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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

論文「近代科学とバロック音楽誕生の共通構造」の要旨と本文(その2) 

Posted on 17:02:03

 
 上記のタイトルの論文の、要旨と本文です。
 (その1)からの続きです。
 
Orfeo Score
≪オルフェオ≫のスコアの一部。1609年にヴェネチアで出版。
(ハワード・グッドール、松村哲哉訳『音楽史を変えた5つの発明』白水社、p.81 より転載)
 
 興味ある方は、ご覧下さい。
 
[要旨]
 
§5.キリスト教と機械論的世界観
 
 17世紀の科学革命の遂行を担った人々にとって、キリスト教への信仰は、科学的探究に向けての推進力となっていました。当時の自然探究者たちは、神が創造したこの世界の構造や法則性を探り、神の意図を理解したい、といった動機を共有していたのです。
 一方彼らは、おおむね機械論的な世界を想定していました。そして、その世界像の中では、神は枢要な位置を占めていました。
 世界の因果必然的法則性の内容や、運動の初期条件をを決定したり、物質の運動の活力を付与したりするのが、全知全能の神という位置づけです。神の意志・力にこそ機械的世界の秩序の本源がある、と捉えていたのです。
 近代科学における機械論的世界観は、キリスト教と結合し、探究の思想的基盤の両輪となりました。
 機械論的世界観が、「数学的方法」や「実験的方法」と相性がよく、これらの思想的支柱になっていたことは、言うまでもないでしょう。
 
 もう一方の西洋音楽は、中世以来、教会と深い関わりを持ちつつ発展してきました。また作曲家たちは、神によって創られたこの世界の調和的秩序への素朴な確信を、音楽で表現しようとしました。
 西洋音楽の歴史は、キリスト教の宗教意識の刻印なしには考えられません。
 そして、音楽世界の進行は、機械論的世界観とと親和的です。
 音楽は有限種の音符の組み合わせからなり、音楽上のさまざまな規則にしたがって、和声や旋律が進行していきます。また、曲全体の構成においても、形式に則して必然的に進展していきます。音楽は潜在的に、機械論的世界観を内包しているといえます。
 バロック音楽の草創期においては、背景に、長年にわたるキリスト教の宗教意識の薫透と、キリスト教の神概念と結びついた機械論的世界観の波及がありました。これらの影響により、バロック音楽でも、「数学的方法」と「実験的方法」が重要な役割を演ずるようになり、新機軸が次々と登場したのです。
 こうした背景の影響は、初期の近代科学への影響と同型的です。17世紀における科学と音楽の革新には、表面的・個別的な類似がみられるだけではなく、宗教意識や世界観にかかわる構造的照応関係が存在していました。
 
§6.まとめと結論
 
 17世紀の科学革命にみられた方法論上の顕著な革新は、「数学的方法」と「実験的方法」の導入でありました。
 一方、バロック音楽誕生の際にも、「数学的方法」と「実験的方法」が重要な役割を演じていました。
 両者の間には、「世界の編集様式の類似性」があった、といえます。
 この類似性の背景には、キリスト教という共通の宗教意識と、それと結びついた機械論的世界観の波及がありました。これらが科学と音楽の両者の思想的支柱となっていたのです。
 それゆえ、両者の類似性は必然的です。
 
[論文の対応する部分]
 
(森幸也「17世紀前半における、近代科学の確立とバロック音楽誕生の共通構造」『山梨学院大学 経営情報学論集』No.19 に所収)
 
