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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

地球や生命の歴史と仏教的世界観―不生不滅― 

Posted on 11:59:18

 
 『般若心経』を、ティク・ナット・ハンが解説している講話録を読んでいたら、そこに立ち現れてきた世界観が、近年の自然科学が提示している地球や生命の歴史の背景にある自然観と、共振しているように感じました。
 たまたま、私は最近まで、地球や生命の歴史研究の背景の世界観に関する、科学史・科学哲学的な検討をしていたため、私の中で仏教思想と科学史研究とがシンクロし始めたのです。

 
 ティク・ナット・ハンという導師は、ベトナム生まれの禅仏教系統の指導者で、平和運動家でもあるそうです。
 初めてこの人の本を手にしたのですが、実に分かりやすく、すんなりと言いたいことが伝わってきました。
 
馬籠久美子訳『ティク・ナット・ハンの般若心経』(野草社、2018年)
 
 さて、この著作の第6章では「不生不滅」という一節を解説しています。
 この仏教哲学的な概念を聴き手に理解してもらおうと、ティク・ナット・ハンは、さまざまな喩えを持ち出します。それらは、私に対しても、とても説得力がありました。
 雲、紙、葉っぱ、私の心身、など、どれも因縁によって形が形成され、やがて形は変容してしまうけれど、無の状態から生じるのではなく、また、無に帰してしまうのでもない、という趣旨のことを語っているのです。
 例えば、雲は、空に浮かぶ前は、「大海の水でした。太陽が放った熱でした。空に昇っていく水蒸気でした。…雲は死んでいません。雨や霰や雪となり、やがて川となり、私のこの両手の中の茶碗に入ったお茶となりました。そのように、雲の本性は不生不死なのです」(p.72)と説きます。
 また、紅葉した葉っぱはやがて枯れて散りますが、春から夏にかけて葉っぱでの光合成によって作られた養分は、木の本体内部に移行して木を養っています。あるいは、光合成で放出された酸素が他の生き物を養ってもいます。よって、葉っぱは見かけ上は落ち葉になっても、木の中にある命やほかの生き物につながっているのだ、と語ります。
 人間の心身も同様です。私たちは、受胎するずっと以前から、存在していました。
 
「私は大地、水、空気、火からできています。私が飲む水は、かつて雲でした。私が口にする食べ物は、かつて太陽の光であり、雨であり、大地でした。…私たちは大気、太陽光、水、菌類、植物として存在してきました。単細胞生物だったときもありました」(p.71)
 
 このように、自然界の循環や、生命の連鎖の中に、人間の存在を位置づけることによって、人間のいのちもまた「不生不滅」である、と話すのです。ティク・ナット・ハンは、人間の存在を、「地球や生命の歴史」上に位置づけている、と言ってもよいでしょう。
 仏教思想の用語を使うならば、この世界のどんな存在も、独立自存した実体ではない、つまり「空」である、ということです。だから、無の状態から新たに何者かが生じることもなく、滅びてしまうこともない―不生不滅である―、と理解されます。
 それゆえ、ティク・ナット・ハンによる「不生不滅」の解説は、仏教の根本思想の「諸行無常」や「諸法無我」を踏まえた、オーソドックスな説法と私には感じられました。
 
 ところで、上記の引用のような、「輪廻」の現代的解釈は、近年の地球科学や生命科学が提示する、地球や生命の歴史における背景となる世界観と、とても相性が良いように思います。
 1990年代以降、宇宙・地球・生物の歴史的変遷の過程の詳細が明らかになるにつれて、それら3者はたがいに作用しあい、応答しあっている、といった世界観が、研究者の間では浸透してきたようです。
 銀河宇宙線が増大していた時期に、超氷河期が到来していた可能性があります。あるいは、光合成細菌の誕生によって放出された酸素によって、地球環境は大きく変貌し、鉄鉱床が作られたり、オゾン層が形成されたりしたようです。また、地球上の大陸面積の急増時期直後に、栄養分や光合成の条件が整い、カンブリア爆発という生物の急速な多様化・大型化・複雑化が進行した、との仮説もあります。このような様々な因果連鎖が推測されるようになりました。
 それらの、スノーポール・アースやカンブリア爆発のような特異事象に対する要因論には、近年普及してきた、「宇宙・地球・生命の相互応答的世界観」が影響を及ぼしているように、私には思われます。
 それぞれの特異事象は、それ以前に起きた、あるいはほぼ並行して進行している、それ以外の事象からのさまざまな因果連鎖によって理解される、という説明図式が普及しつつあります。
 その世界観には、どの特異事象も「独立したイベントではない」という、暗黙の了解があるとみてよいでしょう。そうであるならば、この自然科学における世界観は、仏教の「空」の概念―「独立した実体は存在しない」との思想―と共振しているように、私には感じられます。
 
 近代科学が成立した17世紀以降、自然科学における世界像は、「法則に統御された世界」が基本でした。ガリレオやニュートンの時代においては、その法則は、神によって与えられた法則と把握されていましたが、やがて神は“棚上げ”され、「普遍法則による支配」のみが残りました。
 スノーポール・アースやカンブリア爆発がなぜどのようにして生起したのか、という要因論に関しても、20世紀までは、「普遍法則による支配」の図式に何とか収めようと試みていた様子が歴然としています。
 スノーポール・アースの要因論では、1990年代には、「二酸化炭素濃度の減少による急激な地球寒冷化」の図式に落とし込もうと、かなり無理筋な努力がなされていました。また、カンブリア爆発の要因論でも、20世紀中は、「遺伝子の突然変異と環境変化への対応、生存競争と自然選択」というネオ・ダーウィニズムの図式に乗せた説明が主流でした(これらの議論については、ブログ記事<スノーボールとCO2―流行に左右される要因論・その1―><カンブリア爆発における地球史的要因―流行に左右される要因論・その2―>をご参照ください)
 ところが、21世紀に浸透しつつある新たな説明図式では、キリスト教の神の残滓がまとわりつく「普遍法則による支配」の図式の束縛からやや距離を置いて、個別具体的なさまざまな因果連鎖の複層的な作用を重視するようになってきたように見受けられます(普遍性から、個別・具体性への焦点の移行)
 この事態は、より仏教的な「縁起の世界」、相互依存的な世界観への接近、と私には感じられます。
 科学理論の背後に伏在する宗教的な世界観が、この数十年の間に大きな地殻変動を起こしていた、現在も起きつつある、と私は認識するようになりました。
 このポイントは、今後の私の研究テーマのひとつになりそうです。


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