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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

論文「近代科学とバロック音楽誕生の共通構造」の要旨と本文(その1) 

Posted on 16:02:49

 
 私は10年ほど前から、科学史と音楽史の比較研究を行ってきました。
 科学と音楽はともに、西欧社会の歴史的・文化的影響を受けてきたため、また、両者とも世界・宇宙を表現しようという根源的欲求を共有しているため、それらの歴史的変遷過程には、顕著な並行性が見られる、というのが私の持論です。
 その1事例として、17世紀における、近代科学の確立とバロック音楽誕生との間にみられる共通構造を、この論文では提示してみました。
 
 このブログでは、2回に分けて、この論文の要旨を紹介し、対応する論文の本文を掲載しておきます。
 興味ある方は、ご覧下さい。

 
[要旨]
 
§1.はじめに
 
 近代科学もバロック音楽も、17世紀のヨーロッパにおいて成立しました。そしてどちらも、その代表的中心地のひとつが、イタリア半島北部です。
 この両者の誕生には、科学や音楽の本質にかかわる構造的類似性が存在していました。
 その類似性とは、両者の方法論の類似性―数学的方法や実験的方法―と、その背後の世界観―キリスト教と機械論の結びつき―の共通性です。
 こうした内容を、この論考では考察していきます。
 
§2.学説形成における数学と実験
 
 近代力学を確立したガリレオが採用した方法は、数学プラス実験、でありました。この方法が、以後の近代自然科学の方法の見本となりました。また、世界の秩序とは、幾何学的空間における数学的秩序・法則性と同等と了解されるようになりました。
 近代生理学の出発点といえる血液循環論を確立したハーヴィも、実験・計算を重視していましたし、生命を物質系として捉える機械論への傾斜も明白でした。
 ガリレオとハーヴィの方法論と世界観は、数学と実験を重視する姿勢や、数学的・機械論的世界観をはらんでいた点が、共通していました。そしてこれらの共通項は、近代自然科学の方向性を定めるものとなりました。
 
§3.楽曲形成における数学
 
 1600年頃から北イタリアを中心にして始まった、バロック音楽の顕著な様相として、オペラの誕生、器楽の発達、通奏低音とモノディ様式や、近代的記譜法の確立、などが挙げられます。
 通奏低音とモノディ様式に関しては、和声構造の数学的明示化、と捉えられます。
 また、近代的記譜法の確立については、音楽構造の2次元座標平面上への提示、といえるでしょう。大譜表と小節線の導入は、音楽の「座標軸化」です。
 これらによって、以前は明示的には表現されていなかった、音楽に内在する数学的構造を、顕在的に表記できるシステムが成立し、普及していったのです。
 
§4.楽曲表現の多様化と実験

 「器楽曲」のジャンルの確立ともに、この時代には、楽器の改良や、新楽器の製作が相次ぎます。ヴァイオリン族の楽器の発達・改良を筆頭に、職人的技術が音楽的表現の多様化をもたらしました。
 そしてそれらは、職人的技術による実験的探求に支えられていたのです。その背景には、近代科学と同様、イタリア・ルネサンス期以来の熟練職人の伝統がありました。
 また、鍵盤楽器の発達と連動して、さまざまな音律の試行錯誤が、演奏者や作曲家と、鍵盤製作者との共同作業でなされました。
 音律の問題の克服に向けて、職人的技術による実験的探求がなされ、その成果がバロック以降の楽曲作品に反映されていったのです。
 器楽の発達と音律の探索は、音楽における実験的精神に支えられて、展開されました。
 この様相は、17世紀の自然科学の展開と似ています。どちらも、理論と実験の試行錯誤の網を世界に投げかけて、新しい世界秩序を編み上げていったのです。
 
(その2)に続く。
 
[論文の対応する部分]
 

17世紀前半における、
近代科学の確立とバロック音楽誕生の共通構造

―世界の編集様式の類似性―

 

(『山梨学院大学 経営情報学論集』No.19 に所収)

