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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

論文「ラマルクとベートーヴェン」の要旨と本文(その2) 

Posted on 16:34:43


(その1)からの続きです。
 

 この論文の第3節では、問題の二人、分類学者・進化論者ラマルクと、作曲家ベートーヴェンの、主著作と交響曲作品に内在する世界観の構造的分析を行います。
 

 また、第4節では、後の時代の人々が、この二人から、どのような側面を継承していったかを、確認していきます。
 
 (その1)と同様に、この論文の第3節と第4節の要旨を紹介します。
 

 また、付録として、対応する論文の文章を、掲載しておきます。
 

 興味ある方は、ご笑覧下さい。


 

 
 要旨
 

 3.ふたつの作品の世界観-形式と発展のダイナミズム-
 

 ラマルクが1809年に著した『動物哲学』は、進化論が初めて体系的に提示された書物として知られています。しかし、この著作はそもそも、動物の自然分類の体系構築を最大の目標として書かれた書物でした。
 ラマルクは、啓蒙期の体系の精神を受け継いで、動物界の秩序を提示しようとしていたのですが、一方で、自然の秩序を固定的・静的なものとは考えずに、進化という、過去の自然界の発展的変化の観点・歴史的視点を導入したのでした。
 

 もうひとりのベートーヴェンが1808年に作曲した交響曲第5番≪運命≫は、古典派由来の形式的秩序と、ロマン派につながる発展的生成とが共存している作品、と考えられます。
 ベートーヴェンは、伝統的な秩序だった形式を守りながらも、生成・発展的要素を強烈に加味しようとしていたのです。
 

 両者はともに、時代の分水嶺上に位置づけられる人物でした。そして両者は相似た世界観を持っていた、といえます。
 「形式的秩序と発展的生成の共存」、ラマルクとベートーヴェンはこの見方を共有していました。『動物哲学』と≪運命≫はともに、秩序的世界の枠組の中に、発展的世界観を盛り込んだ作品だったのです。
 
 4.後の時代への遺産
 
 生物学史において、19世紀中葉以降、ラマルクは進化論者とみなされ、ラマルクの理論は進化学説と理解されて継承されていきました。彼の形式的秩序をも重視する分類学者の側面は軽視され、発展的世界観の側面のみが引き継がれていったのです。
 

 音楽史においては、ロマン派の作曲家たちは、ベートーヴェンの形式的秩序の側面を比較的軽視し、その反面、発展的側面、ドラマ的生成の要素をしっかりと継承していったといえます。
 

 このように、ラマルクとベートーヴェンに引き続く生物学者や作曲家たちは、二人に共有されていた、二つのタイプの世界観のうちの一方、発展的・生成的世界観を継承していったのでした。形式を重視する秩序だった世界観は、やや軽視される傾向にありました。したがって、二人の後継者たちが二人のなかに見て取ったものには、同型性がある、といえるでしょう。

 
 (その3)に続く。

 
 論文の対応する部分


 

(森幸也「ラマルクとベートーヴェン」『生物学史研究』No.75 に所収)

