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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

修行とバカンスとの共通点 

Posted on 09:15:19

 
 仏道修行は、苦しみを伴います。一方、バカンスでの旅行は楽しいものです。この、苦楽、相反する両者の間に、意外なことに、いくつかの共通点があることに気づきました。そのことを、今回は書き記しておきます。

 
(1) 達成すべき目的を持たないこと、あるいは目的に執着すべきでないこと。
 最近、私は、座禅と瞑想のまねごとを、自己流で(といっても、『座禅儀』の記述に則ってですが)行うようになりました。
 瞑想に限らず、仏道修行では、到達すべき境地を意識して、それを目指して行っても、うまくいかないもののようです。「達成したい」という我欲が、精神の平穏を妨げるからでしょう。むしろ、そのような欲望を「手放す」過程こそが、修行の過程の本質ではないかと思います。自我の精神の動き(執着・プライド・不平不満など)に気づき、それらを捨て去っていくのです。
 つまり、修行においては、「過程」が肝要なのであって、ある一定の境位を目的としない方が望ましい、ということです。
 もう一方のバカンスにおいても、旅行中に必ず行かなければならない場所などなく、どの観光地に行ってもよいのです。この3つの美術館には必ず行かなければならない、などと目標設定すると、精神が息苦しくなります。それでは、バカンスではなく、「仕事」となってしまいます。
 成り行きに任せて、行けるところをふらっと訪ねる。そして、想定外の出来事に遭遇したりもする。そうした過程が、バカンスの醍醐味でしょう。その結果、精神が解放されていくことでしょう。
 結局、バカンスでの非日常性は、日常的な「目的達成」指向の生き方から解放されるところにあるように、私は感じます。
 修行においてもバカンスにおいても、あまりに達成すべき目的を意識しすぎない方が、それらの持ち味がよりよく出てくるのではないでしょうか。どちらも、「過程」を味わう営為といえそうです。
 
(2) 世間の価値観から距離を置くこと
 精神の修養が進むにつれて、社会的な地位や名誉、出世競争やぜいたくな暮らしといった、世間の価値観が虚妄であることを、はっきりと認知するようになります。修行においては、自ずと、一般社会に支配的な「欲望充足」の原理から距離を置くことになります。
 同様に、バカンスでは、その人の社会的な肩書は意味を失います。旅先では、職場や血縁関係に形成されている蜘蛛の巣のようなしがらみから、精神的に距離を置くことができます。その蜘蛛の巣の本質は、「世間の価値観」以外の何物でもないでしょう。
 修行でもバカンスでも、一時的に社会から精神的な距離を置くことができ、世間の価値観を相対化して見ることができます。そして、その虚妄性を心底実感することもあるでしょう。
 
(3) 身軽になること
 修行においては、精神の抱えていた多種多様な“ゴミ”が手放されていきます。自分のプライドや自己主張、仕事や家族への執着や過去の想い出、健康へのこだわり、などが崩落していきます。その結果、精神は軽やかになっていきます。
 精神のしがみつく姿勢が軽減されると、自ずと、不要なものが次々と捨てられるため、身の回もがすっきりとしてきます。
 一方、旅行においては、少なくとも私は、必要最小限のものしか身につけないように心がけています。大抵は、バッグひとつで旅を続けます。
 身軽でいると、それが精神にも作用し、心身ともに軽やかに過ごせるようになります。
 結局、修行でもバカンスでも、結果として心身ともに軽やかになっていくのです。
 
(4) 洞察が得られる場合があること
 私は、科学史の研究者であり、日曜作曲家でもあります。「ひらめき」は、研究や作曲の展望に不可欠なことです。
 旅先で、あるいは瞑想中に、私はいくつかの洞察を得たことがありました。経験的に、修行とバカンスは、なんらかの「洞察」が到来するような精神状態になりやすいのではないか、と感じています。
 ただし、その洞察の獲得を意識してしまうと、思うようにはいかないものです。やはり、この点でも、目的志向の精神を手放すのが鍵となるようです。
 
(5) まとめ
 結局、この両者の間に看取された共通性は、類似の「精神の変容」が経験される、ということに起因しているように思われます。
 目的志向から解放され、過程を重視する生き方にシフトする。その結果、俗世間の価値観のばかばかしさや危険性を痛感する。そして、心身ともに身軽になり、未知なるものへの感受性が高まる。
 「人生は、死ぬときまでの修行である」という捉え方がありますが、それとともに、不謹慎ながら、「人生は、死ぬときまでのバカンス」という見方も、できないわけではないでしょう。
 いついかなる時も、瞑想的に生き、過程が充実している人生を送りたいものだと思います。
 
 この記事を書いてきた過程を振り返ってみると、この執筆過程自体、広い意味での修行であり、バカンスであったように感じます。


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