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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

生物進化論と地球温暖化説(2)―再現実験が困難であること― 

Posted on 08:40:57

 
 シリーズの2回目です。
 この二つの学説と論争をめぐる、いくつかの共通点を指摘していきます。
 前回は、「事実問題と要因論を分けること」をテーマとしました。
 今回は、自然科学の理論における検証可能性や、反証可能性の観点からの考察です。


 
再現実験が困難であること
 
 自然科学の中でも、物理や化学の理論的内容に関しては、再現実験を繰り返し行うことができます。
 たとえば、ガリレオが行った、緩やかな斜面での金属球の降下運動実験などは、同じ条件を設定した上での再現実験により、検証することができます。
 また、理論的予測をもとにした実験を行い、「もし予測と実験結果に齟齬が生じれば、その理論は誤りと判定される」という形で、「反証可能性」が担保されます。
 このような準拠枠が成立する理論的内容を、「厳密科学」と呼ぶことがあります。学説の正しさの判定基準が明確で、実証的であるからです。
 
 さて、生物進化論ですが、要因論に関しては、「厳密科学」とはいえません。
 再現実験が、事実上不可能であるからです。
 何千万年、何億年にも及ぶ、生物進化の歴史を、その時々の環境条件などを吟味した上で追試する、などということはできません。生物進化の「事実」は確かといっていいですが、その進化がどのようなメカニズムによって進行してきたか、という要因論に関しては、推論の域を出ません。
 部分的な実験は可能ですが(環境条件の変化によって遺伝子の発現の仕方がどのように変わるかなど)、進化のトータルな過程に関しての実験はできません。
 ただし、もちろん自然科学の学説ですから、進化に関する様々な証拠や、現在の自然科学の関連領域における様々な知見と矛盾があってはいけません。それらを踏まえたうえで、整合性のあるストーリーを組み立てられればよいのです。
 それゆえ、生物進化論の要因論に関しては、実証性の程度が低く、「厳密科学」とはいえないわけです。進化論が、進化「学」ではなく、進化「論」と称されているのは、そのあたりの事情が大きく作用していると考えられます。
 このことは、生命の起源論や、宇宙の起源論においても同様でしょう。
 その帰結として、要因論に関しては、複数の学説が並存可能となります。現在の自然科学における様々な事実や知見と矛盾しない範囲で理論が構築できれば、その理論を否定するわけにはいかなくなるからです。
 過去の地球史的事象に関して、二つ以上の要因論が併存する場合、どれが正しいかの決定実験を設定するのは困難です。それゆえ、結局は「説得力」の勝負となります。進化のいくつかのターニング・ポイントを、納得の行く形で説得的に説明できるか、ということです。
 その意味で、現在の主流である、ネオ・ダーウィニズムにおける要因論、「自然選択説」は、定説であるとはいえないでしょう。まず、各種の対抗学説が存在します。また、大進化のいくつかの局面では、自然選択説の説得力が十分ではないからです。
 
自然選択説以外の要因論には、用・不用説(現代版もあり)や、定向進化説、血縁淘汰説、棲み分け説、形態変化先行説などがあります。生物進化の個別的事例に関してならば、どの学説も、自然選択説よりも説得力がある場合があります。
 
 そもそも、自然選択というひとつの鍵のみで、生物進化におけるいくつもの事件をすべて説明できるかどうかは、保証の限りではありません。事例ごとに、異なる主要因が作用していた可能性も捨てきれないでしょう。
 このように、生物進化の要因論に関しては、構造的・必然的に、百家争鳴となるのです。
 
 上記の生物進化の要因論についての考察は、地球温暖化の要因論についても、ほぼ同様に当てはまります。
 地球温暖化も、要因論レベルでは、「厳密科学」とはいえません。過去の地球の100年単位での気候変動を、諸条件を吟味した上で追試する、といった再現実験が不可能だからです。
 確かに、部分的な実験は可能です。たとえば、二酸化炭素という気体の温室効果がどの程度かを、小規模ならば実験的なデータをとって検証することなどはできるでしょう。
 しかしながら、地球規模でのほかの様々な要因との相互作用を考慮したうえでの実験は、不可能といわざるを得ません。そのため、実験の代用としてのコンピューター・シミュレーションが活用されているわけです。
 したがって、地球温暖化における要因論についても、現在の地球科学や気象学などの関連諸分野のデータや知見を踏まえたうえで、整合的な理論を提起できればよいことになります。
 その帰結として、当然のことながら、こちらの要因論においても、複数の学説が併存可能となります。現在の自然科学の諸見解と矛盾なく、過去の気候変動のデータをある程度説明できるならば、対立学説を否定するわけにはいかないからです。
 地球温暖化の要因論も、過去の地球史的事象にかかわる要因論です。複数の対立する要因論が、現在併存しています。どれが正しいかの検証実験を設定するのが困難である以上、こちらの場合も、「説得力」の勝負となります。気候変動のいくつかのターニング・ポイントを、納得の行く形で説得的に説明できるか、ということです。
 その意味で、現在の通説らしい「CO2主原因説」は、定説とはいえないでしょう。まず、「太陽活動主原因説」という強力な対抗学説があります。また、CO2主原因説では、1940~70年代ころの横ばいないし下降傾向や、21世紀の最初の10年ほどの横ばいの時期を、説得力をもって説明できません。
 
太陽活動主原因説の主な論者としては、スベンスマルク、丸山茂徳氏、桜井邦朋氏らがいます。それぞれの著作を挙げておきます。
・N.スベンスマルク、青山洋訳『不機嫌な太陽』(恒星社厚生閣、2010年)
・丸山茂徳『21世紀地球寒冷化と国際変動予測』(東信堂、2015年)
・桜井邦朋『移り気な太陽』(恒星社厚生閣、2010年)
 
 そもそも、ひとつの主原因だけで、地球の気候という複雑系が一方的に変化していく、という考え方に、無理があるかもしれません。時期ごとに、あるいは期間の長さによって、主原因が違っているかもしれないではありませんか。
 このように、「厳密科学」とはいえない地球温暖化の要因論においては、複数の学説が登場してくるのは構造的な必然といえます。
 
 まとめます。
 生物進化論と地球温暖化説の要因論はともに、再現実験が困難なため、「厳密科学」とは言えません。その結果、どちらも、現在の自然科学の諸見解と矛盾しない範囲で、複数の要因論が併存し得ることになります。
 また、ひとつの要因論のみで、個別事例をことごとく説明するのには無理がある性質の課題でもあります。
 したがって、適切な科学的吟味をしたうえで定説を確定するのは、容易なことではありません。どちらの要因論も、私の眼には「論争中」と映ります。
 
 以上、科学史研究者の視点からの検討でした。
 
 「生物進化論と地球温暖化説(3)―イデオロギーの介入―」に続く予定。


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