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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

『荘子』の「朝三暮四」の精神と六波羅蜜の「忍辱」 

Posted on 16:15:02

 
 前々回のブログ記事、<『荘子』大宗師篇「真人」と、斉物論篇「朝三暮四」―世間との折り合い―>の続きです。
 「朝三暮四の精神」あるいは「等価性の諒解」の思想について、上記の記事では説明が足りないと感じたので、補います。
 また、この考え方と、大乗仏教の実践徳目「六波羅蜜」のひとつである「忍辱」(にんにく)との結びつきを、語ってみたいと思います。
 今回は、私の解釈をより色濃く出してみます。
 
 「等価性の諒解」のイメージ
 
 以前のブログ記事では、「朝三暮四の精神」あるいは「等価性の諒解」の思想を、次のようにまとめました。
 
 さまざまな出来事のあいだの「等価性」が諒解されれば、精神の囚われから解放され、「無為自然」の境地に近づく。
 
 では、等価である出来事とは、具体的にはどのようなことなのでしょうか。
 『荘子』では、栄達も逆境も同じである、軍隊を用いて国を亡ぼした場合と、万世にも及ぶような恩沢がもたらされた場合とを区別しない、などの例があります(大宗師篇)
 また、若死にと長命とが変わりないとの見方や、異なる意見の正誤は判定不能であること、夢の世界と現実の世界の判断ができないこと(胡蝶の夢)、などを提示しています(斉物論篇)
 そして、至人の境地として、次のように語っています。
 
「生死によってさえ心を動かすことがない。それをましてや、利害のあらわれなどはなおさら心にとめることがないのだ」(金谷治訳注『荘子 第一冊』岩波文庫より、p.78)
 
 真人、あるいは至人は、上記のような出来事の間の等価性を諒解しているがゆえに、心の平和が達成されている、ということでしょう。
 
 『荘子』に描かれている具体例から連想される、もっと卑近な「等価性」の場面を、私なりの感覚で挙げてみます。
 
 たとえば、どの大学に進学するか、あるいは大学に行かずに就職するかによって、その後の人生は異なってくるだろうが、どの進路を選んだ(選ばされた)としても、それらは等価である。
 どの相手と結婚するか、あるいは結婚せずに独身で生きるかによって、その人の生活は異なるであろうが、どの場合でも、それらは等価である。
 就職についても、それらと同様に、どんな場合も等価である。
 
 もっと些細な例を出してみます。
 私はいま、新しいカメラを購入しようかどうか、迷っています。
 場合によっては(カメラマニアからみれば)ハズレのカメラを買ってしまうかもしれない。相性の良いカメラに出会うかもしれない。
 買わない場合も含めて、どんな選択をしても、何らかの異なる経験をするでしょう。後悔したり、何らかの教訓を得たり、手軽に素敵な写真が取れる浅薄な喜びに浸ったり、するかもしれません。そうした異なる経験の間に、優劣・価値の違いはない、ということです。
 
 そして、人生における選択の局面のさまざまな無数の組み合わせのうち、どんな場合も、結局は他の場合と変わりがない。「朝三暮四」なのです。
 
少し脇道に入りますが、ここで、こうした「等価性」はどんな視座から語られているのか、どんな根拠に基づいているのか、という問題を検討しておきます。
 論理的には、人生の選択のさまざまな場合の間に、優劣や、正誤の判定を下すのが不可能であること、から導かれます(判定不能性は『荘子』のなかでしばしば出てきます。T.クーンの「パラダイム論」における「共約不可能性」の構図と似た議論をしています)。
 ただし、だから等価だ、と言うよりもむしろ、そもそも等価であることが実感されることに対して、理屈付けているように私には感じられます。
 「等価性の諒解」の背後には、『荘子』の大局的な世界観が控えています。自ずと生起する「無為自然」の世界への信頼です。その世界の視座から、「等価性の諒解」を語っているのです。
 だから、“タオ”の流れ、世界の自ずから生起するエネルギーに委ねる生き方を体現している真人は、等価性を諒解するがゆえに、心乱されることがない、というわけです。
(それゆえ真人は「無為自然」の境地に到る、という循環論法になっているようです。だからおかしい、と言うつもりはありません。本質的な事柄は、往々にして循環論法になるものです)
 
 話を戻します。
 「等価性の諒解」の思想の注目すべき点は、それが心の底から諒解されると、「精神の自由・解放」あるいは「心の平和」が得られる、ということです。
 そして、個人としての生き方が変容しますし、他者に対する振舞い方も、自ずと変わってきます。
 
