10 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. » 12

作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

論文「原発事故以後、科学史に課せられた責務」の要旨と本文(その1) 

Posted on 10:44:28

 
 2年前の本日(3月12日)、福島第一原発で、水素爆発事故が発生しました。
 それに引き続く惨事は、私の科学史研究者としての在り方を再考させ、研究姿勢に対して批判的検討を迫ってきました。
 この2年間、断続的に、科学や科学史の枠組に対する批判的考察を自分なりに重ねてきました。
 上記のタイトルの論文は、その大筋をまとめたものです。
 
 勤務先の生涯学習センターの紀要に掲載される予定なのですが、刊行日程が延びそうなので、時機を失する前に、本日、ブログで公開することにしました。
 
 このブログでは、2回に分けて、この論文の要旨を紹介し、対応する論文の本文を掲載しておきます。
 興味ある方は、ご覧下さい。
 
[要旨]
 
§はじめに
 
 福島第一原発事故は、大局的視点からみると、科学技術に本来的に内在していた問題構造が引き起こした惨事、といえるのではないか。
 科学史研究者の私にとって、この事故は、17世紀以来の西欧近代科学技術の底流にある思想―機械論的自然観や自然の支配を中核とする思想―の限界を顕在化させた、象徴的事件であった。
 この論考では、この惨事を契機として、科学に対する批判的観点をいくつか提示して、検討を加えていく。
 
§1.科学に内在する自然支配の指向性は、植民地支配と同根である
 
 西欧近代文明と歴史的発展過程を共有する近代自然科学は、近代文明が有する価値観を根底から共有している。それゆえ、近代科学の自然支配への指向性は、西欧諸国の植民地支配への指向性と共通の源から発している。
 人と自然を対立的に捉え、排他的・競争的・攻撃的な精神を肯定する帝国主義的価値観が、西欧の政治にも科学の営みにも貫通していた。
 
§2.科学技術の産物は価値中立ではない
 
 技術的産物には、開発の段階以前から、国家や社会の思惑の影を引きずっており、それ自体が価値中立であるとはいえない。
 さらに、技術開発の基礎となる科学的知識も、西欧近代の価値観のバイアスのもとで紡ぎ出されてきたものであるから、技術的産物には、幾重にも、価値観や思惑の網が覆い被さっている。
 原爆や原発も、科学と社会や国家のもつ価値観の相互作用の産物に他ならない。
 
(その2)に続く。
 
[論文の対応する部分]
 
原発事故以後、科学史に課せられた責務
―科学と科学史研究の枠組の批判的再検討―
 
§はじめに
 
 福島第一原発事故は、私が科学史研究を始めた頃の初心に、私を帰らせた。
 私が大学院進学時に、生物化学系の実験科学者の道から、自然科学の歴史研究へと転じた動機のひとつに、近代科学と社会との関わりから生ずる諸問題に、さまざまな角度から、根底的に、批判的考察を行ってみたい、という思いがあった。20年以上前から、「近代科学の精神に本源的に宿る問題点を摘出する」という考察テーマを抱えていたのだが、それ以外の個別テーマに対する興味の度合いのほうが高く、このテーマに深入りはしないできた。
 だが、原発事故以降、科学史研究者として、このテーマに関わらずには済まない。
 
 福島第一原発事故が人災である、という見方は、かなり浸透してきたようである。40年前から稼働してきた老朽化原子炉(1号機)を運転し続けてきたこと、地震と津波が同時に襲う原発震災に見舞われた場合、大惨事の恐れがあるとの警告がすでになされていたにもかかわらず、実質的には警告が無視されてきたこと、アメリカの圧力を背景に日本政府が強引に原発を推進してきたこと、などの理由からである。
 だが、こうした見方に加えて、歴史的背景として、大局的視点から考察すると、この事故は、科学技術に本来的に内在していた問題構造が引き起こした惨事、といえるのではないかと思う。
 2011年3月の原発事故は、科学史研究者の私にとって、17世紀以来の西欧近代科学技術の底流にある思想―機械論的自然観や自然の支配を中核とする思想―の限界を顕在化させた、象徴的事件であった。
 
