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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

老子とユングは似た事柄を語っている―道への帰一と個性化― 

Posted on 17:20:16

 
 老子の思想の核心である「無為自然」への志向性は、ユング心理学における集合的無意識の構想とつながるところがありそうだ、と感じていました。
 その両者の関連が多少とも見えてきた感触をもちましたので、メモ程度ですが、書き記しておこうと思います。

 
 
 『老子』の「道」への帰一
 
 『老子』という書物の鍵となる概念のひとつに、「道」があります。
 「道」とは、『老子』の中では、天地自然の活動の根源となるエネルギー、あるいは摂理、といった意味合いで使われています。そして、この「道」へ帰一する、ということが重要なテーマとなっています。
 
「道と一体になった者は、道もまたその人を得る」(第23章、訳文は、蜂屋邦夫訳注『老子』岩波文庫、以下同じ)
「万物はさかんに生成の活動をしながら、それぞれの根元に復帰する……天と同じであれば道と一体である」(第16章)
 
 このように「道と一体になる」とは、即ち、「自然に還る」ということでもあります。ところが、還るべき「自然」は、人間の外部環境としての自然の摂理だけではないのです。
 
「心と身体とをしっかりと持って合一させ、分離させないままでいられるか」(第10章)
 
 『老子』全体の文脈の中で第10章のこの文言を理解しようとすれば、人間の「内なる自然」、心に潜む自然性とも一体化しようと語っている、と理解できます。このことは、意識的営為を好まない『老子』の思想の傾向とも合致します。
 つまり、「道」への帰一とは、潜在意識との調和・和解という意味もある、と私は解釈しています。
 
 ユングの「個性化」
 
 このように解すると、「道と一体になる」志向性は、ユングの言う「個性化」の過程と重なり合ってきます。
 ユングは、「個性化」を次のように説明しています。
 
「私は個性化という表現を、心理的な個体・すなわち他から分離した分割しえない単位・一つの全体・を作り出す過程という意味で使っている」(C.G.ユング、林道義訳『個性化とマンダラ』みすず書房、p.49)
 
 「心理的な個体・一つの全体」とは、「意識的なものと無意識的なものとの調和」した状態を指しています。そしてその調和への過程は、「一方が他方を抑圧したり傷つけたりすると、全体とはならない」、「開かれた戦いと開かれた協力とが一つになることを意味している」、と語っています(引用は、同書、pp.68-69)
 斟酌すると、「個性化」の過程は、無意識と意識的自我との統合過程であり、その過程に“作為”が入り過ぎてはならない、と言っているようです。この統合過程は“無為自然”になされるのが望ましいのです。
 なぜなら、「無意識は意識の母」であり、「無意識は何千年という単位で考え、生きている」からであり、「無意識はしばしば意識的思考よりも十分に真実で賢い」からです(引用は、同書、pp.56-58)
 表層的意識による意図的介入は、かえって攪乱要因になりかねないのです。
 
 夢や情動の爆発的発露の際に垣間見られる無意識は、無秩序で非合理的な性質を帯びているように、意識的自我には感じられます。しかし、その顕れは、断片的なものであり、無意識領域の総体の一部分に過ぎないのでしょう。
 ユングは、無意識には階層的構造があり、その深層領域には人類の歴史的経験が堆積している「太古の層」があると捉えています。その領域を「集合的無意識」と名づけています。
 
「それはわれわれが知らない祖先の精神であり、祖先の考え方や感じ方、彼らが生や世界や神々や人間を経験したやり方である……身体は系統発生の歴史の一種の博物館であるが、心も同じである」(同書、p.65)
 
 意識的自我は、そのような歴史性を有する無意識の大海に浮かぶ島なのです。
 自身の意識的自我と無意識の複層的構造を実感をもって諒解すること、そしてその諒解が生き方に反映され、のびのびと自在に生きられるようになること――
 ユングが「個性化」の過程で目指していたのは、こうしたことでしょう。
 別の個所でユングは、個性化を次のように説明しています。
 
「個性化とは、前へ進みすぎた若さに溢れた意識が後ろへ取り残された古老の無意識といかにしてふたたび結合できるかという……個人の全体化のことである」(同書、p.143)
 
 「個性化」とは、現代社会の表層的価値観に呪縛・抑圧された意識的自我が、太古からの人類的直観・潜在意識の大海と振れ合うことにより、枯渇しかけた生命力を回復し、本来の自己を取り戻す過程、と私は解釈したいところです。
 そして、この過程は「無為自然」に生起するのが理想的のように思われます。
 
「本当によい解決というのは、それが個人のなかで自然な発達過程と結びついているものだけ」(同書、p.142)
 
 とユングも語っています。
 このように、ユングの「個性化」の構想は、部分的に『老子』の思想と共鳴しているのです。
 
 まとめ
 
 『老子』の「道」への帰一は、内なる自然性―潜在意識―への帰還の意味合いもあり、ユングの「個性化」の過程と重なり合います。
 一方、ユングの「個性化」の過程は、「無為自然」に生起するのが望まれます。
 『老子』の思想との明らかな共振がここにみられます。
 「無為自然」とは、精神の領域においては「集合的無意識」と調和的に生きること、と理解すれば、両者の思想的類似性は明らかでしょう。
 両者は、本質的には似た事柄を語っていたのです。時代と文化という、大きく異なるフィルターによって、その顕れ方が違ってきたのだと、私には感じられます。
 

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