 
§1.はじめに
 
 科学史の一般的な見方に従うと、近代科学は、17世紀のヨーロッパにおいて成立した。そして、その代表的中心地のひとつが、イタリア半島北部である。ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)は、フィレンツェとパドヴァで業績を残した。
 一方、17世紀初頭のバロック音楽の発祥の地も、北イタリアである。バロック・オペラはフィレンツェで始まり、クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)は、マントヴァやヴェネチアで活躍した。
 17世紀の科学と音楽の革新が、ともにイタリア北部地域の才能の先導によって展開されてきたことは、よく知られている。また、ともに、ガリレオ親子がそれに深い関わりを持っていたことも、指摘されている(1)。天文学者・物理学者ガリレオ・ガリレイの父ヴィンチェンツォ・ガリレイ(1520年代後期?-1591)は、高名なリュートの演奏家であるとともに、改革派の音楽理論家でもあった(2)
 だが、このような表面的類似性だけでなく、この両者の誕生には、科学や音楽の本質にかかわる構造的類似性が存在していたように、筆者には思われる。
 その類似性とは、両者の方法論の類似性と、その背後の世界観の共通性である。方法論とは、科学的学説や楽曲形成の過程にかかわる方法論のことである。ただし、科学研究において仮説を思いついたり、作曲においてモチーフが湧いてきたりする“ひらめき”の局面ではなく、最初の発想を形にしていく意識的構築過程における方法論のことである。
 どちらの分野でも、前の時代とは異なり、「数学的方法」と「実験的方法」が重要な役割を演ずるようなった。このことは、科学史では通説となっているが(3)、バロック音楽の誕生においても同様のことが言える、と筆者は考えている。
 そして、その方法論の並行的変遷の背景には、共通する世界観―キリスト教と機械論の結びつき―や、当時のヨーロッパやイタリアの歴史・社会的影響があった。
 こうした内容を、この論考では検討していきたい。
 