 
 3.ふたつの作品の世界観-形式と発展のダイナミズム-
 
 さて、この節では、それぞれの代表作ともいえる、『動物哲学』と≪運命≫が内に抱えている世界観を分析し、比較していく。
 はじめに、ラマルクが1809年に著した『動物哲学』について検討していく。この著作は、一般には、進化の学説が初めて体系的に提示された書物として知られる。だが彼の動物研究の文脈からすれば、彼が1793年に自然誌博物館の教授となったとき以来の、彼の専門研究と問題意識の集大成といえる著作である。
 1793年にラマルクは、当時まだあまり研究されていなかった、昆虫類・ぜん虫類の分類研究に着手する。そして、リンネの分類に従った、この昆虫類・ぜん虫類に相当する動物群を、彼は無脊椎動物と名付け(1794)、無脊椎動物の分類研究に取り組み続ける。ラマルクこそが、この新分野を切り開いていったパイオニアなのであった。自らその新分野の方法論や枠組を基礎から構築していくため、彼の著作には、彼の自然観・世界観が明瞭に表明されることになる。
 まず、この研究でラマルクが最も重視したのは、無脊椎動物全体を大きくいくつの綱に分けるべきか、という問題と、その分類区分する際の基準をどうとるか、という方法論的問題であった。実際に彼は複数の著作で、リンネの分類区分の改革を宣言している(17)。また、自然誌博物館の同僚のA.L.ジュシューによって達成された、植物の自然分類の体系に刺激を受け、動物の自然分類の体系構築を志すようになった。
 そして『動物哲学』においては、ラマルクはその第1部の目標として、「動物の自然的秩序の考察と、もっとも適切な、動物界の分類配列と分類区分を提示すること」(18)を掲げている。その目標どおり、第1部の最後の章で、無脊椎動物10綱を含む、動物界14綱の全般的分類表を提示している(19)。その分類表は、ラマルクにとっては、1793年以来の無脊椎動物を中心とした動物の分類研究の大いなる成果であったろう。
 『動物哲学』においてラマルクは、自分が提示する分類は、自然の秩序にきわめて近い分類である(20)、と主張する。では彼は、自分の分類がどんな意味で自然の秩序を反映していると考えたのだろうか。
 分類区分する際、彼が最も重視した分類基準は、神経系の発達の度合いであった(21)。そしてそれを主軸として並べられる、体制の複雑化していく系列を、動物界の全般的配列としている(22)。ここで問題となるのは、なぜラマルクが神経系を分類のための重要な器官と考えたのか、そしてなぜ、体制の複雑化の系列に注目したのか、という点である。
 ラマルクは、そのような基準を採ったときにこそ、もっとも自然の秩序を反映する分類が可能である、と考えていた。なぜなら、ラマルクにとって、自然の秩序(ordre)とは、自然が継起的に動物を生み出していった、時間的な自然の順次(ordre)のことであったからである(23)。そして、その順次がもっとも明瞭に動物に現れているのが神経系と考えられるから、神経系を最重要器官とみなし、それを主軸とする体制の複雑化の系列に注目したのである。
 ラマルクの世代以前には、リンネに代表されるような、神が設定した秩序の反映された分類を目指す、という形があった(24)。それに対してラマルクは、自然の秩序の反映を重視した。そしてその秩序とは、自然の産物である動物が出現してきた、時間的・進化的順序なのであった。
 ラマルクが『動物哲学』第1部において展開した、その進化学説の中心となるのは、歴史的時間継起に伴う、動物の体制の前進的発達の主張である(25)。この学説は、彼の研究の目標と問題意識からすれば、自分の分類とその分類基準の正しさを、支持・確認するために要請される理論、との位置づけとなる。つまり、進化学説は、自然分類のための手段として出現したのであった。
 ラマルクの研究の動機や問題意識は明らかに、18世紀的な啓蒙期の体系の精神、分類・記述の精神を受け継いでいる。言い換えれば、『百科全書』や『博物誌』に共通する“世界のカタログ化”の理念を引き継いでいる。博物学の伝統の中では、リンネ以来の目標―動植物の分類体系の提示―を共有していたのだ。
