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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

『荘子』の「思考等価説」への仮想質問と“夢”“無竟” 

Posted on 16:19:41

 
 前回のブログ記事で取り上げた、『荘子』の「万物斉同」論や、その系と看做せる「思考等価説」は、論理的議論としては、突っ込みどころ満載で、近代的哲学の俎上では太刀打ちできない粗雑な議論と映るかもしれません。
 しかし、私は、この論説は相当打たれ強い、柔軟性に富んだ、豊穣な思想だと感じています。
 
 今回は、「思考等価説」に対して予想される典型的な批判的質問二つに対し、荘子ならばどう答えるだろうか、戯れ半分で想像をめぐらしてみようと思います。
 
 
 「思考等価説」とは、『荘子』の斉物論篇中にあるひとつの議論で、私が便宜的にそう名づけた論説です。
 『荘子』の「万物斉同」論が、人間の思考やイデオロギーに対して適用されたもので、どのような考え方・イデオロギーの間にも、優劣・是非はなく、等価である、という命題です。
(このような形で『荘子』の書物内で明文化されているわけではありませんが、「万物斉同」の議論から類推して、荘子がこう考えていたのは確実と思われます)
 「思考等価説」が論理的にどのように導かれるかは、前回のブログ記事に述べておきましたので、省略します。
 議論の要点は、対立する二つの学説・見解・イデオロギー等の、異なる枠組間では、拠って立つ価値観が異なるため、原理的に比較不能となる、ということです。それゆえ、本質的な違い―優劣・善悪等の対立―は存在しない、との結論が導かれます。
 
 質問その1
 
 さて、常識的には、対立する見解に違いがあるのは当然のように思えます。この見方を、「思考分別説」としておきましょう。
 では、「思考等価説」と「思考分別説」の間には、本質的な違いはあるのでしょうか、ないのでしょうか。
 このメタレベルの質問を、荘子に対してぶつけるとしたら、荘子はどのように答えるでしょうか。
 
 私の予想は、次の通りです。
 
 ―どちらも夢です―
 
 分別的・差別的な「知」の働きに対して、荘子は次のように語っています。
 
「愚か者は自分で目が覚めているとうぬぼれて、あれこれと穿鑿してはもの知り顔をして、君主だといっては貴び牧人だといっては卑しんで差別をする。かたくななことだ」
(金谷治訳注『荘子 第一冊』岩波文庫より、p.83)

 
 身分差別する「知」の働きは“夢”です。
 同様に、「思考分別説」は“夢”といえます。
 では、「思考等価説」はどうでしょうか。
 
「わしがお前に夢の話をしているのも、また夢だ」(同上)
 
 こうした構図の展開は、『荘子』にはしばしば現れます。常識的理解が“夢”である、との理解の仕方もまた、“夢”なのです。
 したがって、「思考等価説」もまた、荘子の世界では“夢”となります。
 ですから、「思考等価説」と「思考分別説」の間に、本質的な違いはない、ということになります。
 そして、私が今導いた想像上の解答もまた、「知」の働きによるものですから、“夢”なのでしょう。
 
 質問その2
 
 次に、対立する見解の間に優劣・是非の判定を下すのが原理的に不可能だとしても、そのことから、それらを「等価」であると看做すことへは、論理的には飛躍があるのではないか、と指摘することができます。
 この仮想質問に対し、荘子はどのように応対するでしょうか。
 
 私は次のように想像します。
 
 ―捉われのない境地への飛躍なのです―
 
 形式的には、確かに論理の飛躍があるでしょう。でも、それは本質的問題ではありません。
 肝要なことは、現実べったりの思慮分別や対立が、人々の精神を疲弊させていること、その分別の世界を相対化することによって精神を解放させること、にあるのです。
 そもそも見かけ上の対立は、対立する論者の主観的立場・拠って立つ枠組の相違に起因します。そのことを諒解すれば、自由無碍の境地で両者の見解を包容できるでしょう。
 
「すべてをこの対立のない無限の境地[無竟]におく」(同書、p.87)
 
 ということが、『荘子』の「思考等価説」の最大の狙いなのです。
 
 *     *     *
 
 『荘子』という書物は、不思議な魅力を秘めています。
 時として近代的な哲学的議論がなされていると思いきや、その枠に収まらない“夢”の視座が導入されたりします。
 この“夢”の視座によって、考察に奥行きと広がりが獲得され、自在な展開がなされているのです。
 
 日常的・常識的世界での対立・差別の現実を、軽やかに相対化し、なおかつ、自らの立ち位置をも“夢”として、高みに置いたりしない。
 『荘子』の「思考等価説」は、現実の世界の深刻さからくる精神の負荷を緩和し、異世界へと精神を遊ばせる思想です。
 
 『荘子』の斉物論篇は、故事となった有名な<胡蝶の夢>の話で終わります。
 なんとも洒落ています。
 
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