§2.学説形成における数学と実験
 
 近代力学を確立したガリレオは、自然は「数学の言語で書かれている」(4)と確信していた。彼にとって、世界を理解するとは、数学的言語で世界を記述することに等しかった。そして、実験的根拠に基づいた理論を提示することを志向していた。
 ガリレオの『新科学対話』(1638年)(5)における斜面の運動実験などの業績は、まさに、「数学的自然観」と「実験技術」の相乗効果の産物である。
 落下現象における時間と距離の数量的変化を計測しやすくするため、磨き上げた緩やかな斜面と球体を用意し、落下時間と落下距離との間にみられる数量的関係を把握する。その結果、落下距離は「等時間ごとに1に始まる奇数列を成す」ことを見出す。そのことから、合計の落下距離は落下時間の二乗に比例する、落下速度は落下時間に比例する、という法則性を抽出する。
 さらに、水平方向の等速の慣性運動を示した後、放物体の運動を、水平方向の等速運動と、垂直方向の等加速度運動との合成として捉えている。その結果、放物体の軌跡は、xy座標平面上の、y=-x2 のグラフと相似形となる。
 ちなみに、xy座標平面は、同時代のフランスの哲学者、ルネ・デカルト(1596-1650)によった発案された数学的工夫で、これによって、方程式が幾何学的図形と結び付けられるようになったのである。
 このように、ガリレオが自覚的に採用した方法は、定量的測定実験に基づく数学的法則性の抽出である。簡単に言い換えれば、数学プラス実験、である。この方法が、以後の近代自然科学の方法の見本となっていった。また、世界の秩序とは、幾何学的空間における数学的秩序・法則性と同等であると了解されるようになった。
 ピサで生まれ育ったガリレオが、盛期のイタリア・ルネサンスの影響を被ったことは疑いない。職人と学者の交流による技術と理論との結びつき、古代のアルキメデスの数学的自然観の復活、さらにはパドヴァ大学の学問的伝統―アリストテレスの継承と修正―などが、近代科学の父ガリレオを育んだ。
 ところで、こうした方法論の革新と連動した科学の個別分野の刷新は、力学に限られるわけではない。近代生理学の出発点とみなされる、血液循環論の確立を振り返ってみると、やはり同様の展開が見出される。血液循環論とは、心臓から発した血液が動脈により身体中の組織まで達し、その後静脈により再び心臓まで戻ってくる、という内容の学説である。
 ウィリアム・ハーヴィ(1578-1657)は、イングランド生まれだが、ガリレオの在任中にパドヴァ大学で学び、ガリレオ当時の学問的雰囲気の中で研鑚を積んだ。帰国後は、絶対王政の君主、ジェームズ1世とチャールズ1世の侍医を務めた人物でもある。
 ハーヴィの『心臓と血液の運動について』(1628年)(6)における血液循環理論の論理構築を見ると、観察と、実験と、計算によって十分な説得力を持たせていることがわかる。128種に及ぶ動物の心臓を生体解剖し、拍動・収縮を観察し、弁の配置と構造を調べている。また、血管を縛る実験によって、血液の一方通行を証明している。さらに、半時間程度で心室から体重に匹敵するほどの血液が送り出されることを計算し、血液が戻ってこない限りこれだけの量の血液を補うことはできない、と論じている。
 ハーヴィの着想には、古代ギリシアのプラトンやアリストテレスの発想と、絶対王政下の思考の水路とが混交している。
 自然界の本質は循環であると考え、小宇宙の中心の心臓を、大宇宙の中心の太陽になぞらえている。その一方で、心臓を国王と類比している。どちらも活力や支配の中心だからである。さらに、心臓をフイゴにも喩えていたハーヴィの捉え方は、生物機械論の考え方を助長した(7)