§5.キリスト教と機械論的世界観
 
 前節まで論じてきたように、17世紀前半の科学と音楽の変革において、いずれも「数学的方法」と「実験的方法」が重要な役割を演じていた。この背景には、共通する宗教意識と、共通する世界観が存在し、それらが両者に同様な思想的基盤を提供していた、と指摘できる。
 今日では、科学と宗教は、世界を理解するうえで根本的に対立する立場にある、と考えられがちである。だが、17世紀の科学革命の遂行を担った人々にとって、キリスト教への信仰は、自然界の科学的探究に向けての推進力となっていた。
 科学と宗教の対立の事例として語られがちな「ガリレオ裁判」事件も、地動説支持という理由によるガリレオに対する断罪は“建前”に過ぎず、ガリレオが裁判にかけられた背景には、単純な図式―[地動説・合理的科学]対[天動説・頑迷なキリスト教]―には収まりきらない、複雑な政治的状況や人間関係の確執や異なる次元での対立があったことが、明らかにされている(17)。キリスト教的宇宙像とは相容れない太陽中心説を採用したガリレオにもヨハネス・ケプラー(1571-1630)にもアイザック・ニュートン(1642-1727)にも、探求の動機に宗教的関心があった(18)
 当時の自然探究者たちは、神が創造したこの世界の構造や法則性を探り、神の意図を理解したい、といった動機を共有していたのである。
 彼らは皆、細部の議論に違いはあるものの、おおむね機械論的な世界を想定していた。そして、その世界像の中では、神は枢要な位置を占めていた。
 自然は機械時計の如く、因果法則に従って必然的に運動するが、その法則性の内容を決定したり、物質の運動の活力を付与したり、宇宙像によっては物質や運動の初期条件を設定したりするのが、全知全能の神なのである。神の意志・力にこそ機械的世界の秩序の本源がある、と捉えるのである。
 こうした論理で、キリスト教の神と機械論的世界観とは結びついた。
 そもそも、キリスト教の自然の概念の中には、自然を機械論的に見る下地があった。人間とは独立に超越的な神により創造された自然は、人間とは異質であり、人間の類推や共感を許さない他者となる。自然を、人間とは切り離された「対象的」存在として捉える傾向が、キリスト教にはあった。
 近代科学において、自然から「目的論」や「生命原理」といった、人間的類推と結びつきやすい考察の道具が追放されていったのも、キリスト教が内包していた自然観の構造と親和的な出来事であったといえる。また、18世紀に進化論の萌芽的発想が敵視されていたのも、キリスト教の自然観と機械論的世界観との結びつきを示唆する事態である。
 それゆえ、近代科学における機械論的世界観は、キリスト教の自然観に暗黙のうちに潜在していた構図を、顕在的に極限化した世界観である、とみなせよう。その意味で、機械論的世界観は、キリスト教の信仰とは必ずしも矛盾せず、むしろ整合的であるといえる(19)。そして、この世界観はキリスト教と結合し、探究の思想的基盤の両輪となったのである。
 機械論的世界観が、「数学的方法」や「実験的方法」と相性がよく、これらの思想的支柱になっていたことは、言うまでもないであろう。
 
