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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

シンプルに生きる、とは 

Posted on 11:28:10

 
 「シンプルに生きたい」と、常々思います。
 今回は、このテーマをめぐって考えてきたことを、記しておきます。

 
 「シンプルに生きる」とは、私にとって、具体的な行動としては次のような内容がイメージされます。
 
◎必要なことだけする。
◎必要なものだけ持つ。
◎必要な量と内容だけ、食べる。
 
 自分の行為・所有・食事などにおいて、必要性を明確に認識して、余計な欲望がらみのことに手を出さない。それが、「シンプルに生きる」ということではないでしょうか。
 
 現代社会は、さまざまな方面から、我々の欲望を刺激してきます。それらに乗せられてしまうと、ついつい、不要なインテリアや服などを買ってしまったり、贅沢な外食をしてしまったりしがちです。
 そして、そうした感覚的経験が、精神に蓄積され、自我の肥大を招きます(自分の趣味に合った部屋とか、自分好みの純米酒・料理店、などといった無意味なプライドや自己イメージが形成されてしまいます)
 「シンプルに生きる」のを妨げているのは、心地よい感覚的刺激などを求め、欲望を満たし、経験を蓄積しようとする、不埒な自我の働きではないでしょうか。
 
 しかし、こうした連鎖に巻き込まれてしまうバカバカしさを十全に気づくなら、欲に駆られた不要な行動から自ずと距離を置くようになるでしょう。
 そして、ニーズに見合ったことのみをすることに、心地よさを感じるようになるでしょう。
 つまり、「シンプルに生きる」とは、必要性と欲望とを切り分け、必要性を中心とした節度ある生き方をする、ということだと、私は考えます。
 そしてそれは、自分の精神の入り組んだ動きを深く感受し、精神のざわめきに乗せられないでいるならば(作為や自己正当化を手放すならば)、自ずとそうなっていくように感じられます。
 また、生存のために何がどれだけ必要であるかは、思考によって知的に理解されるというよりもむしろ、身体の声に耳を澄ますことによって了解されてくる事柄でありましょう。よって、「無為自然」の生き方の境地が深まるほど、シンプルな生き方になっていくのではないでしょうか。
 
 卑近な言葉で言い換えると、「シンプルに生きる」とは結局、「欲をかかないで生きる」ということでしょう。それも、不要な欲望を抑え込むのではなく、自ずと、そうなっていくのです(抑圧された表層的なシンプルさは、シンプルに生きているとはとても言えない代物でしょう)
 だから、こうした生き方は、「無為自然」の生きざまが滲み出てきた生き方、ともいえそうです。
 それは、精神が拘泥してきた、ゴミのような執着を手放す過程でもあるでしょう。
 
 そして、このように生きていると、世間的に「何者かでありたい」「何者かになりたい」「認められたい」といった(不必要な自我の)欲求も雲散霧消していき、心穏やかに生きられるようになるのです。
 逆に言えば、「何者にもなろうとしていない人」こそが、「シンプルに生きている人」なのかもしれません。


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ジャンル - 心と身体

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