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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

数学者ステヴィンが、平均律を支持した動機 

Posted on 09:38:19

 
 ルネサンス期に主流であった音律、「純正律」に対して、今日の音楽の現場で世界的に採用されている「平均律」の構想が、16世紀末に提案されました。
 その提案者のひとりに、オランダの数学者・物理学者のシモン・ステヴィンがいます。 今回は、そのステヴィンがなぜ12等分平均律を支持し、理論的探究を行ったのか、についての私の推測を語ってみようと思います。

 
 ステヴィンの話をする前の準備を、少々しておきます。

 純正律は、簡単な整数比に基づいて構成された音律です。完全5度と完全4度のみならず、長3度と短3度も協和するように調整されています。それぞれの比(弦の長さの比、または周波数の比)は、2:3、3:4、4:5、5:6となります。
 そのため、長3和音(ドミソの和音)がきれいに響きます(比較すると、平均律のピアノではわずかに濁ります)
 純正律では、和音の協和を重視した結果、2種類の全音が出現しました。大全音と小全音です。ドとレの間は大全音で、レとミの間は小全音です。半音はやや広くなります。そのため、旋律はややぎこちなくなります。
 16世紀の音楽理論家、ツァルリーノは、この純正律を理論的に擁護しました。その背後には、「協和音は簡単な整数比でなければならない」というギリシア以来の固定観念がありました。
 
 その純正律を、ツァルリーノの弟子であったヴィンチェンツォ・ガリレオは徹底的に批判しました。天文学者・物理学者のガリレオ・ガリレイの父です。
 純正律では、レとラの5度が不協和(27:40)になるなど、濁ってしまう和声がいくつもできてしまうことを指摘し、純正律が不完全であることを説得的に示しました。
 そして、古代ギリシア時代のアリストクセノスを援用しつつ、ステヴィンに先立って12等分平均律の構想を表明しました(1581年)
 ただし、ヴィンチェンツォは無理数比を提示したわけではなく、現実のリュートの調弦法として、等しい半音を作成するのに17:18の比を用いることを提案しています。
(Vincenzo Galilei, trans. by Claude V. Palisca, Dialogue on Ancient and Modern Music, New Haven, 2003)
 
 さて、シモン・ステヴィンも、1オクターヴを12の等しい半音の重なりと捉え、音律として現代の平均律に相当する「12等分平均律」を考案しました。
 ひとつの半音の比を12回掛け合わせ、1オクターヴの1:2の比に等しくなればよいのですから、ひとつの半音の比は、2の12乗根となります。ステヴィンはここで、音程間隔の比に無理数を導入したのでした。そして、その数値、2の12乗根を、小数第4位まで計算しています(1596年)
(E. J. Dijksterhuis, Simon Stevin, Science in the Netherlands around 1600, Hague, 1970, pp.120-122)
 
 一方ステヴィンは、数学者としていくつかの重要な業績を残しています。
 10進法による小数表記と計算法を提案しました。また、無理数も有理数とともに、一般的な数概念の中に取り込みました(1585年)
 1よりも小さい数については、比、あるいは分数で表すのが、ルネサンス期までの数学の常識であったようです。古代以来、Ratioの観念を基盤とする数概念が継承されてきました。それに対してステヴィンは、無理数と小数をペアで採用し、数概念に対する変革を図った、と捉えることができます。
 ステヴィンの時代、自然界を計量するための数学的道具立てが、続けざまに獲得されてきました。1591年には、解析幾何学と解析的三角法の基礎が、フランスのフランソワ・ヴィエトによって築かれました。1594年には、スコットランドのジョン・ネイピアが、対数の原理を見出しています(対数の計算表は、1614年)
 このように16世紀末は、道具としての数学の進展期でありました。それに伴い、ルネサンス期までの数にまつわる観念が変動していきました。
 ステヴィンは、その変革の潮流の主役の一人だったのです。
 
 ステヴィンが12平均律を支持し、その問題に深く関わったのは、ヴィンチェンツォの場合とは違って、実際の音楽演奏にかかわる動機からではなかったでしょう。彼の場合、自らが中心となって推し進めている、“数学の変革”の一環として、音律の問題に取り組んだのではないでしょうか。
 分数や比で表せる有理数のみが数なのではない。小数も無理数も数として認められるべきである。
 そのような、新たな数に対する観念の提示として、音律の問題は格好の題材だ、とステヴィンには映ったことでしょう。そして、自らの数学的提案である小数と無理数を含み、従来の分数や比では表せない平均律に、傾倒していったのでしょう。
 私はそのように推論しました。
 
 分数から、小数や無理数の時代へ。ギリシア的調和の理念と密接に結びついた「比」を基盤とする数学観が衰退し、現実世界に即応する数学が勃興しつつあった時代。
 その時代の流れと共振するように、ステヴィンは12等分平均律に取り組んだのでした。

ただし、12等分平均律が楽器の音程の調整のための標準となり、普及していったのは、19世紀の半ば以降です。
 バロック音楽の時代や古典派の時代では、中前音律や、ウェル・テンペラメント系の音律が用いられていたようです。

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