 この論考では、この惨事を契機として、一般的通念としてはあまり普及していない、科学に対する批判的観点をいくつか提示して、検討を加えてみたい。
 この論考のような、科学の枠組に対する批判的考察を展開することは、科学史研究者の重要な責務である、と私は考えるようになった。
 それぞれの批判的観点は、必ずしも科学史家の間で合意は得られていないかもしれない。だが、科学史という分野の本来の存在意義を考えると、科学史は自然科学やその歴史を擁護・正当化したり賞賛したりするためにあるわけではなく、科学のあり方を診断し、問い直すことにこそ、その存在意義があるように思われる。したがって、こうした見解の分かれる議論が存在することを、一般の人々に開陳していくことも、科学史に課せられた責務なのではなかろうか。
 さらに、枠組に対する批判的考察は、科学史研究の“専門家”であること、に対しても、つまり自分自身に対しても、向けられるべきであることに、私は気付かざるを得なかった。
 
§1.科学に内在する自然支配の指向性は、植民地支配と同根である
 
 近代科学は、科学史の通説に従えば、17世紀のヨーロッパで誕生した。
 科学という社会的営為も、文学や芸術などの文化的営みと同様に、その時代の社会的動向から無縁ではいられない、という見方は、近年の科学史ではほぼ常識となってきている(1)。近代科学が誕生した頃のヨーロッパは、絶対主義の時代であった。スペインと神聖ローマ帝国や、イギリス、フランスでは、16世紀から17世紀にかけて、国王中心の専制政治が敷かれていた。初期の科学はこうした政治的背景のもとで形成された。
 絶対王政を支える「王権神授説」というドグマがある。イギリスのジェームズ1世(1566-1625)やフランスのルイ14世(1638-1715)らが自らの権力行使のために活用した理論である。王の権限は神の恩寵によって与えられた絶対的なものであるとし、その権限でもって、人民の統治や植民地支配を正当化してきた。
 また、17世紀の近代科学の自然観は、当時のキリスト教の神と自然に対する考え方に大きく影響されていたことが明らかになっている(2)。自然界を超越する一神論的神が、自然界に対して秩序や法則や活力を付与している、といった構図である。こうした見方を、ヨハネス・ケプラー(1571-1630)も、ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)も共有していた。ガリレオはキリスト教と対立していたとみなされがちであるが、宗教的意識としては、ガリレオはカトリックの信者であり、神の創ったこの世界の秩序を明らかにすることを目指していたのであった(3)
 さらに、キリスト教における、神―人―自然、の截然とした階層的秩序を想定する見方は、自然界を人間との共感を許さない対象物と見る傾向を助長したであろう。こうした自然観は、他者である自然を管理・支配する指向性を導いたとしてもなんら不思議ではない。
 こうしたキリスト教的自然観は、当時の自然科学の方法論を先導した哲学者にも、ほぼ共有されていた。
 ジェームズ1世の治世に裁判官(大法官)を務めたフランシス・ベーコン(1561-1626)は、有名な「知は力なり」(4)という言葉を残し、科学的知識を人類社会に役立てようとしたが、この理念は、自然の支配・管理を正当化するものであった。またここには、「王権神授説」との並行性を見て取ることができる。
 神によって与えられた法則・秩序を、人間は知ることができる。その知識をもとに、自然界に対する管理・支配行われるが、その行為は神によって与えられた権威ある知識であることによって正当化される―といった構図である。
 近代科学による自然支配の背後には、“法則神授説”(5)があった。専制政治や植民地支配の背後に「王権神授説」があったのと同様に。
 また、近代哲学の祖とされるルネ・デカルト(1596-1650)は、生物を機械とみなし、機械論的自然観を唱導した。それとともに、「延長」としての物質的世界は、精神と明確に区別されるという二元論的見方を示した。ガリレオは「自然は数学の言葉で書かれている」(6)と宣言し、世界を数学的に記述することで、神の創造した世界を理解できると考えていた。
 彼らにとって自然とは、支配の対象であり、精神のない物体・機械であり、数学的構造物だったのである。
 こうした、当時の西欧社会の政治の在り方や宗教的世界観と親和的な自然観を、多少なりとも共有していた人々が、初期の近代科学を作り上げていった。このような自然観を胚胎していたことは、もちろん、物理・化学的な、自然に対する分析的・要素論的理解を推し進めるのに寄与したのであるが、一方では、現代につながる自然破壊や環境問題が叢生してくる胚種でもあったことは、否定できないであろう。
 科学的探求の成果である科学的知識は、中立・客観的であるとみなされがちであるが、探求過程に密接に関わる「科学的なものの見方」には、近代科学の初期の頃からある一定のバイアスがかかっていた。そのバイアスが科学の圧倒的成果の要因であったとともに、科学の招く病的事態の遠因にもなっていたのである。
 科学的探求活動が、その時代の国家や政治と結びついて進行した事例は、枚挙に暇がない。たとえば、チャールズ・ダーウィン(1809-1882)の進化論は、植民地経営と係わるイギリス帝国海軍の調査船、「ビーグル号」での世界周航で得られた経験や素材を土台にして、その後構築された理論であった。また、当時のイギリスの資本主義の理念「レッセ・フェール」の影響も無視できない。進化論と自然選択説は、帝国主義や進歩の思想を背景として生まれ、逆に、社会に対して、競争による進歩を肯定する思潮を促したのである(7)
 
