作曲と思索の愉しみ
オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。
2014/03/03 Mon.
『ルパン3世・カリオストロの城』を見て―秘宝の意味―
Posted on 11:23:58
大野雄二さんの曲が好きなので、私はルパン3世のシリーズを好んで観ます。
この『カリオストロの城』では、物語の終結間近において、とても印象的なシーンがありました。その情景に絞って、感じたことを語ってみます。
(ストーリーの一部を紹介してしまうので、この作品をまだご覧になっていない方で、ストーリーを知りたくない方は、この記事を読まないほうがよろしいでしょう)
秘宝が象徴する意味
この作品も、個性的なキャラクターや、起伏に富んだストーリー展開、細部まで緻密に描き込んだ色彩溢れる映像、場面の進行に即応したツボに嵌った音楽、といった、エンターテインメント映画の魅力を十分に備えています。
それに加えて、ルパンの探索のテーマであった、カリオストロの秘宝の正体が、実に興味深いものでした。
物語の終盤、ルパンとカリオストロ伯爵は「時計塔」で対決します。
時計塔は、内部に複雑で巨大なメカニズムが構築されており、明晰な論理や合理主義を象徴している、と私は見ました。
金と銀の、ふたつのペアの指輪を、ルパンから奪取するのに成功したカリオストロ伯爵は、時計塔の最上部に近い彫刻にそのふたつを嵌め込みます。
その結果、時計塔は自ら内部のメカニズムを崩壊させ、湖を堰き止めていた堤防が決壊し、水位が下がり、湖の底に眠っていた“秘宝”が姿を現します。
秘宝の出現の直前、伯爵は2本の巨大な時計の針に挟まれて圧死、ルパンはクラリス姫と共に、湖に転落し、やがて地上に戻ります。
そして、現れたのは、人類の遺産とも言うべき、古代ローマの街並みの遺跡でした。
金と銀のふたつの指輪や、光と影がモチーフになっていることから、意識と無意識、あるいは合理主義的な明晰な思考と渾沌とした暗黙の情動との対比が、さまざまな情景で暗示されているようでした。
ふたつの指輪が、時計塔で一体化するシーンは、意識と無意識の統合・調和の象徴であり、ユングの言う「個性化」の重要な局面と対応している、と感じました。
カリオストロ伯爵の最期は、論理的構築の限界を示唆しているようです。万全の防護を固めたカリオストロの城も、時計塔と同様、最終的に湖からの奔流に呑み込まれてしまいます。
意識の背後を支える無意識の流動的エネルギーが、意識的構築物を呑み込んだのでした。
一方のルパンは、何度も地下の坑道や水路を巡り、無意識の迷宮を探索している如くでした。そのため、湖からの奔流に身を任せて泳ぎぬけたのでしょう。
最も印象的なシーン、湖の底からの古代ローマ遺跡の出現は、「無意識の底に人類の遺産が眠っていること」の暗喩でしょう。
ルパンは、「このお宝はオレのポケットに入らないから要らない」と言いました(引用は不正確です)。
集合的無意識から得られる何かは、個人が所有すべきもの(できるもの)ではないことを語ったセリフといえます。
ルパンの探索と城からの帰還は、「夜の航海」を経た後に人間的に成長を遂げ、新たな自分を見出す「神話的筋書き」と重なります。
※「神話的筋書き」に関しては、ブログ記事「“神話的構成”をもつ交響曲―≪運命≫とその系譜の作品群―」をご参照下さい。
優れた文学作品や音楽作品には、人類の集合的無意識に眠っている原型的発想・神話的構成を汲み上げ、作品化したものがあり、それらは人間存在の本質を顕わにする喚起力を秘めているため、訴えかける力が非常に強い、といった趣旨の記事です。
「カリオストロの城」も、その系譜の作品に該当しそうです。
また、竹端寛さんのスルメブログの記事<村上春樹と「神話の力」>も、ご参照下さい。
「カリオストロの城」では、その「神話的筋書き」のクライマックスシーンが、古代ローマ遺跡だったのです。
なんとも神話的要素ふんだんの作品でありました。
既視感の正体が判明
上記の、湖の底に眠る遺跡の出現を見たとき、衝撃とともに、このシーンと似た情景をどこかで見たことがある、と強く感じました。
今回は、図書館で借りたDVDで観賞したのですが、10年ほど前にも一度、テレビで見た覚えがあります。でも、その記憶ではなく、違う作品の中に、“そっくりな”情景があったのではないか、という感覚です。
DVDを観終ったときには想い出せなかったのですが、この文章を書いている途中で、想い出しました。
私が作曲した管弦楽作品でした。
<海に眠る月>です。
この曲の終盤、大きな曲想の転回があり、それまでの短調から、長調へと転じます。
深い海に眠っていた月の煌きが甦る情景です(生命力の復活の暗示でもあります)。
その曲のその場面のシーンと、「カリオストロの城」での遺跡の出現とが、私の中では今では重なっています。
実に、自作曲の映像を見ている錯覚を、気づかずに感受していて、その不思議な感覚の正体が後になって判明したのでした。
※<海に眠る月>は、「管弦楽曲<海に眠る月>を公開―神話的筋書きの展開―」で試聴できます。
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テーマ - ルパン三世
ジャンル - 映画
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コメント
破天荒
とは、誰も成し得なかった偉業を成す、という時に使う言葉であり、現代人のよく使う「豪快さ」「自由奔放さ」という意味では使われない。
つまり、破天荒なストーリー展開、などといった言い回しは誤りである。
この一文を見た者が、間違った解釈をしかねない。
よって、記事修正か削除を要請するものである。
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ご指摘ありがとうございました
ご指摘ありがとうございました。
私の不勉強でした。
修正しておきました。
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