 等価性が諒解されれば、人生をガツガツ生きることはなくなるでしょう。
 人と争うことは少なくなるでしょう。
 批判したり、怒ったりしてもしょうがないと諒解するでしょう。
 言い換えれば、競争原理や自己拡大や征服欲といった、西洋近代文明の根底にあるとげとげしい価値観を緩和することになるのです。
 
 そしてこの思想は、大乗仏教の実践徳目「六波羅蜜」のひとつである「忍辱」と結びつく、と見当がつきました。
 
 六波羅蜜の「忍辱」との結びつき
 
 「忍辱」(にんにく)とは、「耐え忍ぶこと、怒りを捨てること」です。
 私の抱いている「忍辱」の具体的場面は、次のような(対人関係では修羅場の)シーンです。
 批判や悪口を言われても、それに言い返したりしない。批判や悪口を真に受けない。
 殴られても、殴り返さない。怒られても、やり返さない。
 また、自分に対しても、批判したり怒ったりしない(ことも含んでいると私は捉えています)
 
 そうした振る舞いによって、他者を許容し、自己を受容する、という精神を涵養する実践です。
 
 さて、「等価性の諒解」によって自ずと得られた「心の平和」があれば、上記の「忍辱」の振る舞いは、無理なくなされるのではないでしょうか。
 すべての出来事が等価なのですから、争う必要はないし、怒ってもしょうがないでしょう。異なる考え方の間で、優劣・正誤の判定は原理的に不能なのですから、何を言われても気にすることはないでしょう。暴力を振るわれたとしても、人生におけるどんな経験も等価なのですから、ムキになってやり返すこともないでしょう。
 
 『荘子』には、「忍辱」の態度に明確に対応する記述はないかもしれませんが、真人の「心を動かすことがない」と言う描写は、その射程圏内に「忍辱」を含んでいるように感じます。
 「無為自然」の境地と一体となった真人の穏やかな精神ならば、「忍辱」の振る舞いが自ずとなされるでしょう。
(ただし、真人ならばそもそも、「忍辱」を用いざるを得ない修羅場を自ずと回避するように、行動するような気もします)
 
 「等価性の諒解」は、小乗仏教的な(独善的な悟りの)においのする思想ですが、その実践局面においては、他者に対する自然な配慮ともつながっている、社会性のある精神の在り方ともいえるのです。
  
 ここまで書いてきたら、『荘子』から「無用の用」という言葉が響いてきました。
 
【蛇足】大乗仏教における「忍辱」の思想的脈絡
 
 今回の議論では、「等価性の諒解」と「忍辱」との結びつきを考察してきましたが、「忍辱」は、本来、大乗仏教の主要概念ですから、大乗仏教の思想構造の中に位置づけられるはずです。
 十分な確信があるわけではないのですが、たぶん、こんなことなのだろう、という私の感触を語ってみます。
 
 大乗仏教には「一切衆生悉有仏性」や「如来蔵」の世界観があります。この世界のすべての存在物に、仏性や仏様の胎児が宿っている、活力・生命力が秘められている、という汎神論的世界観です。
 では、こうした世界観を実感するようになると、その人の心・精神はどうなるでしょうか。
 
 周りの世界や人々、隣人に対して優しくなります。
 また、心が穏やかになります。
 自然にそうなるでしょう。
 相手に対して怒ったり、憎んだり、妬んだり、恨んだりしなくなるでしょう。
 相手にも仏性が宿っているからです。
 あるいは、争ったり、暴力を振るったり、悪口を言ったりしなくなるでしょう。
 そして、暴力や悪口に対しても、やり返したりしなくなるでしょう。
 
 これらのことは、六波羅蜜のひとつの「忍辱」に対応します。
 さらに、世界に対する根本的な信頼が生じますから、恐れや取り越し苦労も減っていくことでしょう。
 
 こうしたことが、おのずと、無理なく生じる可能性を秘めているのです。
 強制的でない、自発的な「忍辱」が実現されるのです。
 
 つまり、「忍辱」のような「心・精神の自発的統御」の可能性は、大乗仏教の汎神論的世界観に基礎づけられる、ということです。
 
 大乗仏教の汎神論的世界観のもつ思想的展望については、機会を改めて論じてみたいと考えています。
 
 まとめ
 
○「朝三暮四の精神」あるいは「等価性の諒解」→自発的「忍辱」
 かつ
○大乗仏教の汎神論的世界観→自発的「忍辱」

 
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