 さて、もう一方の西洋音楽は、中世以来、キリスト教と深い関わりを持ちつつ発展してきた。
 教会の典礼で用いられる、グレゴリオ聖歌やレクイエムを含むミサ曲の数々が、中世やルネサンス期の音楽史の中核となる作品群を形成していた。また、器楽の中心的役割を担う鍵盤楽器についても、教会におけるオルガンの変遷が、音楽史を主導してきた。
 教会において、厳粛で敬虔な宗教的雰囲気を醸し出す手段として長年用いられてきた音楽には、キリスト教の想念が歴史的に浸透している。ルネサンス期の通常の音律、純正律には、神が創造した宇宙の調和が反映している、と考えられていた。純粋な協和音は、宗教的調和の世界を具現化した響きなのである。また、作曲家たちは、往々にして、曲の発想の霊感が宗教的源泉から湧き出てくる、と感じていたし(20)、作曲という営為を、神の世界創造の御業と類比的に捉えていた。彼らは、神によって創られたこの世界の調和的秩序への素朴な確信を、音楽で表現しようとした(21)
 このように、西洋音楽の歴史は、キリスト教の宗教意識の刻印なしには考えられないのである。
 続いて、音楽と機械論との関連を考察してみたい。
 そもそも、音楽の流れは本来的に、機械論的世界の性質を帯びている。世界が有限種の要素の組み合わせからなり、その変化・運行が、因果法則にしたがって必然的に決定される、という見方を、機械論的世界観とするならば、音楽世界の進行も、この世界観と親和的である。
 音楽は有限種の音符の組み合わせからなり、音楽上のさまざまな規則にしたがって、和声や旋律が進行していく。また、曲全体の構成においても、例えば、提示部―展開部―再現部といった形式に則して必然的に進展していく。もちろん音楽のすべての面を機械論的に説明しつくせるわけではないが、音楽は潜在的に、機械論的世界観を内包しているのである。
 バロック時代に入ると、小節線を伴う大譜表形式の近代的記譜法が普及し始めるとともに、通奏低音に支配される和声構造が明確化する。こうした事態により、西洋音楽に伏在していた機械論的世界観が顕在化してきた、と見ることができよう。音楽に内在していた数学的構造を、明示的に、スコアという座標平面上に表記しようとする試みは、自然界を機械との類比として把握するようになった意識と重なり合う。
 そして、器楽の発達もこの顕在化を助長した。とりわけ鍵盤楽器は、機械論的世界を表現する象徴的機械であった。オルガンもチェンバロも、演奏家がメカニズムを操作することにより、スコアという幾何学的座標平面上に描かれた設計図をもとに、機械論的音楽世界を再現する。そしてその音楽はしばしば、世界の調和的秩序を表現したものであり、その世界とは、神が創った機械仕掛けの宇宙に他ならなかった。
 ≪レクイエム≫という曲種、死者のためのミサ曲も、バロック時代初期に大きな変貌を遂げた。ルネサンス時代までは、声楽合唱のみで器楽伴奏を伴わない“ア・カペラ”様式が一般的だったが、17世紀初頭より、器楽伴奏が伴うのが通例となった。コジモ・デ・メディチ2世の死を悼む追悼礼拝式のための≪レクイエム≫は、1621年にモンテヴェルディを含む複数の作曲家により共同で作曲されたが、器楽による序奏や間奏があり、器楽伴奏を伴う独唱部もあったらしい(22)
 世界観・生命観が如実に反映するであろう「死者のための」ミサ曲においても、器楽によるメカニカルな縁取りがなされるようになった。≪レクイエム≫の変貌は、音楽における機械論的世界観の顕在化を示す代表的事例のように、筆者には思われる。
 また、モンテヴェルディの『オルフェオ』に登場し、バロック・オペラにしばしば登場する全能の神の存在も興味深い。ギリシア悲劇を題材にとっているため悲劇的な結末に終わりそうなところを、大詰めに神が天から降臨し、強引にハッピーエンドに変えてしまうのである。この神は、Deus ex machina と名づけられていた。日本語では「時の氏神」と訳されているが、直訳すれば「機械仕掛けの神」であろう(23)
 この「機械仕掛け」とは、オペラの舞台装置を直接には指していると考えられるが、神の作った世界秩序が機械仕掛けであることも暗示していると思われる。オペラにおけるこの機械仕掛けの神の存在は、キリスト教の宗教意識と結びついた機械論的世界観が、音楽の領域にも波及していたことを示す象徴的事例であろう。
 バロック時代初期のフランスの二人の哲学者、デカルトとマラン・メルセンヌ(1588-1648)は、機械論的宇宙の見方を唱導した代表的人物だが、二人とも、音楽理論書を著している(24)。この興味深い暗合は、偶然ではあるまい。彼らはおそらく、音楽理論に内在する構造と、彼らの世界観との間に存在する親和性を感じ取っていたのであろう。デカルトの場合、ジョゼッフォ・ザルリーノ(1517-1590)の音楽理論の焼き直しに近いらしいが、秩序・比・釣り合い・調和の観点からの考察がなされている点を考慮すると、数学的・機械論的世界観との関連が確実にみられるといえる。
 このように、バロック音楽の草創期においては、背景に、長年にわたるキリスト教の宗教意識の薫透と、キリスト教の神概念と結びついた機械論的世界観の波及があった。これらの影響により、バロック音楽でも、「数学的方法」と「実験的方法」が重要な役割を演ずるようになり、新機軸が次々と登場したのである。
 こうした背景の影響は、初期の近代科学への影響と同型的である。17世紀における科学と音楽の革新には、表面的・個別的な類似がみられるだけではなく、宗教意識や世界観とかかわる構造的照応関係が存在していたのである。
 