 さまざまな思想的要素が混在していたハーヴィの考察の中から、後の人々は、理論構築と実験・計算を重視する姿勢や、生命を物質系として捉える機械論の萌芽に注目し、近代生理学の見本とみなすようになった。
 ガリレオとハーヴィの方法論と世界観には、分野の違いに起因する細部の違いはあるものの、数学と実験を重視する姿勢や、数学的・機械論的世界観をはらんでいた点については、本質的な共通性があった。そしてこれらの共通項は、近代自然科学の方向性を定めるものとなったのである。
 
§3.楽曲形成における数学
 
 さて、バロック音楽の時代は、通例、1600年に始まるとされる。この年に、現存する最古のオペラ、『エウリディーチェ』が上演されたためである。ヤーコポ・ペーリ(1561-1633)とジューリオ・カッチーニ(1545頃-1618)の作曲による作品で、フィレンツェで上演された。ただし、成功した初期のオペラの代表作は、モンテヴェルディの『オルフェオ』(1607年)である。北イタリアのマントヴァで初演がなされた。
 16世紀と17世紀の境頃から北イタリアを中心にして始まった、新しい音楽の動向に対して、後に「バロック音楽」という名がつけられた。この時代の音楽の刷新の顕著な様相として、音楽史では、オペラの誕生と、器楽の発達、さらにそれらに伴う通奏低音とモノディ様式や、近代的記譜法の確立、などが挙げられる。
 通奏低音と和声的伴奏の上に、単旋律のメロディーが演奏される形をとるモノディ様式は、オペラの役者(歌手)が台詞を朗唱するために開発された音楽スタイルであった(8)。そしてこのスタイルが、以前のルネサンス期の音楽に特徴的な多声部の対位法による複旋律(ポリフォニー)を凌駕し、バロック声楽曲の主流となっていく。
 モノディ様式では、器楽伴奏者は、通奏低音の旋律の音符とその上に数字だけが書かれた楽譜を見て、数字に対応する和音を選びながら、即興で伴奏をする。
 ルネサンス期の多声音楽にも伏在していた和声、複旋律の織りなす音の交差の折々に結果として滲み出ていた和声が、モノディ様式では数値化されて、顕在的構造を現す。ヴィンチェンツォ・ガリレイも提唱したこのスタイルでは(9)、明らかに、和声システムを自覚的に数学的構造として捉えようとしている。
 また、オペラや器楽の発達は、以前とは異なる水準の楽譜を要請した。16世紀末までは鍵盤楽器のための特殊な記譜法にしか見られなかった、上下2段の大譜表や、1小節ごとに小節を区切る“小節線”が、17世紀初頭以降に導入され、さまざまなジャンルで広く使用されるようになっていった(10)。オペラ『オルフェオ』の楽譜は1609年にヴェネチアで出版されたが、そのスコアを見ると、多声部の大譜表と、小節線とが、既に導入されているのがわかる。
 大譜表と小節線の導入は、音楽の「座標軸化」と捉えることができる。音の高さを目安に上下方向の軸が分節化され、音楽の時間的流れに沿った1サイクルのリズム単位に小節線という目盛りがつけられた。
 オペラやオーケストラのスコアは、楽曲の時空間構造を2次元の座標平面に投影した幾何学的設計図なのである。そして、この近代的記譜法の基本型が突如として出現し、普及し始めたのが、デカルト座標の出現にわずかに先立つ17世紀初頭であった。
 デカルト座標平面上に、放物線や楕円などの数学的世界が描かれるのと同様に、スコアという名の座標平面上には、楽曲の数学的構造が描かれる。
 17世紀初頭以降、バロック音楽の作曲家たちは、通奏低音プラス和声伴奏のスタイルを基本とし、近代的記譜法の枠組に添った形で楽曲を構築するようになっていった。以前は明示的には表現されていなかった、音楽に内在する数学的構造を、顕在的に表記できるシステムが成立し、普及していったのである。
 ガリレオ・ガリレイの言葉遣いを真似れば、「音楽の世界も数学の言葉で書かれている」のである。
 