 原発事故の科学思想的背景を遡って考えてみると、科学の営みが近代の当初から国家や政治思想と無関係ではありえなかったことと、初期から科学が胚胎していた、機械としての自然を支配の対象とみる自然観、に行き着く。
 19世紀に科学は技術との結びつきを深め、科学的成果が社会へと波及することが多くなり、科学と社会の界面に立ち現れる問題の存在が認識されるようになるが、それは“中立な”科学的知識を不適切に社会が“悪用”した、ということではない。科学の成り立ち自体のなかに、その傾向性が孕まれていたといわねばなるまい。
 近代科学技術思想は、西欧近代に特有の時代精神や価値観を宿し、それらの問題点をも共有していた。人と自然を対立的に捉え、排他的・競争的・攻撃的な精神を肯定する帝国主義的価値観が、西欧の政治にも科学の営みにも貫通していたのである。
 西欧近代の価値観の侵略的支配にこそ、最大の根本問題があると、私には思われる(8)。この問題に対する対処の方向性も、私なりに考えてはいるのだが(9)、この論考ではこの問題の追究は文脈からやや外れるため、見送ることにする。
 
§2.科学技術の産物は価値中立ではない
 
 自動車や航空機やコンピューターや原子力発電といった、科学技術の産物は、それらを利用する側が価値判断したり、善用・悪用したりするものであり、それ自体は中立である、といった考え方が、今日でもある。
 武田邦彦氏は、自身のブログ上で、技術的産物の「ショーウィンドウ論」を展開していた(10)
 科学技術者は、社会貢献への善意と情報公開の前提のもと、作ったものをショーウィンドウに展示するだけ、という科学技術者のあるべき姿を提案した議論であるが、この議論の背後には、それを使うか使わないか、使うとしたらどう使うかは、利用する側の判断・責任になる、といった見解が透けて見える。
 私は、科学技術上のさまざまなテーマに対する武田氏の鳥瞰的・多面的見方に共感する場合も多いのだが(11)、この議論については、あまりに素朴な見方をしているのに驚いた。
 どの技術的産物にも、あらかじめ社会的用途が想定された上で企画され、その技術から利益を得られそうな財団や国家から金銭的支援を受けて、あるいは企業が自ら投資して、開発が進むわけである。科学技術者も、その開発に加わることから何らかの利益が得られるとの見込みがあればこそ、同意し、協力するのである。
 したがって、技術的産物には、開発の段階以前から、国家や社会の思惑の影を引きずっており、それ自体が価値中立であるとはとてもいえない。また、科学技術にその産物による悪影響の責任がない、ということもできない。
 技術の開発は、社会的な貢献に結びつくこともあれば、自然破壊や資源の浪費や人体への悪影響や他の国々の搾取などの害悪を引き起こす可能性もある。そられはともに、科学技術の成果であり責任なのである。
 さらに、そもそも、技術開発の基礎となる科学的知識も、第1節で見た通り、西欧近代の価値観のバイアスのもとで紡ぎ出されてきたものであるから、技術的産物には、幾重にも、価値観や思惑の網が覆い被さっているのである。
 