 だがそれにもかかわらず、ラマルクは自然の秩序を固定的なものとは捉えず、むしろ自然を動的な生成と捉えていた。そのため、現在の秩序の体系を理解するために、過去の自然界の発展的変化の観点、19世紀に引き継がれる歴史的視点を導入した。
 このように、分類に進化的視点を導入したラマルクは、形式的秩序を重視するとともに、従来の固定的秩序に変化・破壊をもたらす可能性のある発展的生成をも重視した。論理的には両立しがたく、対立しかねない二つの世界観が、ラマルクの中では共存していたのである。その意味で、ラマルクはまさに、時代の分水嶺上に位置する人物とみなせよう。
 一方、ベートーヴェンはほぼ同じ時期、1808年に交響曲第5番≪運命≫を完成している。ベートーヴェンの創作の様式や内容は、彼の年齢とともに変化しているため、通例、作曲年代は3つの時代に区分されている(26)。この区分に従うと、≪運命≫の作曲時期は、彼の「第2期」(または中期、1802-1816頃)に含まれる。作曲作業の中心は、1807年中にあった。また、第2期の前半は、いわゆる“傑作の森”の時期にもあたり、彼の創作は、質的にも量的にも絶頂期を迎えていた。
 その“傑作の森”の中核をなす作品群が、M.ソロモンのいう「英雄様式(27)」の作品群である。その作品群とは、古典派ソナタ形式に、攻撃的で破壊的な力や、悲劇的経験や不安とその克服といった要素を組み入れた楽曲群を指す。ソロモンは、この作品群に、フランス革命やナポレオン戦争の影響を見ている。交響曲では、第3番と第5番が含まれる。当時のベートーヴェンの世界観が最も明瞭に表明されているのが、この作品群であろう。
 ベートーヴェンの第2期の作品群の全般的特徴として、たとえば「内容の主観性と形式的な客観性との息づまるような均衡」(28)と評されるように、古典派由来の形式的秩序と、ロマン派につながる情念的要素との両立が挙げられる。そもそも、古典派からロマン派への道筋は、ベートーヴェンの第2期と第3期の創作様式の進展とともに形を成していったともいえる。第3期においては、ロマン派的方向への傾斜の度合いをさらに深めていることを考慮すれば、彼の第2期の作品群は、一見対立するように思われる、古典派的側面とロマン派的側面とが融和し、バランスのとれたものとなった、音楽史上における代表的作品群と考えられる。
 この対立する二側面の混交・融和は、第2期の交響曲(第3番から第8番)に如実に現れている。具体的には、ハイドンやモーツァルトによって確立した、ソナタ形式や、4楽章が基本となる多楽章形式を引き継ぎつつも、その内実はかなり変容を遂げている、ということである。
 まず、ソナタ形式に関しては、ベートーヴェンは、ソナタ楽章を構成する各部分の配置や機能を古典派から踏襲した。しかし、二つの点で、ハイドンやモーツァルトのソナタ形式の枠を破っている。一つ目は、提示部・展開部・再現部のうちで、展開部を従来よりも長くし、より充実したものにしている点。二つ目は、再現部のコーダ領域(終結部)を拡充して、第二の展開部としての機能を盛り込み、実質的に4部構成の枠組にした点。両者に共通するのは、主題の「展開」をより重視する姿勢である(29)。このことは、とりわけ第3番と第5番に顕著に見られる。
 第5番≪運命≫では、ソナタ形式の第1楽章の提示部・展開部・再現部・終結部の小節数が、それぞれ、124・123・126・129となっており、その比はほぼ1:1:1:1である(比較のために、モーツァルトの最後の五つの交響曲における、第1楽章の、提示部・展開部・再現部の小節数比の平均を示すと、1:0.50:1.08である。また、終結部が存在するのはK.550だけで、それもごく短いものである)(30)。したがって、≪運命≫の第1楽章は、確立していたソナタ形式の構造を踏襲しながらも、実質的に二つの展開部を用意して、楽想の展開をより充実させたソナタ楽章の代表例といえる。形式を守りつつも、それに発展的要素を色濃く導入していく。これがベートーヴェンの第2期の基本姿勢であった。
