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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

“小乗仏教的”生き方と“大乗仏教的”生き方は相補的(その2) 

Posted on 15:31:37

 
 (その1)では、“大乗仏教的”生き方を深めるには、“小乗仏教的”個人的成長が不可欠、という趣旨の考察をしました。
 今回の(その2)では、“小乗仏教的”探求が、“大乗仏教的”にもよりよく生きることにつながったり、“大乗仏教的”意識の在り方を背景にしていたりする事例を提示してみようと思います。
 
 
 宗教や武道の修行と世界に対する感受性
 
 上座部仏教の出家者のような宗教上の修行や、空手や合気道のような武道の修練は、ともに、まず第一に、個人的成長を念頭においている、と見てよいでしょう。
 個人の精神的境位の向上や、未知なる身体的能力の開発を、志していると思われます。
 その意味で、この両者は、前回の記事の文脈で言えば、“小乗仏教的”探求の道程にある、といえます。
 
 ところが、宗教や武道における個人の成熟は、ひとりの人間の変容にとどまりません。
 両者とも、自分自身の精神や身体に対する感受性を高めるでしょうが、それと並行して、対人関係や社会や世界に対する感受性をも養っていくことでしょう。
 個の世界に閉じこもってしまう場合もあるでしょうが、精神や身体の変容、新たな世界観の受容は、世界や他者とのかかわりの在り方を変貌させる潜在力を秘めているのではないでしょうか。
 たとえば、他者の悩みや精神的痛みに対して鈍感であった者が、自然とそれを了解できる心身になるかもしれません。また、この俗世間内で我を張って闘争的に生きることの空虚さを実感するようになるかもしれません。そうすれば、理不尽な相手の怒りや批判に対しても、怒り返したり批判で応じたりすることなく、友好的に振舞えるでしょう。
 怒ることなく、相手や自分を許容する、という、大乗仏教の「忍辱」(にんにく)の徳目が、無理せず自ずと達成される可能性がある、ということです。
 あるいは、精神や身体の変容は、社会問題や自然環境に対する鋭敏な意識を呼び覚ますかもしれません。そうなれば、不条理な社会構造への取り組みや、環境改善への一歩を、強制されることなく踏み出すことでしょう。
 マハトマ・ガンディーの非暴力・不服従運動ように、宗教的指導者が政治・社会的問題に取り組むことがありますが、背後には、宗教的修行による世界に対する感受性の覚醒がある場合が多いのではないでしょうか。
ガンディーはヒンドゥー教徒。真理(サティヤ)の探究を人生の第一の目標としていました。
 このように、“小乗仏教的”探求は、結果として、“大乗仏教的”にもよりよく生きることにつながる可能性を持っている、と私は思います。
 
 では、そもそも、なぜ個人的成長を志したのか。
 動機を振り返ってみると、意識の表層では、特定の能力獲得への自我拡張的な願望があったかもしれませんが、それだけではないでしょう。
 おそらくは、社会や対人関係の中で成長を促されたからでしょう。そして、心の奥底では、自身の未来の成長が結果として社会や世界とつながっていき、貢献できるだろう、という予感を持っていたからでしょう。
 つまり、“小乗仏教的”探求の出発点には、“大乗仏教的”展望の種が蒔かれていたのです。
 
 作曲や学問的探求の陥穽
 
 作曲は、学問的探求と似た面があるだけでなく、宗教や武道の修行とも共通の構造を持っている、と私は考えています。(それについてはリンクしてある以前のブログ記事を参照してください)
 したがって、作曲や学問的探求においても、前節で検討した内容がある程度は該当するでしょう。
 しかし、ここでは、それ以前の問題に注目してみたいと思います。
 
 私にとって、作曲や学問的探求は、自己の内的世界を深化させ、独自の“森ワールド”を提示したい、という欲求に最も強く動機付けられていると思います。
 言い換えれば、“小乗仏教的”個人的成熟を志しています。
 
