行する古典派の二人が構築したバランスを、ベートーヴェンはあえて崩しました。
 ベートーヴェンの初期の作品(交響曲では1番と2番)では、音楽の自然な流れを尊重しており、ひらめきや発想をそのまま結晶化したモーツァルトにも似たタイプの曲が多いのですが、中期以降は、作品が人為的・構築的な傾向を強めていきます。
 自然な流れを中断することを厭わず、自己主張があからさまに現れます。
 その代表例が、≪運命≫交響曲の第1楽章です。冒頭の4つの音符からなる音型は、旋律とは言いがたく、“衝撃音”というのがふさわしいでしょう。その衝撃音をモチーフにして、パッチワークのように、あるいはジグソーパズルのように、音楽を編み上げた産物が、≪運命≫の第1楽章です。
 もちろん、ベートーヴェンもまた、聴衆の心を攫もうと腐心していました。しかし、彼がとった戦略は、モーツァルト的な音楽の質による共感的陶酔の方向性ではなく、力量感のダイナミックな変化や、曲の構造の斬新さなどで人々を惹き付け、無理やり自分の世界に引き込もうとするやり方でした。
 音楽評論家の石井宏さんも、中期のベートーヴェンに関して、次のように語っています。
 
「この頃の彼は強烈な自我の覚醒と相まって、前世紀的なもの、つまり音楽は音楽であるという簡単な原理を根底からひっくり返して、音楽を自律・自足の存在ではなく、作曲者の発するメッセージを聴き手に伝える媒体というふうに変えていくようになるのである。それは革命であった」(『ベートーヴェンとベートホーフェン』七つ森書館、p.296)
 
 見方を変えれば、ベートーヴェンには、あざとい自己主張を臆面もなく誇示し、強引に自己の価値観を押し付ける傾向があった、ということです。
 そのため、古典派の調和的バランス、自己主張と人々への配慮の均衡は崩されてしまいました。このバランスの崩壊を、19世紀のロマン派や、20世紀の現代音楽は引き継いでいるといえます。
 冒頭に記した、ベートーヴェンの“負の遺産”とは、このことです。
 
 ベートーヴェンにおけるバランスの崩れ、自己主張への過剰な傾斜には、彼の本来的な性格と身体的問題に加え、1800年頃のヨーロッパの時代情勢が大きく作用していたのは間違いないでしょう。
 ベートーヴェンは、我が強く、“わが道を行く”タイプの人物であったようです。
 石井氏による次のような描写があります。
 彼は「教えられるとおりにするより自分は自分の道を行きたかったのであり、むしろ他人と違う存在であることに誇りを感じていた」(同書、p.30)
 また、聴覚が不自由であったため、他者との意志の疎通は苦手で、自分の意志を一方的に相手に押し付ける傾向があったようです(知人との仲違いや、弟や甥とのトラブルの主要因でした)
 さらに、時代は、フランス革命を経て、ナポレオンの時代を迎えていました。
 啓蒙主義の「自由・平等」の理念を、ベートーヴェンも共有・賛同していました。また、ナポレオンにも心酔していました。ベートーヴェンは時代の子でもあったのです。
 啓蒙思想が準備した、西欧近代の価値観が浸透し始め、近代的自我の拡大が肯定的に捉えられるようになった時代に、彼は強烈な自己主張をし、時代に受け入れられたのでした。 その後の音楽の歴史における、自己主張への過剰な傾斜への流れは、ベートーヴェンの個人的資質と、1800年頃の時代情勢という、偶然と必然に左右されて強化されたのでした。
 
 今日の現代音楽において、聴衆の理解を超えた、聴衆を軽視したような曲が書かれ、そうしたオリジナリティー過剰な作品のみが作曲家の能力として評価される、という不幸な状況(作曲の「研究論文化」とも言える事態)の種は、ベートーヴェンが蒔いていたのでした。
 
※この点に関連して、次の記事もご参照下さい。
<なぜ20世紀になって「美しいクラシック曲」が作曲されなくなったのか>
 
 この問題は、西欧近代合理主義の根幹の問題の一つの顕れ、と捉えるべきでしょう。
 「自我」や「個人主義」を肯定的に捉え、それらに潜む呪縛構造に無自覚であったこと。
 仏教的に言えば、「我執」の問題をほぼ無視してきたこと。
 このポイントが音楽史上で侵食を始めたのが、ベートーヴェンの時代であった、と理解できます。
 「我執」の塊のようなベートーヴェンが、“楽聖”に祭り上げられてしまったこと。このことは、音楽史上の大変不幸な出来事だったと思います。
 
 
追記
 
 ベートーヴェンの“負の遺産”について書いてきましたが、個人的にはベートーヴェンを嫌っているわけではなく、むしろ魅力を感じています。
 
 ≪運命≫のモチーフに似た主題を活用したヴァイオリン協奏曲を創ったこともあります。
<ヴァイオリン協奏曲「運命の変容」改訂版を公開>で試聴できます)
 
 また、「ラマルクとベートーヴェン」という論文も書いています。
(→論文「ラマルクとベートーヴェン」の要旨と本文
 興味ある方は、こちらもご覧下さい。

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