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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

愛用スピーカー、YAMAHA NS-1classicsを手放す 

Posted on 06:34:29

 
 先月(2018年11月)末、長年愛用してきたヤマハのスピーカー、NS-1classicsを手放しました。
 その際、さまざまな過去の記憶が去来しました。その想起のいくつかを、書き留めておこうと思います。

 
 手放すことを決めたとき、そのスピーカーが売れるものかどうか判断できなかったため、オーディオ買取りを行っている業者をウェブ上で探し、3店に問い合わせをしてみました。
 どうやら買い取ってもらえそうだと見当がついたので、『オーディオの買取り屋さん』という業者を選び、出張買取りに来てもらいました。1万円で引き取ってくれました。
 
 私は、このNS-1classicsを、1994年に購入しました。大学非常勤講師と塾講師をしていた頃です。
 何度か、持参したCDをオーディオ販売店で試聴し、その優美な音質に惚れこみ、ついに購入したのでした。その時の試聴用のCDが何であったかも、思い出しました。
 モーツァルトのピアノ協奏曲27番(内田光子のピアノ)と、ウィリアム・バードのミサ曲(タリス・スコラーズの演奏)のCDでした。
 
 1980年代後半の大学院時代から、現在に至るまで、半分引き籠もりのような生活を続けている私にとって、良質のオーディオシステムは、必需品でありました。
 そのスピーカー購入後、20年余りの間、CDプレーヤーやアンプは何度か買い換えましたが、メインスピーカーは変わることはありませんでした。
 2度ほど、とても魅力的なスピーカーに出会い、買い替え、または買い足しを検討したことがありました。そのスピーカーとは、ひとつは、ソナスファーベルのミニマ、もうひとつは、ダリのメヌエットです。
 どちらも、音場の拡がりが豊かで、艶やかな色合いが乗るような感触でした。それぞれ、そのスピーカーの個性がかなり感じられ、その個性も捨てがたかったのですが、よりナチュラルなNS-1classicsの方が私には好ましい、と2回とも同じ結論に達し、購入を止めたのです。
 そんなことも想起されてきました。
 
 ヤマハのそのスピーカーは、クラシック音楽とジャズに相性がよく、私の音楽趣味とマッチしていました。
 ドビュッシーやディーリアスやフランクなどの管弦楽曲を、彩り豊かに再生してくれましたし、重厚なブルックナーの交響曲も、聴きごたえ十分でした。
 また、ルネッサンス期の教会音楽、パレストリーナのミサ曲ややヴィクトリアのレクイエムなども、潤いのある声を再現してくれました。
 さらに、アート・ファーマーのトランペットやアート・ペッパーのサックスなど、中高音域の管楽器を、実によく歌わせていました。
 
 そんなお気に入りのスピーカーだったのですが、次のような事情から、ほとんど使わなくなり、手放したのです。
 私は、2000年頃から音楽制作を自宅で始め、自作の管弦楽曲を、PCと音源モジュールなどの周辺機材を用いて、再現する試みを続けています。その制作システムで、2008年に導入した第2代目のモニター・スピーカーが、ALR JORDANのEntry Siというモデルでした。
 Entry Siは、解像度と原音に対する忠実さが申し分のないスピーカーで、モニターとしては最適なのですが、音楽鑑賞にはやや不向きかな、と当初は感じていました。ところが2017年夏、そのシステムで用いていたティアックのアンプが故障し、新たにティアックのAX-501というアンプに替えたところ、音楽制作のみならず、音楽鑑賞にも十分に適合するシステムに変貌を遂げたのです。
 繊細な表現力が加味されたと感じました。また、小音量時の再生能力がさらに向上しました。
 リビングルームにあるNS-1classicsによるCDの演奏と、書斎兼スタジオにあるEntry Siによる再現とを比較すると、一長一短ではありました。NS-1classicsは、ゆったりとした穏やかな音楽表現については見事なのですが、解像度はEntry Siに比べるとやや劣り、じっくり聴き比べると、瞬発力・反応速度がやや鈍いかな、と感じられてきました。
 やがて、2018年、今年の正月以降、NS-1classicsを使わなくなりました。音楽鑑賞用としても、Entry Siの方が総合的に見て好ましい、と感じるようになっていました。年齢を重ねるとともに、小音量でのリスニングが常態となってきたことが、大きく作用していたと思います。
 そして、使わなくなっておよそ10か月が経過し、愛用のそのヤマハのスピーカーを手放す決断をしたのです。
 
 また、50代後半の年齢となり、残りの余禄の人生において、あまり持ち物を持っていない方がよい、と考えるようになってきたことも、その決断の後押しをしていたと思います。
 このスピーカー放出の一連の経緯は、私にとって、人生のひと区切り、精神の整理、といった意味合いを持つものでもあった、と了解されてきました。
 愛機を手放すことにより、音楽にまつわる過去の様々な執着や重荷から、少し、解放されたようです。とりわけ、オーディオや音質に対する過度のこだわりから卒業できたように思います。
 
 諸行無常を実感した一件でした。


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ジャンル - 音楽

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