 次に、多楽章形式について。古典派の交響曲の原型は、1770年代にハイドンによって形成されていき、各楽章が採るべき形式や性格の大枠が決まっていった。4楽章にそれぞれ独自の性格が与えられていて、各楽章は独立性の強いものであった。ベートーヴェンの第2期の交響曲は、5楽章のものもある(第6番)が、4楽章が基本で、各楽章のタイプも、第3楽章以外はハイドンのパターンをほぼ踏襲している(ベートーヴェンは第3楽章に優雅なメヌエットの代わりに快活なスケルツォを置くのを好んだ)。だがベートーヴェンは、これに加えて、楽章間に有機的統一性を持たせるさまざまな工夫を行い、一曲の交響曲がひとつのドラマ、あるいは生成発展する統合的有機体となることを目指した(31)。第5番≪運命≫はその典型的事例である。
 ≪運命≫のもつ、全楽章の有機的統一性と発展性と一貫性は、さまざまな側面に見られるが、特に顕著な三点をここでは採り上げてみよう。
 第一に、冒頭の4つの音からなる、いわゆる“運命動機”を、後続のすべての章で、手を変え品を変え用いている点。彼の見事な設計によって、動機は成長し、劇的変容をとげて展開しながら、4楽章を通しての統一性の核となっている。単純明快な動機であるがゆえに、本来の性格を保持しながらも大きな発展の可能性を秘めていたのである。
 第二に、第3楽章スケルツォと第4楽章フィナーレを、移行楽段によって直結し、途切れることなく連続的に演奏するようにした点。この部分にも“運命動機”が利用されている。また、この部分で短調から長調への劇的な転調が起こり、二つの楽章を通じてのドラマ-暗黒から光明へ-が形成されている。この部分に、「苦悩を突き抜けて歓喜にいたる」という彼の人生観を読み取る論者も多い(32)
 第三に、第4楽章中に、第3楽章の最後の移行楽段を再現することによって、伝統的に閉じられていた楽章間の枠をはずした点。これによって、各楽章はそれぞれの個性を有する自立的存在でありつつも、曲全体に対しては従属的位置づけとなる方向性が示された。
 このように≪運命≫は、従来の交響曲の楽章構成を踏まえつつも、いくつものレベルで楽章間の関連性が強められ、生成発展する統合的有機体となった交響曲なのである。
 ソナタ形式の内実の変容の分析と、4楽章形式の有機的統一化の方向性の分析に共通していえることは、ベートーヴェンは伝統的な秩序だった形式を基本的には守りながらも、生成・発展的要素を強烈に加味しようとしていた、ということである。≪運命≫に代表されるこの志向性-形式と発展の両立-こそが、ベートーヴェン第2期の最大の特徴であろう。古典派的な形式的秩序と、ロマン派的な発展的生成が、ベートーヴェンの内部では共存しているのである。
 ここに、当時の彼が置かれた時代状況の反映を見て取ることができるだろう。ドイツやオーストリアでの、啓蒙専制君主による「上からの改革」が、体制秩序を維持しながらの改革であったこと。ベートーヴェンを育んだ街ボンが、先進的大学を持ちながらも、前近代的文化の中心地だったこと。そこでは彼が、大学で学ぶ、宮廷楽士であったこと。こうした背景と、彼の作品に共存する二つの要素の間に、同型性が見られるのは、否定できないであろう。
 したがって≪運命≫は、彼の置かれた時代状況や彼の世界観を、色濃く反映している交響曲とみなせよう。
 ここで、ラマルクとベートーヴェンとの比較に戻る。ここまでの議論から、次の二つの点が指摘できる。
 第一に、両者はともに、時代の分水嶺上に位置づけられる人物であるといえる。分類から進化へと博物学者の目標が変遷していく時代動向のまっただ中に活躍したラマルク。古典派からロマン派へと推移していく時代の流れに乗っていたベートーヴェン。二人とも、ただ時代の流れに乗っていただけでなく、時代を押し進めた張本人でもあった。
 第二に、両者は相似た世界観を持っていたといえる。そして、それを著作や作品を通して表現した。論理的には両立しがたい、形式的秩序と発展的生成の共存、ラマルクとベートーヴェンはこの見方を共有していた。『動物哲学』と≪運命≫はともに、秩序的世界の枠組の中に、発展的世界観を盛り込んだ作品であった。
 こうした両者の類似は単なる偶然ではなく-代表作品の年代が近いのは多少偶然の要素もあるだろうが-、何らかの必然性があったと考えるべきであろう。それは、まず、第2節で検討した時代背景の類似の影響である。さらには、自然探究と音楽表現の両分野に共通する、世界を表現しようとする本源的動機の存在である。こうした背景から、両者の代表作品に宿された世界観の共通性を理解することができるのである。
 