§4.楽曲表現の多様化と実験
 
 バロック音楽時代の初期には、「器楽曲」のジャンルが確立した。中世やルネサンス時代には声楽曲が中心であった。だが、17世紀初頭頃から、声楽曲に対する器楽曲、という区別が明確に意識されるようになり、「カンタータ」(声で歌う作品)に対して、「ソナタ」(楽器で響かせる作品)と名づけられた器楽曲が作曲されるようになる(11)。譜面上でも、バロック時代に入ると、楽器パートが声楽パートとは独立に書かれることが一般的となり、楽器指定も行われるようになる。
 それとともに、この時代には、楽器の改良や、新楽器の製作が相次いだ。ヴァイオリン族の楽器の発達・改良や、オーボエ、ファゴットの誕生など、職人的技術が音楽的表現の多様化をもたらした。
 ヴァイオリンは、16世紀前半に4本弦の形態が定着し、17世紀に北イタリアのクレモナの工房を中心にして、アマーティ一族らの貢献により、格段の進化を遂げる。アマーティ家の中で最も有名なニコラ・アマーティ(1596-1684)は、17世紀の中頃に活躍し、ヴァイオリンという楽器の標準形を作り上げた。そして1700年前後には、彼の弟子たちによってストラディヴァリウスやグァルネリのような完成形に到る(12)
 改良された楽器や、新しく開発された楽器がアンサンブルに導入される際には、さまざまな試行錯誤が繰り返されたと想像される。ピッチの問題や音量・音色のバランス、その楽器の低音部から高音部に至る音域変化に伴う音色変化の微調整、ソロ楽器に向くか否か、などなど。そして楽団や奏者にとって、納得のいくバランスが得られるまで、楽器の改善は続いたであろう。
 それはあたかも、自然科学の探求において、理論的仮説を立て、実験により検証・反証し、新たな仮説を導くサイクルの如くである。つまり、器楽曲の確立と器楽の改良・進化は、職人的技術による実験的探求に支えられていたのである。そしてこの背景には、近代科学と同様、イタリア・ルネサンス期以来の熟練職人の伝統があった。
 ところで、器楽の発達、とりわけ鍵盤楽器の発達と連動して、音律の問題が深刻化した。声楽曲が中心で、転調がほとんどなく、調号(♯や♭)の多い調があまり使用されなかったルネサンス期までは、音律の問題は実践上大きな問題にはなりえなかった。
 音律の問題とは、ドレミファソラシドのそれぞれの音程の間隔を相対的にどのように調整するか、という問題である。
 今日一般に普及している「平均律」という音律は、1オクターヴ12の半音の間隔をすべて等しくとる音律である。平均律の考え方は、16世紀末には存在し、ヴィンチェンツォ・ガリレイもその必要性を主張していたが(13)、実際の鍵盤楽器に用いられ始めたのは18世紀後半で、普及していったのは、19世紀の中葉、ロマン派の時代になってからである。
 平均律では、長3度や5度の音程(ドとミ、ドとソの音程)は純粋な協和音程からわずかに外れる。だが、すべての調で演奏可能で、転調しても相対的な音の間隔が全く変わらない、という利点があるため、純粋な協和音程を犠牲にしたうえで採用されている。
 バロック以前のルネサンス期においては、純正律が基本であった。長3度と5度を純粋な協和音程(波長比または弦の長さの比で4:5と2:3)として、美しい三和音を響かせる。だがこの音律では、他の調で演奏するとゆがんだ音階になってしまい、調号が増えると和音がゆがんだ音になってしまう。ハ長調の純正律の場合、♯または♭が2つ以上ある調での演奏は、実用上役に立たず、限られた調でしか演奏できない音律なのである。
 バロック時代に器楽曲のジャンルが確立し、チェンバロなどの鍵盤楽器の役割が増してくるにつれ、鍵盤楽器がより多くの調で演奏可能となること、ピアノの黒鍵に相当する音を多用できること、が要請されてくる。鍵盤楽器は、調律が固定されていて演奏者による微妙な音程調整が不可能である。そのため、純正律ではない、さまざまな音律が模索された。
 17世紀から18世紀前半にかけて、さまざまな音律が試みられた。代表的なものに「中全音律(ミーントーン)」や「ウェル・テンペラメント」というタイプがあったが、それぞれにも考案者の数だけ異なる音律が存在していたようである(14)
 中全音律では、5度の完全協和を犠牲にし、長3度が純粋な協和音になる組み合わせを増やすことにより、演奏可能な調の範囲の拡大を目指した。筆者の演奏感覚では、♯・♭とも3個までは許容範囲である。だが、平均律に慣れた筆者の耳には、イ長調(♯3つ)や変ホ長調(♭3つ)はやはり相当違和感がある。音階上の音程配列に多少のゆがみがあるため、各調に特有の響きや色彩感が顕著に現れる。
 ウェル・テンペラメントは、いくつかの5度の協和を温存しつつ、長3度の協和もいくつか取り入れるタイプの音律で、ピュタゴラス音律と中全音律のブレンドである。もちろんいくつかの協和音は犠牲にされるが、ウェル・テンペラメントでは実質的にすべての調で演奏可能となった。筆者の演奏感覚でも、どの調でもあまり違和感がない。和音に関しては、平均律よりは響きが良い場合が多い。
 この音律の効果と意味を理解したバロック後期の作曲家、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)は、すべての調で演奏される作品『平均律クラヴィーア曲集』を作曲した。この曲集は、ウェル・テンペラメントの代表格の、ヴェルクマイスターという音律で調律された鍵盤楽器での演奏を念頭において作曲されたらしい(この曲集のタイトルの日本語訳は誤訳である)(15)。ウェル・テンペラメント(不等分音律の一種)は平均律(等分音律)とは異なり、それぞれの調の色合いが異なり、和音が美しく響く調もあれば、旋律が美しく聴こえる調もある。
 さて、こうした音律の試行錯誤は、演奏者や作曲家と、鍵盤製作者との共同作業でなされていった。
 この試行錯誤の歴史的遺物に、1615年にドイツのビュクスブルグで建造されたオルガンがある。このオルガンでは、1オクターヴの鍵の数が12ではなく、14ある。レとミの間と、ソとラの間に、それぞれ半音の鍵が2つずつ作られている。この2つの半音鍵は、中全音律における長3度重視の理念と、より多くの調での演奏可能性とのせめぎあいから産まれた変異形である(16)
 耳と理論を頼りに、仮説を立てて製作・調律し、演奏をして問題点を確認し、再び音律調整の仮説を立てる―この繰り返しにより、いくつかの実用的な音律が得られた。そして、作曲家の表現可能領域を格段に拡げた。
 つまり、音律の問題の克服に向けて、職人的技術による実験的探求がなされ、その成果がバロック以降の楽曲作品に反映されていったのである。
 バロック音楽時代の顕著な特徴、器楽の発達と音律の探索は、音楽における実験的精神に支えられて、展開されてきた。この様相は、17世紀の自然科学の展開と類似している。どちらも、理論と実験の試行錯誤の網を世界に投げかけて、新しい世界秩序を編み上げていったのである。
 

