08 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. » 10

作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

「調ごとに存在する色彩感」は神話に過ぎないか? 

Posted on 17:52:05

 
 オーケストラの響きは多彩です。おなじ長調の3和音でも、演奏する楽器の組み合わせで印象は変わりますし、どの調で演奏するかによっても変化します。
 そのため、私はそれぞれの調に特徴的な色彩感・イメージ・気分がある、といった見方をとくに疑わずに受け容れていました。たとえば、ニ長調には“明晰・秩序”といったイメージを、私は持っています。
 ところが、ジョン・パウエルさんによると、この見方は神話に過ぎない、というのです(小野木明恵訳『響きの科楽』早川書房、pp.237-242)
 私は納得できずにその著作を読み進めましたが、パウエル氏の根拠は不十分、と判断しました。
 そのことを、今回は書き留めておきます。
 
 
 パウエル氏の議論
 
 「調はそれぞれに異なる情緒的な気分を伝える」という見解が神話に過ぎない、というパウエル氏の根拠は、3つあります。
 ひとつは、歴史的に(1939年に)、調律がA=440Hzと決定される以前は、ヨーロッパの各地でかなりばらつきのあるチューニングがなされ、実質的に半音以上異なる調律が存在していたこと、です。その結果、たとえば、フラット2個の変ロ長調のスコアを演奏しても、シャープ3個のイ長調の音高で再現されていた場合もあったはずだ、というわけです。したがって、音の周波数と気分との関連は否定されます。
 ふたつ目は、学生に対する試聴テストです、おなじピアノ曲を異なる調で聴かせて(その調がわからないように)、印象と調を答えさせる実験です。その結果、調と気分の関連性はない、と判定しています。
 3つ目は、どんな調でも、半音上昇する転調で、必ず気分が高揚する、という指摘です。フラット系からシャープ系への転調でも当てはまるので、シャープ・フラットにまつわる俗説は否定される、ということのようです。
 
 私の見解
 ―神話の全面否定はできない―
 
 上記のパウエル氏の議論は、平均律に調律された鍵盤楽器の場合は成り立ちますが、音楽演奏一般には適用できないと私は考えます。
 ひとつ目の根拠は、半音分が完全に平行移動された場合に成り立つ議論であり、鍵盤楽器以外の楽器の特性を考慮すると説得力は弱くなると思います。
 ふたつ目の根拠も、鍵盤楽器の演奏以外の場合には、通用しない根拠です。
 3つ目の根拠は、実感として確かにそうなのですが、パウエル氏の指摘したこのことと、調と気分が関連することとは、両立不能ではありません。議論としては、論理的に不備があります。
 したがって、パウエル氏の論拠では、例の神話は部分的にしか否定されない、と私は判断しました。
 
 それぞれの調の特性が現れる可能性は、以下の内容を考慮すると、全面的には否定できないのではないでしょうか。
 第一に、弦楽器や木管楽器、金管楽器には、それぞれの楽器の特性があり、特定の調で演奏しやすく、響きも良好になる、という事実です。
 たとえば、弦楽器群は、シャープが少しついている調での響きがとくに良好です。また、フルートはニ長調、オーボエはハ長調、B♭管のクラリネットやトランペットは変ロ長調、F管のホルンはヘ長調との相性がよい。これは、楽器の構造に由来する物理的な事柄です。
 そのため、平均律に近づけて演奏する訓練をつんだ奏者でさえ、その楽器固有の調性にある程度は拘束されて、演奏する調によって色彩感が異なってくることは十分あり得ることでしょう。
 第二に、演奏者は、シャープやフラットのついた譜面を見て、何らかの先入観を持ちながら演奏する可能性があります。奏者や指揮者の持つイメージや気分が総合的に演奏に反映される可能性を否定しきるのは難しいと思われます。
 伝統的に形成された調性のイメージは、作曲家と演奏者たちによって、曖昧な形ではありますが、継承されてきた部分があるのではないでしょうか。
 
 オーケストラは、平均律を基準として調律されている建前ですが、実際の演奏は、プロの演奏でも、微妙に、調に応じる形で、ずれています。
 オーケストラ演奏でしばしば感じるずれの例を、ふたつ挙げてみます。ト長調やニ長調の管弦楽曲で、弦楽器のF♯の音が若干低く演奏されていることがあります。また、変ロ長調で、B♭とAの半音が、平均律の半音よりも広く感じることがあります。
(後者の例:カール・ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、モーツァルト協奏交響曲変ホ長調、第1楽章、7:30~。この部分は変ロ長調です)
 したがって、現実のオーケストラの演奏は、正確な平均律ではないのです。それゆえ、調が変わると、単なる平行移動以上のことが複雑に纏わりついて、生起するのです。
 その複合的な結果、各調に特有の色彩感・イメージ・気分が付帯してきたとしても、なんら不思議なことではありません。
 
 上記の私の考察は、分析的・論理的なものですが、その底には、私の感受性があります。
 以前から、それぞれの調に個性があることは、なんとなく感じていました。たとえば、変ホ長調には“優しくて柔らかい”感触が私にはあります。その感触を全面的に否定するパウエル氏の議論を、私の直観が拒否しました。
 その直観に対して、理屈をつけて、可能性が残されていることを示したのが、上記の考察でした。
 また、平均律による各調の個性への侵食に、グローバリズムと類似の覇権主義を感じてしまい、感受性の根深いところでの反発があったため、パウエル氏の議論に反駁したくなったのでした。
(平均律とグローバリズムに関しては、機会を見て論じる予定です)
 

関連記事
スポンサーサイト

テーマ - art・芸術・美術

ジャンル - 学問・文化・芸術

△page top

△page top

Secret

△page top

トラックバックURL
→http://wood248.blog.fc2.com/tb.php/57-de43bf1f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

△page top

カテゴリ

全記事一覧リスト

最新記事

月別アーカイブ

コメントをどうぞ

最新コメント

最新トラックバック