 4.後の時代への遺産
 
 続いてこの節では、後の時代の人々が、彼らからどのような側面を汲み取り、継承していったのかを確認していく。
 まずラマルクの場合だが、彼は通例、「進化論の先駆者」、「ダーウィンの先駆者」、「ラマルキズムの生みの親」といったレッテルが貼られることからもわかるように、進化論関連の人物として捉えられている。このこと自体は、現在の生物学への歴史的な流れを勘案すれば、あながち不当とはいえない。遡及的な歴史の捉え方にも、利点や意味は十分にある。
 ラマルクの時代に即して捉えれば、彼の理論や自然観は進化学説や発展的自然観一辺倒ではなく、分類を重視した形式的秩序の側面もはらんだ、両義的なものであった。だが、上記のようなレッテルが示すように、後世の人々は、ラマルクのほとんど一方の面のみに注目して彼を理解するようになる。分類学者としての側面は軽視され、進化論者とみなされるようになっていった。このことは、ラマルク以降の生物学者たちが、ラマルクから継承したものが何であったかを示唆している。
 実際、19世紀におけるラマルクからの顕著な影響は、もっぱら進化論関連の事柄ばかりである。『動物哲学』の50年後の1859年に、Ch.ダーウィンの『種の起原』が出版されるが、それ以前においても以後においても、ラマルクからの進化論の歴史への影響は無視できない。
 『種の起原』以前の19世紀前半のイギリスでは、ラマルクの理論が、知識人たちに生物進化の事実を容認させる道を拓いていった。1820年代には、フランスで学んだR.グラントが、ラマルクの学説を支持し、生命の直線的発達の考えを語っている。グラントは、ダーウィンのエジンバラ医学生時代の講師であり、ダーウィンへ何らかの感化を及ぼした可能性がある。また1844年には、R.チェンバースが『創造の自然史の痕跡』を匿名で出版し、グラントがラマルク理論と結びつけて理解した直線的進歩の考えを採り入れ、生命は神が設定した進歩の傾向によって徐々に有機化の階段を上り、高次の知性にまで到達するとする説を提起した。さらにまた1851年には、後に社会ダーウィン主義者と呼ばれるH.スペンサーが、「発達仮説」という論文で、獲得形質の遺伝のメカニズムに関するラマルクの説を支持する表明をしている(33)
 つまり、「自然選択説」という要因論が登場する以前のイギリスにおいて、ラマルクの説は、生命が徐々に発達してきたという事実を普及させる役割を演じたのである。
 また『種の起原』以降においては、ラマルクに対する二通りの評価が出現する。ひとつは「ダーウィンの先駆者」として彼を位置づけるものであり、ドイツのE.ヘッケルによる評価に代表される。もうひとつは、ダーウィニズムの対抗馬、「ラマルキズムの提唱者」としての位置づけである。19世紀末期に出現したネオラマルキストたちは、進化の要因論としてラマルクの学説の一部であった「獲得形質の遺伝」を中心軸に据え、ダーウィン流の進化とは異なる説を展開していった(34)。いずれの場合も、ラマルクをダーウィンと比較し、ラマルクを進化論者として扱っている点は共通している。
 このように、19世紀前半においても後半においても、ラマルクは進化論者とみなされ、ラマルクの理論は進化学説と理解されて継承されていった。したがって、彼の形式的秩序をも重視する分類学者の側面は軽視され、発展的世界観の側面のみが引き継がれていったのである。
 ではベートーヴェンの場合はどうだろうか。
 ベートーヴェン以降、ロマン派の作曲家たちはみな、さまざまな意味においてベートーヴェンを継承していった。とりわけ、彼が器楽曲中で最高の形態とみなし、彼によって規模も内容の豊かさも高められた交響曲においては、ベートーヴェンの交響曲の影響を無視しては考えられない。その意味で、ここでは、彼の交響曲のどのような側面がロマン派の作曲家たちに引き継がれ、どんな面が軽視されていったのかを、前節の文脈にそって確認していく。
 まず、ソナタ形式楽章については、ロマン派にいたって、より「展開」が重視されるようになったことと、主題の性格が変質していったことを指摘できる。ロンイアーは、ソナタ形式本来の構造上の性質が薄められ、「全曲これ“展開部のみ”で、… 主題が明確に浮かび上がってこない、という不満」を人々がもつようにもなったと語っている(35)。また、終結部(実質的第2展開部)が長くなり、非常に重要視されるようになった点も指摘している。
 主題の性格に関しては、ベートーヴェンの主題のような、比較的短くて後の展開に適した素材としての主題は少なくなり、主題自体が長い息をもち、一つの主題の内部で生成・発展が感じられるようになっていく。その反面、構成上の緊密さは薄らいでいく。19世紀の第2四半期におけるその代表例としては、シューベルトの交響曲ハ長調≪グレイト≫、メンデルスゾーンの交響曲イ短調≪スコットランド≫などが挙げられる。19世紀後半では、ブルックナーの一連の交響曲がまさにそうであり、形にならない動機の断片が徐々に成長してひとつの主題を形成するに至る。そのため彼の主題が長大化するのは必然である(36)
 このように、ロマン派では古典派で確立したソナタ形式を形の上では引き継ぐが、内容面では形式的秩序の側面は軽視され、ベートーヴェンによって示唆されていた、発展的側面、ドラマ的要素がさらに重視されるようになっていった。
 次に、多楽章形式の構成についてだが、ベートーヴェンの交響曲がもっていた楽曲の堅固な論理構築性は、例外的にブラームスらに引き継がれはするが、全体的動向としてはロマン派では低下していった。その反面、やはりベートーヴェンの交響曲の特質であった物語性、ドラマ的展開の筋書きも重視する姿勢は、多くのロマン派の作曲家にさまざまな形で引き継がれていく。
 たとえば、ベートーヴェンによって示された、楽章間を連続的に途切れることなく演奏する手法は、ロマン派では頻繁に見られるようになる。上記の≪スコットランド≫は、全楽章を連続して演奏する。また、ベートーヴェンの≪運命≫や≪合唱付き≫、メンデルスゾーンの≪スコットランド≫のように、第1楽章が短調で始まり、最終楽章またはフィナーレが長調で終わるという、劇的な構成をもつ交響曲が増えてきた。古典派のハイドンやモーツァルトの交響曲では、こうした構成のものが皆無とはいえないが、そもそも短調の交響曲が1割程度しかなかったことを考慮すると、この構成はベートーヴェンによって定着したパターンといってもよいであろう(37)
 さらに、ベルリオーズの≪幻想交響曲≫やリストの≪ファウスト交響曲≫などによって、表題交響曲の新分野が成立していく。これも、ベートーヴェンの≪田園≫交響曲によって暗示されていた方向性であったが、交響曲の内部に物語的筋書きを用意することで多楽章を有機的に連結するものであるから、楽章間の連続的演奏や、短調から長調への構成パターンと、目指す方向を共有している。すなわち、多楽章を有機的に連結し、そのなかに物語性、ドラマ的展開を織り込んでいく、という方向性である。
 このように、楽曲全体の構成に関しても、ロマン派の作曲家たちは、ベートーヴェンの形式的秩序の側面を比較的軽視し、その反面、発展的側面、ドラマ的生成の要素をしっかりと継承していったといえる。
 こうしてラマルクとベートーヴェンに引き続く生物学者や作曲家たちは、二人に共有されていた、二つのタイプの世界観のうちの一方を継承していった。つまり、発展的・生成的世界観は、19世紀の生物学においてもロマン派の音楽においても引き継がれていったが、形式を重視する秩序だった世界観は、やや軽視される傾向にあった。したがって、二人の後継者たちが二人のなかに見て取ったものには、同型性がある、といえよう。
 
