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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

知性の出現を、動物進化の所産と捉えたラマルク 

Posted on 16:08:52

 
 ラマルクの『動物哲学』(1809年)は、つくづく「奇書」だと感じます。興味深い論点が盛沢山で、そのそれぞれに、彼らしい独自の考察が提起されているからです。
 今回は、その『動物哲学』での「知性の起源」をめぐる議論を紹介します。

 
 『動物哲学』の中核のテーマは、「動物の自然分類体系の構築」なのですが、それに関連するいろいろな論点が提起され。議論されています。種の概念が吟味され、進化論が登場し、自然発生説も検討されます。また、神経系の段階的発達に伴う「意志」の出現についても考察がなされ、人間の自由意志を否定する議論まで展開されています。
 そして、やはり動物の神経系の発達度合の違いに応じた、「悟性entendement」や「知性intelligence」の起源についても論じているのです。
(ラマルク、高橋達明訳『動物哲学』朝日出版社、1988年、第3部・第7章)
 
なお、フランス語のentendementは、哲学では「悟性」と訳されますが、日常用語では「理解する能力」といった意味合いのことばです。
 
 ラマルクは、人間の精神的な活動も、生物学的な観点、あるいは進化論の視点から考察します。あらゆる知性の行為は、動物進化の歴史において獲得された「自然現象」である、と彼は捉えます。「これらの[知性の]行為は物理的原因に源泉をもつと確信している」とラマルクは述べています(同書、p.408)
 
 ここで、ラマルクの「知性の起源論」に入る前に、準備として、「生命に特有な能力」についての彼の議論を確認しておきます。その両者の議論の論理構造が、相似的だからです。
 生物は、成長したり、生殖し、世代交代したりします。動物は、生存欲求に応じた運動をします。そのような、無機的な物質的世界には見られない、生命特有の現象は、どのようにして生じるのでしょうか。ラマルクは次のように考えます。
 生命に特有に見える能力が、生命に特殊な法則・原理に支配されている、とは彼は考えません。生命も、物質界を貫徹している物理化学的法則の支配から免れ得ない、と理解しています。その、無機物に作用している物理化学的法則が、生物体という特殊な有機構成中で、異なった現れ方をするに過ぎない、と考えているのです(同書、第2部・第7章)
 生物体は、無機的な物質界よりもはるかに複雑に有機的な構築がなされているため、その有機構成と物理化学的法則との相互作用により、結果的に生命に特有の現象が出現する。そのような生命観を、ラマルクは持っていたのでした。
 こうした見方は、単純な還元主義ではなく、むしろ、今日の「創発」論に近い捉え方といえるでしょう。階層的に、高次の物質配置が成立すると、それに対応したシステムの原理が出現してくる、という理解の仕方です。その原理は、物理化学的法則とは矛盾しないけれども、物理化学的法則のみでは説明がつかない性質を帯びるのです。
 
 さて、ラマルクによる「知性の起源論」に戻ります。
 ラマルクは、「悟性」あるいは「知性」という言葉に、「既知のあらゆる知的能力」を含めています。その知的能力として、「観念を形成し、比較し、判断し、思考し、分析し、推論する能力」や、「記憶」を挙げています。そして、それらの能力は、「疑いなく、知性の器官に特殊な行為から生まれる」と断言します(同書、p.408)
 知的能力は、その「問題の器官と、このときこの器官の中を運動する神経流動体とのあいだにおこる関係の所産」(同上)ということになります。
 その知性の器官とは、ラマルクによれば、「亜脳hypocephale」です。「亜脳、すなわち、脳をつつみ、あるいは覆っている、襞のある2つの半球を構成している髄質体」(同書、p.413)です。今日の生物学でいう、「大脳皮質」に対応しそうです。
 無脊椎動物には、知性の行為は見られない、とラマルクは見ています。ただし、昆虫類や軟体動物など、神経系を有する無脊椎動物には、「内的感性」を認めています。そして、脊椎動物(魚類)の出現によって、不完全な脳が形成され、限定的な知性の行為が出現し、鳥類と哺乳類に至り、「亜脳」が付加され、十全に知的能力が発揮されるようになった、と彼は考えます(pp.402-403)
 つまり、神経系の進化の最終段階で「亜脳」が形成された結果、亜脳と、なんらかの物理的実体(神経流動体)の運動との間の相互作用の所産として、知的能力が出現した、とラマルクは理解しているのです。言い換えれば、亜脳という高次の階層の有機構成の出現による「創発」として、知性を捉えているのです。
 
 ラマルクによれば、知性の活動は、獲得された様々な観念の組み合わせや関係によってなされます。そして、諸観念はそもそも、まずは感覚によって得られる、と彼は考えます。したがって、次のような図式がラマルクの頭の中にはあったと思われます。
 
 [知性の営為]←[諸観念]←[感覚]
 
 知性の営為がなされる場所は、「亜脳」ですが、亜脳は「ひたすら受動的」であり、神経流動体が活動する構造・場を提供している、と彼は想定しています(同書、p.413)。上記の図式の矢印は、「神経流動体」が担っている、という構図です。
 この章の最後のまとめ部分から、ラマルクの言明を抜粋します。
 
「知性の行為の遂行にあたって、唯一の活動原因となるのは、いま問題の器官の内部を運動する神経流動体であり、器官それ自体は受動的でしかなくて、多様な諸部位と、そこに保存されている多様な刻印された輪郭とによって、これらの作用の多様性にあずかる」(同書、p.427)
 
 結局、「知的能力」に関するラマルクの理解の仕方は、「生命に特有な能力」がなぜみられるのか、という問題に対する考察図式と同型的といえます。
 どちらも、物理化学的法則性のみからは予想もつかない・説明不能な現象だが、階層的に構築された有機構成が進化の過程で出現した結果、その構築物と物理化学的法則ないし物理的実体との相互作用が生じ、生命や知性に特有の現象が創発的に生じるようになった、という捉え方です。
 
 1809年という、いまだに細胞説さえも成立していない(もちろん進化論も普及していない)時期に、このような、進化と階層と創発の観点からの議論がなされていた、というのは驚きです。ラマルクの持っていた生物学的な知識水準は、問題にならないほど現在や20世紀や19世紀後半よりも低く、また、彼の議論の仕方は稚拙の感は免れないものの、考察の枠組み自体は、きわめて現代的です。
 彼の視座を名付けてみると、「進化論的自然主義」とでもいえそうです。
 今日では、ジョン・サールや、トッド・ファインバーグらによって、動物の意識をめぐって、「生物学的自然主義」や「神経生物学的自然主義」の立場から考察がなされています。
(ジョン・R・サール、菅野盾樹監訳『意識の神秘』新曜社、2015年。トッド・E・ファインバーグ他、鈴木 大地訳『意識の進化的起源』勁草書房、2017年)
 彼らの思考枠組は、基本的にはラマルクが200年前に想い描いていたものと相似的です(ただし、彼らはラマルクには言及していません)
 
 ラマルクの『動物哲学』は、当時はあまり理解されず、軽視されていたようですが、この書物からは、今日でも豊かな発想法を汲み取ることができます。様々な可能性を秘めた源泉として、今後も、読み継がれていくのではないでしょうか。


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