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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

作曲は何と似ているか(4)研究論文の執筆と似ている 

Posted on 15:28:47

 
作曲は何と似ているか(3)の続きです。
 
 これは作曲とよく似ている、と私が感じたいくつかの事柄を取り上げて、なぜ似ていると感じたのかを検討していくシリーズです。

 
 研究論文の執筆と似ている
 
 作曲はもちろん、絵画を描いたり、小説を書いたりする活動と似ています。芸術作品の創作には共通する点がたくさん存在しますから、当然です。
 さて、研究論文の執筆は、芸術作品の創作全般と似ているところがある、と私は感じているのですが、ここでは論文執筆と、曲の創作とを比較してみたいと思います。
 
 研究者としては論文の本数が少ないので心苦しいのですが、少ない執筆経験からも、論文書きは作曲の過程と似たところがある、と常々感じてきました。
 研究論文に必要な要素をいくつか挙げると、独自の主張点(アイディア)、主張を支持する根拠・理由、主張を展開する論理構成、などでしょうか。
 
 独自の主張点は、曲作りで言えば、提示部のメロディーのようなもので、作品の基調となる主旋律に相当します。このアイディアはどこから出てきたのか、どのようにして思いついたのか、を振り返ってみると、作曲のモチーフの湧出と同様に、直観、あるいは潜在意識の働きが作用しているのは間違いないと思います。
 
 また、支持する論拠に関しては、背後に膨大な研究の積み重ねがあり、その一部分を主張点の足場として活用している、というのが一般的でしょう。
 作曲における和声付けやオーケストレーションも、背後の膨大な音楽聴取経験や理論的研究に支えられて、それらの経験が滲み出るように色づけされている、と私は理解しています。
 
 そして、論文でも曲でも、全体の論理構成が不可欠です。論文の場合、意識的・論理的に構築作業を進めますが、自己生成的に、全体の構成が見えてくることもあります。
 作曲でも、曲の細部の自然な自己展開からおのずと全体が決まってくることもあれば、意識的・論理的に構築作業を進める場合もあります。
 
 つまり、潜在意識の働きと、過去の経験の荷重と、意識的構築との混交的相互作用で、論文も曲も出来上がってくるのです。ただし、潜在意識の働きの占める割合は、作曲のほうがずっと大きいと感じています。
 
 また、創作も論文書きも、自己の内面世界と、現実の世俗的世界との折り合いをつける、という意味がありそうです。
 ある一定の形式に盛り込んでいくことにより、混沌としていたアイディアや思考の断片が分化・整序化し、他者との交通が可能になっていくからです。
 自分自身に対する理解がより明晰になるとともに、他者と共有している土俵上で、何らかの事柄が伝達され、それらが世界の網目の上で位置づけられることになるからです。
 
 さらに、完成した論文も楽曲も、作者の個性や人間性といったものがどこからともなく匂ってくる、という点でも似ています。
 
 作曲は何と似ているか(1)~(4)のまとめ
 
 
楽曲創作の過程は、世界の生成と似ています。
 完成した曲は、世界の縮図、ミクロコスモスです。
 作曲の出発点は、到来する気配に敏感になることです。
 曲作りにおける精神の運動は、人間のさまざまな精神的営為と似ています。
 その営為によって、精神の変容が伴う、というタイプの営みです。

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