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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

ザトウクジラの「作曲力」をめぐって 

Posted on 10:54:52

 
 太平洋や大西洋を遊泳するザトウクジラのオスは、繁殖期になると、熱帯の海で、盛んに歌を歌います。長く、複雑な歌です。
 その歌の内容は、同じ群れの中では同じなのだそうですが、繁殖シーズンの間、変化し続けるらしいです。

 
 長年にわたり、水中のザトウクジラの歌を録音し、解析してきた研究者、キャサリーン・ペインは、群れごとに異なる歌が、同じ群れの中で時間的に変化していく動向に対して、「作曲力」という言葉を充てています。
(ニルス・N・ウォーリン他編著、山本聡訳『音楽の起源・上』人間と歴史社、2013年、第9章「進化し続けるザトウクジラの歌」、p.212)

 
 今回のブログでは、その“作曲”の内実を紹介し、そのことに関する私の愚見を記しておきたいと思います。
 
 ザトウクジラは、成長すると体長17メートルにもなる、ヒゲクジラの一種です。冬季に熱帯の海で、交尾や出産を行います(妊娠期間はほぼ1年)。その繁殖期に、オスたちは複雑な発声行動を起こします。その発声に対して、研究者たちは「歌」と呼んで解析しています。
 彼らの歌には、入れ子式の階層構造が成り立っています。
 まず、一つの歌には、いくつかの「テーマ」が含まれます。歌われるテーマの順番と繰り返しの数は、決まっているそうです。
 次に、各テーマには、「フレーズ」がいくつか含まれます。このフレーズの長さや数が、しばしば変化するらしいです。
 さらに、各フレーズは、基本となる「ユニット」によって構成されています(これが音符に相当するのでしょう)
 ペインによれば、「一頭ごとに歌を調べていくと、同じ群れのザトウクジラたちはすべて同じフレーズやテーマを、同じ順序で繰り返していることがわかる」(p.210)そうです。
 ただし、合唱しているのではなく、個々のオスがバラバラに同じ歌を歌っている、とのことです。また、異なる群れの歌を比較すると、構造は似ているけれども、歌の内容には大きな違いがあるそうです。
 そして、同じ群れについては、歌に経年変化がみられ、「歌の内容がシーズンをまたいで継続されながら、同時にかなり早いスピードで変化していく」(pp.210-211)ということです。
 つまり、彼らの歌には群れごとに“方言”があり、その方言も時間的な変化を遂げているようなのです。そしてその変化が、一つの群れのオスの中で共有されているのです。
 歌を構成する、テーマ・フレーズ・ユニットのどのレベルでも、数シーズンかけて、変化していきます。その具体例を、下に掲げておきます。
 1976年から5年にわたり、ハワイのマウイ島の同じ場所で録音された歌を、「スペクトログラム」で表した解析結果です。
 

ザトウクジラの歌テーマ5のフレーズ構造の変化 
テーマ5のフレーズ構造の変化(p.215より)
横軸が時間(秒)、縦軸が周波数(kHz)

 

 テーマ5を構成するフレーズが、“編曲”されて、長くなり、ピッチの変化も大きくなり、含まれるユニットの形状と数も変化していることがわかります。
 このように、ザトウクジラのオスたちは、歌の内部の階層構造をさまざまなやり方で変化させ続けているのです。
 さらに不思議なことに、彼らはその変化のさせ方を、同じ群れの内部で共有しているらしいのです(シンクロニシティ? 共時的変化?)
「変化させることに同意したテーマについて、テーマのもつ特徴のどの側面を変化させ、どの側面は変化させないか、変化のさせ方とその程度まで合意を図っているようにも思える」(p.219)そうです。
 こうした歌の構造変化は、自然のサイクルや外部環境の変化ととくに対応しているわけではないため、「ヒトの即興演奏のように、内面的な変化によって起きる」と、ペインは考えています。また、歌が模倣されることから、彼らは「学習」をしており、彼らの歌を、「動物にみられる文化の一例」と位置付けています。そして、その文化が「進化」している、というわけです(p.221)
 
 ではなぜ彼らは、そのような“編曲”行動をとるのでしょうか。
 機能的には、そうした行為が配偶行動に有利に作用するため、結果として行動パターンとして残った、といった「性的淘汰圧」に基づく解釈は成り立つでしょう(ペインの見解、p.207)。しかしその解釈では、なぜ一頭あるいは一群の個体が、“編曲”行動を開始したのかわかりません。偶然始まったのでしょうか?
 また、「性的淘汰圧」に基づく解釈は、ダーウィニズムの準拠枠に合うように語られた、内容に乏しいストーリーのように、私には感じられます(大抵の動物の行動は、食料や配偶行動をめぐる適応という筋書きで解釈可能なため)
 私の勝手な推測ですが、彼らが歌を変化させるのは、それが面白いから、楽しいから、快適だから、なのだろうと思います。もちろんこうした想像は、自然科学的には実証的な検証も反証もできないものですが。
 ペインも本音では、そう感じていたに違いない、と私は推察します。自然科学者としては擬人的表現を抑制して、抽象的に「内面的な変化」によるだろう、と述べていますが、録音の現場では、ザトウクジラが楽しんでいるのを、肌で感じていたことでしょう。
 
ここまで書いてきて、中国の古典、『荘子』に出てくる、「知魚楽(魚の楽しみを知る)」の逸話を想起しました。
 荘子が川で泳いでいる魚を見て、楽しんでいるのがわかる、という話です。論理的には、楽しんでいることを証明できません。でもわかります。秋水篇の掉尾を飾るこの寓話は、「他者への移入力」の感覚を語った逸話である、と私は捉えています。
 
 クジラの歌の“編曲”に、話を戻します。
 ジャズのジャム・セッションにおいて、同じ曲を同じようにアドリブしていては、飽きが来てしまいます。即興でいろいろ変化させるから楽しいのです。きっとそれと似たことなのでしょう。
 また、20世紀のジャズの歴史で、ビー・バップ、ハード・パップからモード・ジャズやフリージャズが現れてきた様相と、ザトウクジラの歌の文化的変容とは、類比的に見えなくもありません。彼らの歌にも、「流行」があるのでしょう。
 生物学では、人間以外の動物に対して「擬人的」解釈を適用することが“禁じ手”と見做されていますが、このような「動物の文化」に対しては、擬人的解釈を一部「解禁」した方が、より豊かな理解が得られるのではないか、と思います。
(日本の「サル学」など、霊長類の研究では、擬人的解釈をあまりタブー視しなくなっているようです。クジラやイルカたちに対しても、解禁していってもよさそうに思えます)
 
 ザトウクジラの歌と「作曲力」には、人間の音楽文化との類似性を、私は感じ取ってしまいました。


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