 原爆は、第2次世界大戦のさなか、ナチス・ドイツが先に原爆を実現するのではないかという恐怖に駆られたアメリカの科学者たち―ファシズムが猛威を振るうヨーロッパから移住してきた物理学者を中心とする研究者たち―が国家と協力して開発した、軍事技術であった(12)
 アメリカでは1930年代頃から、放射線関連産業が成立し、従業員や放射線治療を受けた人々の間では放射線障害が発生し始めていた。そして遺伝学者たちは、放射線被曝による遺伝的影響がありうることを警告していた。「耐容線量」の概念はすでにあり、今日の基準からすると余りに高い(甘い)基準値と、その概念自体への疑問・批判が現れていた。だが、放射線や原子力産業の利益と、何よりも原子爆弾の開発のために、「耐容線量」の見直しは後回しにされた(13)
 軍事技術であるが故、破壊能力に対する研究はなされたであろうが、核兵器に必然的に伴う放射線の人体や環境に対する影響や、それを防ぐ方法についての研究は、軽視された。そもそも生体への悪影響などまで考慮していては、軍事技術の開発はやってはいられない、という意識が、開発当事者たちにはあったであろう。原子力技術に関連する、射程の広い世界認識につながる可能性のある研究は後回しにされ、破壊兵器としての研究に焦点が絞られていたのであった。
 原爆の技術は、科学と社会や国家のもつ価値観の相互作用の産物である。
 この技術の中から、純粋な原子核物理の知見のみを取り出し、その科学的知識が社会的価値観から無縁であると論じても、意味があるまい。その知識の獲得には社会的要請があり、研究費は社会なり国家なりが調達し、支援しているからである。
 科学的知識はそもそも、自然界の機械的側面、要素に分解して理解される側面に関する分析的知識であるため、制御・支配への指向性と相性がよい。そして、特定の科学技術的知識の獲得を、その時代の支配階級が望み、政治力・軍事力強化に利用する意思があるからこそ、金銭的・制度的支援がなされるのである。
 歴史的偶然と、科学技術と社会や国家が緊密に結びつく必然とが絡み合って、原子爆弾は誕生したのであった。
 原子力発電は、この軍事技術の副産物として、あるいは、廃物利用として、“平和利用”の名目を装いつつ登場してきた。日本における原発の開発にも、核兵器製造への転用の潜在的可能性を睨んだ軍事的意図が背後にはあった(14)
 出発点が軍事技術であるため、いざ事故が起こるとその破壊力はすさまじく、また、事故や放射能の被害への対処も十分には行われえない。さらに、国家の強力な意思が背後にあるため、権力や金銭による支配・癒着を伴いやすい。
 こうした問題構造を原発は抱え持っている。
 一部の科学技術者たちはこのことから目を逸らし、おそらくは自らの利害やその専門家集団の利害に基く判断で、原発の開発・推進に協力し、巻き込まれていったのである。
 したがって、原発の技術もまた、科学と社会や国家のもつ価値観の相互作用の産物に他ならない。ショーウィンドウに飾られる以前の段階で、幾重にも価値観の網が複合的に覆い被さっているのである。
 

 

