FC2ブログ

08 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. » 10

作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

宗教学と科学史の視座 

Posted on 08:39:00

 
 最近私は、自分の研究テーマの必要性に駆られて、宗教学の学習を始めました。そこですぐさま気づいたことなのですが、宗教学の学問的位置づけや視点は、私の専門分野である科学史の位置づけや視点とよく似ているようなのです。
 今回は、そのことを整理してみようと思います。

 
 宗教学の研究者、中村圭志氏は、「宗教」と「宗教学」との違いを、分かりやすく、何通りかの表現を使って、述べています。
 
「宗教は信じるもの。宗教学はその宗教を観察し、比較するもの」
「宗教は教えを信じたり実践したりするもの。宗教学はそんな信者たちの信念や実践を客観的に眺め、宗教ごとの違いや共通点を見ていくもの」
「宗教は社会や文化の現象です。宗教を文化として客観的に眺めるのが宗教学です。まあ、社会学とか、文化人類学とか、民俗学なんかに近いですね」

(中村圭志『面白くて眠れなくなる宗教学』PHP、2018年、pp.14-15)
 
 また、宗教学者が必ずしも特定の宗教を信仰しているとは限らないことも、中村氏は指摘しています。
 
 このような宗教学の立ち位置は、科学史の研究スタンスと、かなり近いものです。
 科学史研究者は、必ずしも自然科学の営みや進展に対して、肯定的にとらえるとは限りません。特定の技術的領域(例えば原発や遺伝子組み換えなど)に関して批判的立場をとることもあります。また研究者によっては、自然科学の営み自体を「悪」と見做したり、その根幹の思想を否定的に捉えたりしています。
 つまり、科学史研究者は、「科学教」の信者であるとは限らない、ということです。
 そして、科学者の思考様式や実践過程を客観的に眺め、時代や地域ごとの違いや共通点を探っていくのが、科学史研究という学問の基本姿勢です。
 また、科学史では、自然科学の営みを、歴史や社会動向との相互作用の相において吟味をしていきます。科学という分野を、ひとつの文化的領域としてみているのです。その意味でも、科学史も、「社会学とか、文化人類学とか、民俗学なんかに近い」といえます。 
 結局、宗教学も科学史も、それぞれの対象にのめり込まず、中立的な立ち位置から、それらの営みを文化的現象として吟味していこう、とする学問といえます。
(ただし、「中立的」といっても、このような学問姿勢が望ましい、と見做す現代のアカデミズムの前提自体が、ある種のバイアスとなっていることは、否定できませんが)
 どちらも、宗教や科学に帰依することなく、それらを相対化し、批判的検討を加える学問分野、という点において、宗教学と科学史とは、立ち位置と視点が近い、といえます。
 そして両者とも、人類の「真理」という概念にまつわる探究の歴史を振り返り、人類の知的営みの意義・本質を探る、という点においても、共通していると感じます。
 

関連記事
スポンサーサイト



テーマ - 文明・文化&思想

ジャンル - 学問・文化・芸術

△page top

△page top

Secret

△page top

トラックバックURL
→http://wood248.blog.fc2.com/tb.php/279-e75c63ad
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

△page top

ブログ

カテゴリ

全記事一覧リスト

最新記事

コメントをどうぞ

最新コメント

最新トラックバック