§6.まとめと結論
 
 17世紀の科学革命にみられた方法論上の顕著な革新は、「数学的方法」と「実験的方法」の導入であった。これらの方法が、近代自然科学の方向性を定めた。
 一方、バロック音楽誕生の際にも、「数学的方法」と「実験的方法」が重要な役割を演じていた。通奏低音とモノディ様式、小節線の導入を伴う近代的記譜法の始まり、これらは、音楽構造の数学的明示化と、幾何学的座標平面上への楽曲時空間構造の投影、と捉えられる。また、器楽の発達と音律の模索は、職人的技術による実験的探求によってなされた。
 17世紀の自然科学もバロック音楽もともに、理論と実験の試行錯誤の網を世界に投げかけて、新しい世界秩序を編み上げていった。両者の間には、「世界の編集様式の類似性」があった、といえる。
 この類似性の背景には、キリスト教という共通の宗教意識と、それと結びついた機械論的世界観の波及があった。これらが科学と音楽の両者の思想的支柱となっていたのである。それゆえ、両者の類似性は必然的である。
 
 科学史と音楽史は「共鳴」してきた。それは、文化・社会的背景や自然観・世界観を共有し、本質的目標―宇宙・世界・自然を表現すること―をも共有してきたからである。
 17世紀前半における、近代科学の確立とバロック音楽誕生の間に見られる共通構造は、その「共鳴」の一事例であった。
 
 
 

(17) Wade Rowland, Galileo's Mistake, A New Look at the Epic Confrontation between Galileo and the Church (New York, 2012).

 あるいは、ジェームズ・マクラクラン、野本陽代訳『ガリレオ・ガリレイ―宗教と科学のはざまで―』(大月書店、2007)

(18) 地動説の動機については、T. クーン、常石敬一訳『コペルニクス革命』(講談社、1989)A. ケストラー、小野信彌・木村博訳『ヨハネス・ケプラー』(河出書房新社、1977)、などを参照。

 科学的探究と宗教意識との関連については、R.リンドバーグ/R.L.ナンバーズ編、渡辺正雄監訳『神と自然-歴史における科学とキリスト教』(みすず書房、1994)、参照。

 また、ガリレオは次のように言う。「数学的証明が知らせる真理は、神の知恵の知る真理と同じもの」

 ガリレオ・ガリレイ、青木靖三訳『天文対話()(岩波書店、1959)p.160

(19) 伊東俊太郎氏も、同様の見解を述べている。

 広重徹・伊東俊太郎・村上陽一郎『思想史のなかの科学』(木鐸社、1975)p.99.

(20) ジョスリン・ゴドウィン、斉藤栄一訳『星界の音楽―神話からアヴァンギャルドまで 音楽の霊的次元―』(工作舎、1990)pp.134-135.

(21) ジェイミー・ジェイムズ、黒川孝文訳『天球の音楽-歴史の中の科学・音楽・神秘思想-』(白揚社、1998)p.32.

(22) 金澤正剛『キリスト教と音楽―ヨーロッパ音楽の源流をたずねて―』(音楽乃友社、2007)pp.161-162.

(23) 小宮正安『オーケストラの文明史―ヨーロッパ三千年の夢―』(春秋社、2011)pp.46-48.

(24) Rene Descartes, Compendium Musicae, 1650.

 Marin Mersenne, Harmonie universelle, 1636-1637.

 デカルトの著作には邦訳がある。平松希伊子訳「音楽提要」、『増補版 デカルト著作集[4]』(白水社、2001) 、所収。

 メルセンヌの著作タイトルは、日本語では『普遍的和声法』という訳語で定着しているが、「世界のハーモニー」とも訳せるタイトルである。

 

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