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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

逆境を楽しむ ―『荘子』の思想の実践版― 

Posted on 11:44:45

 
 『荘子』の書物の中には、生きていく上で指針となるような、示唆に富む言葉をいくつも見つけることができます。
 私はこの1月近くの間、体調がおもわしくなく(腰痛と湿疹がよくなったり悪くなったり、日替わりで体のどこかが不調)、半病人のような生活をしていたので、心身が次の言葉に飛びつきました。
 
「窮するも亦た楽しみ、通ずるも亦た楽しむ」
 (金谷治訳注『荘子 第四冊』岩波文庫より、p.82)
 
 
 斉物論思想の実践版
 
 上記の文章の現代語訳を、その前後の文と併せて、引用しておきます。
 
「真実の道を体得した古人は、逆境におちこんだ場合も楽しんでおり、順調に成功した場合も楽しんでいた。楽しみとするところは、逆境とか順調とかいう世俗の関心をこえていたのである。……逆境か順調かということは、寒暑風雨が移り変わる程度のことになってしまうのだ」
 (同書、p.84)
 
 この文章は、『荘子』の雑篇中の譲王篇にあります。
 雑篇や外篇には、荘子本来の思想からやや外れたものが散在する、という見方が一般的のようです。
 この文章も、内容的には、『荘子』内篇の斉物論思想を敷衍しつつも、若干ニュアンスが違うように感じられます。
 ただし、こちらの雑篇の文章のほうが、凡人・俗人にとっては手の届く言葉になっていると思います。
 
 内篇における真人の境地は、研ぎ澄まされており、論理的にもすっきりとしています。
―すべての出来事は等価であり、それゆえ、真人は心動かされることはない―
 このように、この側面における斉物論思想を要約できます。
 したがって、「楽しむ」という哀楽の情が入り込んだ雑篇の文章は、内篇を本来の思想とするならば、堕落した思想となりましょう。
 
 しかしながら、修行途上の私としては、上澄みのような内篇の思想からは知的理解は得られても、現実生活に反映させるのは困難と言わざるを得ません。
 それに対して、
 
―どんな状況も等しく楽しむ―
 
 という姿勢ならば、ある程度は実践できそうですし、実感としてもしっくり了解できます。
 
 病気や災害、仕事上のトラブルなど、災難といえる状況に、しばしば人は巡り合ってしまいます。
 その際、災難からどう脱出するか、ということではなく、その状況下でどのような心身の構えを持っていたらよいのか、という点に関して、この言葉は効果があります。
 「楽しむ」ということは、逆境を否認したり非難したりあがいたりせず、いたずらに不安を抱いたり将来を心配したりせず、その状況をあるがままに受け容れ、冷静に対処し、その状況の細部の襞にいたるまで味わい尽くす、ということでしょう。
 「楽しむ」という心身の姿勢によって、それまでの人生に対する歪みや、貪りの姿勢が理解されることもあるかもしれません。あるいは、自分の人生や周囲の人々に対して不平・不満ばかりを抱いていたことに気づいたりするかもしれません。
 「楽しむ」という構えからは、批判的ではなく受容的な精神の在り方が導かれるからです。
 つまり、この構えは、自分の内面の諸問題に対する“気づき”をもたらす可能性がある、ということです。そして、人間的成長の契機となることもあるはずです。
 
 その意味で、この言葉は、精神に処方された“漢方薬”といえるでしょう。
 即効性はないけれど、人生において、じわじわと効いてきそうです。
 
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お体大切に/楽しむ ことの意味

ご無沙汰をいたしております。
富永です。

逆境を楽しむ、
拝見させていただきました。

楽しむことの意味、
かみしめたく思います。

それは 妥協 を意味するのではないですね。

根底に 希望 をもったうえで
今を耐えること、
それもまた 楽しむの 本意と 考えたく 思います。

どうか
お身体大切にされてください。

トミ | URL | #-

2013/10/20 11:01 * edit *

コメントをありがとうございました

 調子がよくないときには、どうしても、周りの世界に対して拒絶的になってしまいがちです。
 そして、感受性、共感能力も低下していしまいます。
 逆境においても「楽しむ」という感覚を維持できれば、世界に対する受容的姿勢を取り戻せるのではないか――
 そのような了解が、『荘子』の言葉から得られたので、書き記しておいたのでした。
 冨永さんの書かれたように、「楽しむ」を広い意味にとったほうが、『荘子』の文章の理解としては妥当だと私も感じます。
 自分の内なる自然な生命力をどんな状況でも実感しつつ生きるのが、「楽しむ」という語の本質なのかな、と思いました。
 

森さちや | URL | #T2ep3i7I

2013/10/20 18:25 * edit *

返信深謝致します/楽しむ 補記

楽しむ そうですね。
自分の内なる自然な生命力をどのような状況においても実感しつつ生きること―。
その「どのような状況」においても―、とは
つまり いわゆる 苦境(一般には「楽しむ」とは対極の状況)においても
という意味であるのでしょう。
それはやはりその人の 「死に対する態度」 と密接不可分なように思います。
思索を深め、行動もしながら やがて必ず来る自身の死に 平常心で、
そうして 楽しんで 向き合えれば 幸いであろうと思います。

楽曲のさらなる有意義な創造を心より祈念申し上げます。

トミ | URL | #PXXG49oI

2013/11/04 15:56 * edit *

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