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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

STAP細胞が示唆すること―進化要因論への異なる視座― 

Posted on 15:39:25

 
 万能細胞を作る、新たな簡単な手法が、小保方さんらによって開発された報道がありました。
 報道では医療への応用が期待されていますが、この成果は、さらに、生命を理解する上でのきわめて重要な観点を提起しているように、私には感じられました。
 とりわけ、生物進化の要因に対する考察に、新たな光を投げかけていると思われます。
 このポイントについて、私見を述べておきます。
(東京新聞と朝日新聞の1/30と1/31の記事より得られた情報に基づくコメントです)
 
 
 STAP細胞やiPS細胞は、“万能細胞”と称されるタイプの細胞です。
 なぜ、万能細胞が医療現場で必要とされるようになったかというと、再生・移植医療において、組織や臓器を作る基となる、受精卵のような、全能性のある細胞が欲しかったからです。
 通常の、筋肉や皮膚などの体細胞は、その組織の機能のみ発揮するように特異化されており、他のタイプの細胞に変化することはできません。ところが、受精卵や発生初期の細胞は、体のどの組織の細胞にもなれる可能性を温存しています。そのタイプの細胞がもし得られれば、それから神経細胞や筋肉細胞や、あるいは移植用の組織や臓器などを作れるだろう、というわけです。
 
 さて、iPS細胞では、細胞の全能性を取り戻すために(初期化するために)、いくつかの特定の遺伝子を、体細胞に導入します。
 言い換えれば、遺伝子操作をするのです。
 一方、STAP細胞は、弱酸性の溶液に約30分浸した後、培養すると、得られるそうです。
 遺伝子には手を触れず、細胞周囲の“環境要因”のみを変化させて、全能性を獲得したのです。
 この現象は、発生過程における、細胞の機能発現を考察する際の、無視できない本質的な観点を提起しているように、私には思われます。
 
 遺伝子操作と等価の現象を、環境要因の誘導のみで、引き起こすことができる。
 
 STAP細胞の作成は、細胞の秘めている複層的な機能発現能力を物語っています。
 細胞が分裂し、発生過程が展開していくにつれて、どの細胞がどの組織になるか、あるいは、どの遺伝子が使われ、どの遺伝子が使われなくなるか、といったことは、DNAのみに支配されているわけではなく、細胞同士の位置関係や、細胞を取り巻く環境要因によって左右されているようです。遺伝子によってすべてが決定されているわけではないのです。
 それと同様なことが、今回のSTAP細胞の成果で再確認された、とみることができると思います。
 
 このことは、進化要因論に、従来とは異なる視座を与えるかもしれません。
 遺伝子が変異することによってもたらされる形質の変異と等価なことが、環境条件の変化によっても引き起こされる可能性が十分に考えられるならば、遺伝子の変異を生物進化の主要因として理論構築してきた「ネオ・ダーウィニズム」の体系は、少なくとも部分的には再考せざるを得ないことになるでしょう。
 「遺伝子万能論」への批判的論拠として、STAP細胞の成果は作用するでしょう。
 
 池田清彦先生は、ネオ・ダーウィニズムへの批判の書、『「進化論」を書き換える』(新潮社)のなかで、「進化とは発生プロセスの変更である」と語っています(p.79)
 その変更は、遺伝子に起因することもあれば、環境要因の変化の場合もある、と池田氏は考えています。DNAの変異は必要不可欠ではなく、外部からの刺激によって、発生プロセスにおいて「DNAの使い方」が変化すれば、誕生してくる生物の形態は変異するであろう、といった考え方です。
 「DNAの使い方」の変化とは、一群の遺伝子が機能し始める時期が異なったり、遺伝子群の発現プログラムが身体の異なる部位に適用されたりすることです(ヘテロクロニーとヘテロトピー)
 遺伝子の変異と環境要因の変化とが、同様の結果をもたらすことがあると示した、小保方さんらの成果は、池田氏の批判的論点を結果として支持しています。
 STAP細胞では、弱酸性溶液への浸潤、という環境条件の誘導によって、リンパ球の核内の不活性化されていたDNAの能力が活性化・初期化されました。このことは、環境要因による「DNAの使い方」の変化、と解釈できます。池田氏の言う、遺伝子レベルの変異を伴わない「発生プロセスの変更」の実例と見做せます。
 ネオ・ダーウィニズム流の、たまたま起こった遺伝子の変異による形態の変異が、たまたま環境条件に適応的だったため、生存競争に有利になり、新たな形質として固定された、といった「偶然性の神話」は、全面的には通用しなくなるかもしれません。
 否定され続けてきた「獲得形質の遺伝」についても、現象的には可能性を全否定はできなくなるでしょう。
 生物は、環境条件に対してある程度は能動的に反応しつつ種の生存を図り、その総合的な結果が現在の生物相である、という、納得しやすい理解が、ネオ・ダーウィニズムの進化要因論においては認知されませんでした。
 しかし、今後は、素朴な日常的了解と馴染む生命観が復権していくかもしれません。
 

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