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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

なぜ20世紀になって「美しいクラシック曲」が作曲されなくなったのか 

Posted on 17:29:27

 
 上記タイトルの問題は、武田邦彦先生のブログ記事、
<美しい音と世界・・・クラシック小品3曲>
 の中で、提起されていたものです。
 この刺激的なテーマに対して、曲を作る側の視点から私見を述べてみたいと思います。

 
 
 ロマン派的な美しい曲が激減した要因
 
 武田氏は、そのブログ記事の中で、「美しいクラシック曲」として、次の3曲を紹介しています。
 
 ベートーヴェンのピアノソナタ<月光>、
 ショパンの<幻想即興曲>、
 チャイコフスキーのバレエ組曲≪くるみ割り人形≫の<花のワルツ>
 
 そして、こうした曲が、20世紀になって作られなくなったことに対して、疑問を投げかけていました。
 
 20世紀に「美しいクラシック曲」が作られていないことはないと思いますが(20世紀初頭には、ドビュッシーやラベルがいます)、広く一般に普及した19世紀のロマン派タイプの曲は、ほとんど出現しなくなった、という意味にとることにします。
(ベートーヴェンの<月光>は、1801年の作曲で、ロマン派の曲とはいえませんが、ロマン派“タイプ”の曲とはいえるでしょう)
 私は、20世紀のクラシック曲を網羅的に聴いているわけではないので、正確な状況把握に関しては自信がもてないのですが、20世紀の後半に関しては、一般的なクラシック音楽の聴き手の大まかな印象としては、武田氏の実感どおりだと思います。
 ロマン派的な美しい曲が激減した要因として、すぐさま思い浮かぶのは、次の2点です。
 
(1)優れた作曲家の情熱を注ぐ曲種ではなくなってしまった。
 
(2)そのようなタイプの曲を創作する作曲家が評価されない。
 
 この2点は、結局同じことの裏返しです。
 管弦楽を主体としたクラシック音楽を創作する人物が、一流の作曲家として認知されるためには、名の通った、権威ある作曲コンクールで上位入賞することが必須でしょう。
 ところが、「ロマン派的な美しい曲」では、コンクールで入賞を果たすのはきわめて困難なようです。作曲コンクールで上位を占めるのは専ら、「現代音楽」のタイプの曲なのです(日本でも、世界的にも)
 「現代音楽」のタイプの曲とは、調性がない(調性を否定した)音楽のことです。旋律らしい旋律がなく、馴染みのある調和のとれた和音もない音楽です。一般の聴衆にとっては理解が困難な、雑音の連続と受け取られる音響です。
 そして、才能ある作曲家の多くは、現代音楽を作曲することによって、作曲家としてのキャリアを築いていこうとします。
 したがって、作曲への情熱の相当の割合が、現代音楽の創作へと向けられているわけです。
 一方、現代音楽のタイプの曲を創作する意志がなく、ロマン派的な美しい曲を作ろうとしている作曲家は、クラシック業界では評価されない、という構造が出来上がってしまいました。
 つまり、「現代音楽」という枠組みに沿う形で、自分の才能を発揮することが求められる時代になっているのです。
 また、こうした動向の背景には、次のことが考えられます。
 
(3)作曲における「オリジナリティー」の価値を過剰なまでに重要視する。
 
 作曲の分野においても、学問の世界と同様に、サンシング・ニュー(何か新しいこと)が開拓されることが要求されるようになりました。おそらく、シェーンベルクやストラビンスキーやバルトークらが新境地を切り開いた歴史の再現が期待されているのでしょう。過去の名曲と似たタイプの曲は望まれなくなったのです。
 そして、作曲家も、「現代音楽」のタイプの曲を、おそらくは自己の独自な世界の構築として、愉しんで行っているのだろうと私は推測しています。
(私自身は「現代音楽」のタイプの曲を作曲しませんが、作ってみたいと思うこともありました。個人的には、現代音楽の価値を否定するものではありません。作る過程は、知的悦楽の連続だろうと想像します。それでも作曲しない理由は、後述します)
 さらに、西欧近代の自己中心的価値観の侵食により、他者への配慮よりも自己主張がはるかに優先される表現に疑問を感じなくなっていったこともあるでしょう。
 
(4)聴き手を愉しませる、という作曲家の配慮が乏しくなった。
 
 こうした諸要因が複合され、一部のマニアと専門家を除いて聴き手不在の曲種の創作に、多大な情熱が注がれるようになっていったのでしょう。
 この事態は、学問の世界で、社会や他の分野との関わりが見えず、同業者以外に読者をもたない専門家限定の研究論文が、量産されている状況と似ています。
 
現在、管弦楽を用いたロマン派的な美しい曲は、映画音楽の領域で生き延びているようです。イタリアの作曲家、エンニオ・モリコーネは、その分野で私の好きな作曲家の一人です。
 
 蛇足:私が「現代音楽」タイプの曲を作らない理由
 
 第一に、作っても聴いてもらえないだろうからです。
 大学での授業と同様、相手に理解され、受け容れてもらえることを念頭において表現しようとすると、現代音楽の創作への意欲はそがれてしまいます。
 第二に、私が「心の底から作りたい」、と感じる曲種ではないからです。
 現代音楽への創作意欲は、少なくとも私の場合、「知的」に作りたい、という程度のものです。技巧を凝らしたい、という欲求と似た、表層的な意欲に過ぎません。
 「心の底から作りたい」曲とは、自分がどうしても聴きたい、と願うタイプ曲であり、おそらくは聴き手も望むであろう音楽です。人間の共通な感性のレベルで共鳴でき、心の琴線が鳴動するような作品です。
 そして、そのような曲を目指して創作する過程で、充実した人生を歩んでいる実感が降り注いできたり、陶酔の境地が到来したりするのです。
 
私が「心の底から作りたい」と思って創作し、出来ばえも気に入っている曲には、<アンモナイトの夜><冬の旅路>などがあります(リンク先で試聴できます)。
 

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