(1) こうした歴史観への潮流変化を決定づけたのが、クーンの次の著作であった。

 トーマス・クーン、中山茂訳『科学革命の構造』(みすず書房、1971)

 クーンは、「パラダイム」概念―科学者の研究における思考や行動の規範となる理論的枠組―を提起し、その概念を、通常科学と科学革命との歴史的変遷を理解する鍵として用いた。クーン以降、この概念は科学以外の領域でも用いられ、多義的に―それぞれの分野の約束事や概念枠組として―活用されるようになった。そして、パラダイムと見做せる文化的構造は、社会的拘束から逃れられないことも了解されるようになってきた。

(2) R.リンドバーグ、R.L.ナンバーズ編、渡辺正雄監訳『神と自然-歴史における科学とキリスト教』(みすず書房、1994)

(3) Wade Rowland, Galileo's Mistake, A New Look at the Epic Confrontation between Galileo and the Church (New York, 2012).

 あるいは、ジェームズ・マクラクラン、野本陽代訳『ガリレオ・ガリレイ―宗教と科学のはざまで―』(大月書店、2007)

(4) 「人間の知識と力はひとつに合一する、原因を知らなくては結果を生ぜしめないから。というのは自然とは、これに従うことによらなくては征服されないからである」

 ベーコン、桂寿一訳『ノヴム・オルガヌム』(岩波書店、1978)p.70.

(5) 村上陽一郎氏の造語。私は、村上先生の大学院の授業で始めて耳にした。村上先生の著作にこの言葉が使われているか調べてみたが、私が調べた範囲では、見当たらなかった。

(6) ガリレオ、山田慶児・谷泰訳『偽金鑑識官』(中央公論新社、2009)p.57.

(7) ピーター・J・ボウラー、鈴木善次他訳『進化思想の歴史 下』(朝日新聞社、1987)、第10章「進化論の社会的意味」。

(8) これと同様の問題意識は、かなりの論者に共有されているようである。たとえば、

 『梅原猛著作集17 人類哲学の創造』(小学館、2001)、第1章、あるいは、

 内山節『清浄なる精神』(信濃毎日新聞社、2009)

(9) 私の考えている大まかな方向性としては、大乗仏教の根本理念、「菩薩」の思想と、「一切衆生悉有仏性」に代表される汎神論的世界観を、現代的に再生・活用していくことである。「菩薩」の思想は、「利他主義」や「贈与」の思想と繋がる。汎神論的世界観は、「共生」の世界観と言ってもよい。

 「自然を管理・支配する」という方向性から、「心・精神を統御する」という方向性への転換。過程や手段を、目指しているあり方と調和的なものなする。また、個人の生き方と社会のあり方が並行して成熟していくように望む。

 このような展望を持っている。

(10) 「科学技術はその作品をショーウィンドウに飾れば良く、それを勧めても拒否してもいけない」  http://takedanet.com/2011/06/post_1b11.html

 武田邦彦(中部大学)>●●2011年の原発の記録2>「科学技術者の誠意、商人の誠意」

(11) たとえば、CO2温暖化説への批判的姿勢や、自然エネルギーは代替エネルギーとして現実的でない、という議論については、私も武田氏に同意する。

(12) 吉田文彦『証言・核抑止の世紀―科学と政治はこう動いた―』(朝日新聞社、2000)、第1章。

(13) 中川保雄『<増補>放射線被曝の歴史―アメリカ原爆開発から福島原発事故まで―』(明石書店、2011)、第2章。

(14) 吉岡斉『新版 原子力の社会史―その日本的展開―』(朝日新聞出版、2011)、第3章。

 
(その2)に続く。
 
関連記事
スポンサーサイト

テーマ - 科学

ジャンル - 学問・文化・芸術

△page top

△page top

Secret

△page top

トラックバックURL
→http://wood248.blog.fc2.com/tb.php/25-ce906b7f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

△page top

カテゴリ

全記事一覧リスト

最新記事

月別アーカイブ

コメントをどうぞ

最新コメント

最新トラックバック