 


(17) J. B. Lamarck, Système des animaux sans vertèbres, ou Tableau général des classes, des ordres et des genres de ces animaux (Paris, 1801), pp.31-33,

   J. B. Lamarck, Philosophie zoolosique (Paris, 1809), 2tomes, pp.119-121.

  以下、この後者の著作を、P. Z.と略記する。また、対応する邦訳書の頁数を[]内に併記する。[ラマルク著、高橋達明訳『ラマルク・動物哲学』(朝日出版社・科学の名著第Ⅱ期・5、1988)pp.76-77]

(18) Lamarck, P. Z., p.15 [p.23]. 傍点部は原文イタリック。なお、distributionを「分類配列」、classificationを「分類区分」と訳した。これは、著作全体でのこれらの用語の使われ方を考慮して訳したものである。distributionclassificationは、当時どちらも「分類」を表す類義語であったが、ラマルクは、この二つの用語に対して、独自の使い分けをしている。この使い分けについては、筆者による次の論文を参照。森幸也「ラマルクの分類概念の謎-秩序の構成空間-」(『生物学史研究』No.60199631-44)。

(19) Lamarck, P. Z., ch.8.

(20) Lamarck, P. Z., p.271 [p.149]. また、『無脊椎動物誌』(注(6)の文献)においても、同様の目標を表明している。「自然の秩序そのものに、可能な限り最もよく従った分類配列を打ち立てるのが、私たちの真の関心である」(Lamarck, Histoire naturelle des animaux sans vertebres, tom.1, p.374

(21) Lamarck, P. Z., p.45 [pp.39-40].

(22) Lamarck, P. Z., ch.5. この章でラマルクは、彼の分類に対する基本理念を語っている。

(23) Lamarck, P. Z., p.269 [p.148].

(24) リンネや18世紀の博物学者の、自然の秩序に対する考え方については、次の文献を参照。James L. Larson, Reason and Experience, the Representation of Natural Order in the Work of Carl von Linné (Berkeley, 1971).

(25) Lamarck, P. Z., p.266 [p.146].

