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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

佐村河内氏と新垣氏の共同制作を可能にした内的構造 

Posted on 17:00:58

 
 交響曲≪HIROSHIMA≫などの作曲者として知られていた佐村河内守さんの楽曲が、実際には新垣隆さんによって作曲されていたことが明らかになりました。
 ただし、楽曲の構想や、曲の内部構成や様式にいたるまで、佐村河内さんが文書や図表などで指示を出していたらしいので、プロデューサーと作曲家の二人での「共同制作」であったようです。
 この二人による作品群には、妖しい魅力が確かに宿っています。
 「共同制作」という手法で、なぜ魅力的作品を創作できたのか。
 私はこの点に一番興味をそそられました。この論点に絞って、私見を述べてみます。
 報道は、作曲における本質的な点を、あえて見逃しているように思われます。

 
 
 管弦楽曲の創作において、アシスタントが補佐する形で共同制作される場合はあり得ます。曲のイメージやメロディーラインや和声進行、楽曲の構成など、作曲家のアイデアやスコアのスケッチに基づいて、細部の肉付けを、作曲家の指示のもと、他の人がお手伝いする、といったやり方です。
 ひとりで創作する場合、表現内容のイメージをスコアにする際のズレや違和感を、譜面を書きながら認識することができます。そのため、違和感をフィードバックしながらイメージに近づけていけます。
 共同制作の場合でも、スコアのスケッチ段階までひとりで行っていれば、そのズレの修正は大きな問題とはならないでしょう。
 ところが、この二人の場合、アイデアを抱いている人物と、曲のラフ・スケッチやメロディーを書く人物が異なっているのです。
 こうした条件下で、人を惹きつけるような作品を生み出すには、単に言語的レベルでの意思疎通がなされるだけでは十分ではないでしょう。
 交響曲≪HIROSHIMA≫(当初は≪現代典礼≫)の制作に当たって、佐村河内さんが細部にいたる指示書を作成していましたが、それだけでは、佐村河内さんの抱いていたであろう複合的イメージを伝えきれるとは思えません。
 私の想像ですが(妄想かもしれませんが)、おそらく二人の間には、少なくとも作品制作時期において、感受性や潜在意識の領域での共感・共鳴があったのだろうと推測します。非言語的な、暗黙の情動的コミュニケーションが介在して、佐村河内さんのイメージが新垣さんのスコアへと翻訳されていったのではないでしょうか。
 新垣さんは、佐村河内さんのアイデアを、あたかも自分の内部から湧きあがってきたような発想として受け容れ、いつくしみ育てて、作品に結晶化させていたように思えてなりません。
 技術的には、その指示書の内容だけでも楽曲を仕上げられるかもしれません。しかし、それだけでは曲に“魂”が宿らないと思います。技巧に走った作品にしかならないでしょう。
 報道されているような、単純な役割分担ではあり得ないと思います。
 課題を与えられた作曲家が職人技を発揮する、といった図式に収まりきるとはとても私には思えません。
 確かに、楽曲の技術的水準は質の高いものです。系統だった作曲の訓練が十分になされた人の書かれた作品だとすぐに気づきます。しかし、単なる職人技の発露と見るにはあまりに過剰な奥深さを抱え持っています。
 曲を作る際には、技巧だけではなく、心の底から作りたいと思い、身体的感受性と精神とが一体化した没入状態にならないと、人の心を揺さぶる作品はできないでしょう。
 新垣さんは、代作の際も、「自分の作品の創作」という感触で、手がけていたのではないでしょうか。
 高橋大輔選手がソチ・オリンピックで使用予定の<ヴァイオリンのためのソナチネ>のような妖艶な曲が、二人の「共同制作」によって生み出されてきました。
 その背後には、二人の間の精神の深層での交流、言葉にならない内容を暗黙のうちに伝達できる一心同体のような感覚があったのだろう、と私は想像しています。
 そして、その精神の交流が、何らかの事情で不可能となっていったため、新垣さんがこの関係を清算しようと決断したのかもしれません。
 
誤解は生じないと思いますが、代作を擁護しようとする意図はありません。
 作品と、作曲の営為に対して、個人的見解を述べたまでです。
 念のため。

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テーマ - 作曲・編曲・アレンジ

ジャンル - 音楽

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No title

なるほど、そう来ましたか。ほかではあまりお目に掛からない、同業者ならではの観点ですね。拝読して私は、映画音楽のことを想起しました。つまり、監督がイメージを指定し、作曲者がその指示に従って曲を作るという意味で。

neko | URL | #-

2014/02/18 13:18 * edit *

コメントありがとうございました。

 コメントありがとうございました。
 映画音楽の場合も、とりわけ物語の進行に寄り添うような挿入曲の場合、イメージをどれだけ深く共有できるかが、曲の質を大きく左右するように思います。
 この二人の共同制作の場合、仕上がった作品から振り返って、深いイメージの共有がなされていたのだろうと推測したのです。
 作品の公開方法が社会的に見て不適切だったからといって、その作品までが低く評価されてしまうとすれば、それはおかしなことだと思います。
 私は、このブログ記事で、作品と、作曲の営為を、擁護したかったのだと気づきました。

森さちや | URL | #T2ep3i7I

2014/02/18 18:30 * edit *

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