 
(1) L. Shlain, Art & Physics, Parallel Visions in Space, Time, and Light (New York, 2007), p.279.

(2) 津上英輔「新音楽前史―対位法史の中のジロラーモ・メーイ―」、東川清一編『対位法の変動・新音楽の胎動―ルネサンスからバロックへ 転換期の音楽理論―』(春秋社、2008)所収、pp.105-108

(3) たとえば、ジョン・ヘンリー、東慎一郎訳『一七世紀科学革命』(岩波書店、2005)、第3章。

 または、R.S.ウェストフォール、渡辺正雄・小川真里子訳『近代科学の形成』(みすず書房、1980)pp.1-2.

(4) ガリレオ、山田慶児・谷泰訳『偽金鑑識官』(中央公論新社、2009)p.57.

(5) この邦訳は、ガリレオ・ガリレイ、今野武雄訳『新科学対話()()』(岩波書店、1975年)。

(6) この邦訳は、ハーヴェイ暉峻義等訳『動物の心臓ならびに血液の運動に関する解剖学的研究』(岩波書店、1961)

(7) 中村禎里氏は、心臓とポンプの類比に基づいてハーヴィを機械論者とみなす議論を、複数の観点から批判している。

 中村禎里『近代生物学史論集』(みすず書房、2004)、「ハーヴィ研究の現状」pp.176-181.

 この批判は妥当であり、ハーヴィを機械論者とみなすには無理がある。だが、ハーヴィの議論から、後の人々が機械論的生命観を汲み取っていったのも確かであろう。

(8) 皆川達夫『バロック音楽』(講談社、2006)pp.102-103.

(9) Daniel K. L. Chua,Vincenzo Galilei, Modernity and the Division of Nature,in Suzannah Clark & Alexander Rehding eds., Music Theory and Natural Order, from the Renaissance to the Early Twentieth Century (Cambridge, 2001), p.27.

(10) 皆川達夫『楽譜の歴史』(音楽乃友社、1985)p.68.

(11) 金澤正剛『新版 古楽のすすめ』(音楽乃友社、2010)p.156.

(12) ヴァイオリンの歴史については、中澤宗幸『ストラディヴァリウスの真実と嘘』(世界文化社、2011)、第二章、参照。

(13) Chua, op. cit., pp.24-25.

(14) 音律の変遷の歴史については、藤枝守『響きの考古学-音律の世界史-』(音楽之友社、1998)、第四章、参照。

(15) 同書、pp.104-106

 日本語の「平均律」は、一般的には「12等分平均律equal temperament」を指す。だが、この曲の原タイトルは‘Das Wohltemperierte Clavier'。ウェル・テンペラメントであり、平均律ではない。バッハのこの曲集の意図のひとつは、すべての調で演奏可能であり、なおかつ、各調のスケールや響きの個性が現れる音律を支持することだったのであろう。「平均律」では各調の個性は出現しない。「平均律」と訳したのでは、バッハの意図を誤って伝えてしまうことになる。

(16) トマス・レヴェンソン、中島伸子訳『錬金術とストラディヴァリ―歴史のなかの科学と音楽装置―』(白揚社、2004)pp.72-73.

 
(その2)に続く。

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