(26) ここでは、グラウト/パリスカの区分に従っている(D.J.グラウト/C.V.パリスカ、戸田幸策他訳『新西洋音楽史()(音楽之友社、1998)p.334)。

(27)  メイナード・ソロモン著、徳丸吉彦・勝村仁子訳『ベートーヴェン・下』(岩波書店、1993)pp.378-379。こうした作品群に含まれる作品として、ソロモンは交響曲以外では、ピアノ・ソナタ第21番≪ヴァルトシュタイン≫Op.53や、三つの弦楽四重奏曲≪ラズモフスキー≫Op.59などを挙げている。

(28) 田村和紀夫・鳴海史生『音楽と思想・芸術・社会を解く 音楽史17の視座』(音楽之友社、1998)p.110

また、ベートーヴェンが古典派の作曲家かロマン派の作曲家か、という位置づけ問題に対しては、一般的には明白な解答はない、とローゼンは言明している(Charles Rosen, The Classical Style, Haydn, Mozart, Beethoven (London, 1997), p.381)。

さらにまた、次のような評価もある。「彼はパラドックスであって、彼の音楽言語が根ざすのは古典派的18世紀である一方、彼の作品がアピールするのはロマン派としてのユニークさによるのである」(ラシュトン、注(13)の前掲書、p.239)。

(29) ベートーヴェンの交響曲の、ソナタ形式における展開部重視の姿勢については、岩井宏之『クラシックのあゆみ①・バロック/古典派の音楽-バッハからベートーヴェンまで-』(音楽之友社、1999)pp.78-81、を参照。

(30) ベートーヴェンとモーツァルトの交響曲の小節数と小節数比の分析は、次の論考に負っている。平野昭「ベートーヴェンの交響曲」(平野昭他編『ベートーヴェン事典』(東京書籍、1999)所収、pp.22-33)。

(31) 交響曲がひとつの統合的有機体となることを目指していた、という内容については、前掲『ベートーヴェン事典』、pp.60-61、を参照。

また、同様の指摘が、ポーリィによってもなされている(R. G. ポーリィ、藤江効子・村井範子訳『音楽史シリーズ4・古典派の音楽』(東海大学出版会、1969)p.249)。

さらにまた、“運命動機”が4楽章を通じて活用されていることについては、多くの指摘がある。たとえば、音楽之友社編『作曲家別名曲解説ライブラリー③・ベートーヴェン』(音楽之友社、1992)p.47(門馬直美執筆、交響曲第5番ハ短調Op.67≪運命≫概説)。あるいは、大宮眞琴「≪エロイカ≫から≪運命≫へ-最初の五つの交響曲に見る継承と探求-」(前掲『鳴り響く思想』所収、pp.238-244)。

(32) この段落の内容については、田村和紀夫『名曲に何を聴くか-音楽理解のための分析的アプローチ-』(音楽之友社、2004)pp.182-188、を参照。

また、「苦悩を通じての歓喜」という彼のモットーについては、門馬直美『ベートーヴェン』(春秋社、2000)pp.21-24、を参照。

(33) 19世紀前半における、進化の事実の受容過程については、次の著作を参照。Peter J. Bowler, Evolution, The History of an Idea, rev. ed. (Berkeley, 1989), ch.5, ch.6 [この邦訳書は、ピーター・J・ボウラー著、鈴木善次他訳『進化思想の歴史()(朝日新聞社、1987)].

(34) 19世紀から20世紀にかけての、ラマルク評価の変遷については、次の著作を参照。Richard W. Burkhardt Jr., The Spirit of System, Lamarck and Evolutionary Biology (Cambridge, Mass., 1977), pp.6-7.

(35) R. M. ロンイアー、村井範子他訳『音楽史シリーズ5・ロマン派の音楽』(東海大学出版会、1986)p.70

(36) 主題の長大化ついては、岩井宏之『クラシックのあゆみ③・後期ロマン派以降の管弦楽曲、室内楽曲-ブラームスからショスタコーヴィチまで-』(音楽之友社、1999)pp.19-20、を参照。

(37) ハイドンについては、知られている107曲の交響曲のうち、11曲が短調の交響曲である。代表的な曲の中では、95番ハ短調Hob.:95が、最終楽章でハ長調に転じている。モーツァルトの場合は、およそ50曲の交響曲のうち、短調のものは、25K.18340K.5502曲である。ともに、ト短調で始まりト短調で終わる。交響曲以外では、モーツァルトでも、短調で始まり長調で終わる構成のものはいくつかある。ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466は、その代表的作品である。


 (その3)に続く。

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