 ところが、独自の音楽世界や、独自の学術的見解にこだわりすぎると、“独善的”になってしまう危険性があります。
 音楽の場合、20世紀の現代音楽が、この陥穽に嵌ってしまったのではないか、とみています。私の作曲活動も、そちらの方向に向かいがちになる時もあります。
 その独善を防いでくれるのが、歴史的伝統の尊重と、聴衆に対する敬意や聴衆とともにある意識でしょう。
 歴史的に形成された形式・様式にはそれなりの意義・重みがあります。もちろん、その枠組に縛られすぎては新たな世界へと飛び立てないのですが、伝統をある程度は踏まえないことには、共通理解は得られません。
 また、リスナーの反応をある程度は予想して作曲・編曲をしないと、奇抜すぎたり、極彩色になったりと、押さえが効かなくなる懸念があります。
 つまり、対人関係や、歴史的潮流に対する配慮が、独自の世界を構築する作曲にも要請される、ということなのです。
 同様に、学術論文を書く際も、独りよがりの考察に陥らないための防護壁として、先行研究やその学問分野への尊重の姿勢と、同業者や広くはテーマにつながりそうな市民一般に対する敬意や人々とともにある意識が、効いてきます。
 これまた同様に、それらに縛られすぎては飛翔できないのですが、ある程度の土台の共有は必要です。また、研究がどう世界とつながっているかに無関心では、単なる自己の能力誇示のための論文になりかねません。
 やはり学問的探求においても、他者とのかかわりや学問的伝統に対する配慮が要請されるのです。
 換言すると、“小乗仏教的”探求も、“大乗仏教的”意識の在り方を背景にしている、ということです。
 
 また、作曲や学問的探求への渇望の背後に、私の心の深部では、これらの探求がどこかで社会や世界に寄与できるだろう、という信憑があるからこそ、個人的探求を開始できたのであり、継続できているのでしょう。
 
 私の“小乗仏教的”探求は、“大乗仏教的”展望と密接に絡んでいると自覚しているのです。
 
 「為して恃まず、長じて宰せず」
 
 この見出しの言葉は、『荘子』の達生篇に描かれている、“至人”の境地です(金谷治訳注『荘子 第三冊』岩波文庫、p.64)
 “真人”や“至人”は、『荘子』の理想的人物像であり、思想的には、精神の自由・解放や、心の平和を重視する個人的悟達の色彩が濃厚です。それゆえこの言葉は、“小乗仏教的”探求によって達成される境地といってよいでしょう。
 “至人”ともなれば、自らの行為に対して、見返りや賞賛を期待したりしない。人間的成長を果たしても、取り仕切ったり、誇ったり、威張ったりしない。そのような意味合いでしょう。
 自然に任せるからです。
 
 明示的には書かれていませんが、この境地に自ずと至れば、対人関係が良好になるのは確実です。このような人物に怒りの矛先を向けたり、恨みや怨念をぶつけたりする人は少なくなるでしょう。
 もしそうしたとしても、暖簾に腕押しでしょう。
 ということは、結果として、“大乗仏教的”にもよりよく生きることにつながっているわけです。
 
 ここでは、「布施」の構造と似ていますが、逆周りで編み上げられた布置が見られます。
 「布施」の場合、対人関係における贈与的行為をめぐって、個人的成熟―見返りを期待せず、自我の拡大を伴わない姿勢―、が要請されました前回の記事参照)
 この『荘子』の言葉では、逆に、個人的成熟の結果、見返りを期待したり誇ったりしない姿勢がはぐくまれ、対人関係が好転することを示唆しています。
 
 ここでも、“小乗仏教的”探求が、“大乗仏教的”にもよりよく生きることにつながることを示しています。
 
 (その1)(その2)のまとめと考察
 
 (その1)でみたように、“大乗仏教的”生き方を深めるには、“小乗仏教的”個人的成長が要請されます。
 一方、今回検討したように、“小乗仏教的”探求が、“大乗仏教的”にもよりよく生きることにつながったり、“大乗仏教的”意識の在り方を背景にしていたりします。
 この両者の関係は、互いに相手を編み上げ、高めて(深化させて)いく、「ブーツ・ストラップ構造」となっているのではないでしょうか。
 
 “小乗仏教的”生き方と“大乗仏教的”生き方は、向上心をもって誠実に生きようと願う人々にみられる生き方の2類型である、と私は考えています。
 心理学の内向性・外向性とある程度は対応していそうです。
 社会全体としてみれば、この両者はともに必要とされるタイプでしょう。
 ただし、ここまでの考察が示すように、ひとりの人間の中にも、比重は異なるものの、この両者が共存しており、相補的な作用が働き、人間的な成長を後押ししているのではないでしょうか。
 
 社会的観点からも、一個人としても、“小乗仏教的”生き方と“大乗仏教的”生き方は、相補的なのです。
 
 追記
 
 ここまで書いてきて振り返ると、結局、“小乗仏教的”探求の傾向が強い(引き籠もり型の)私の自己弁護に過ぎないのではないか、という疑いは拭い難いようです……
 
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