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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

朝三暮四と無為自然との結びつき 

Posted on 08:54:41

 
 中国の古典『荘子』に出てくる有名な故事、「朝三暮四」の思想の本質を理解すると、それが老荘思想の根幹の「無為自然」と深く結びついていることがわかります。
 そのことを、今回は書き留めておきます。

 
 「朝三暮四」の故事は、表面的には、サルの愚かさをあざ笑っているように見えますが、その逸話の裏には、奥深い思想が秘められている、と私は認識しています。
 それは、人生において、どのような経験に遭遇しようとも、「それらは結局のところ、等価である」という考え方です。
 人生の岐路において、どのような選択をしても、あるいは、入学試験や事業などに成功しても失敗しても、その人の人生における、それらの経験の価値は変わらない、ということです。
 このような解釈が不適切ではないことは、「朝三暮四」の故事が、『荘子』の内篇の「斉物論」篇に収録されていることから見当がつきます。「斉物論」で展開されている哲学が、「すべての価値観は等しい」という無差別の思想だからです。
 
 この荘子の思想、どのような経験も等価である、という考え方を、仏教思想の視座から見ると、より理解が深まるように思います。
 なぜ等価なのか、と言えば、まず、どのような状況も、それらは必ず「諸行無常」と見ることができます。その意味で、等価です。
 また、仏道修行の観点からすれば、どのような経験も、「修行」あるいは「瞑想」の対象となるため、やはり、等価なのです。
 仏教でも老荘思想でも、世間的な価値観とは別次元の尺度で物事を考えます。世間と関わる経験は、どれも仮のものにすぎません。その意味でも、等価なのです。
 
 さて、上記のように「朝三暮四」を了解すると、その思想は、「無為自然」という老荘思想のエッセンスと自ずとつながっていきます。
 どのような状況も、どんな選択をしても、価値が変わらないならば、「人為」や「意志」をさしはさむ必要はなくなります。
 それゆえ、自然の流れに逆らわず、自我や執着を手放して、自然の流れに身を任せればよい、ということになるわけです。
 それが「無為自然」ということでしょう。
 
 このように、『荘子』に所収の故事、「朝三暮四」の思想は、老荘思想の根幹の「無為自然」の理念と直結していたのです。
 私はいつのころからか、「朝三暮四」と「無為自然」のセットを、座右の銘のひとつとするようになりました。


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