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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

レヴィ=ストロースの音楽論(5)―自然と文化の再統合― 

Posted on 08:42:02

 
 あけましておめでとうございます。
 「レヴィ=ストロースの音楽論」シリーズの5回目です。
 今回は、「レヴィ=ストロースが音楽に何を期待しているのか」というテーマをめぐって考察してみようと思います。

 
 シリーズ4回目までに示したように、レヴィ=ストロースは、神話と音楽に類似性を見出しています。そして、近代以降、音楽は、かつて神話が担っていた機能を代替するようになった、と考えています。
 その機能については、シリーズ第1回ですでに採り上げました。
「世界や人間の在り方を暗示する」機能を、音楽も神話と同様に持っている、というのが、レヴィ=ストロースの考えである、と私は理解しています。音楽と神話が、構造的にも類似しているのはそのためです。
 しかしながら、レヴィ=ストロースは神話のもつ機能を、他の表現の仕方でも提示しています。結局は同じことを言っているのでしょうが、もう一つの語り方から、よりよく見えてくることもあると思います。
 その、もう一つの道筋から、彼が考えていたであろう音楽の機能に迫ってみようと思います。
 
 彼は、神話研究の主著である『神話論理』の最終巻の最終章において、「ただひとつの神話」という章のタイトルを掲げています(レヴィ=ストロース、吉田禎吾他訳、『神話論理Ⅳ-2 裸の人2』みすず書房、2010年、p.699)。膨大な数の神話群を比較分析してきたこの人類学者が、最終的に、原型的神話にたどり着いたのでしょうか。
 その「ただひとつの神話」をめぐって、ディディエ・エリポンとレヴィ=ストロースとのあいだでなされた興味深い対話があります。引用します。
 
E あなたの神話世界の周航は、『裸の人』の1章「唯一の神話」で終わります。「唯一の」ということは、つまり、あなたがそれまで4巻を費やして分析してきた神話はすべて、結局のところ、ただ一つの神話の変化形であった、ということなのですか?
L=S 少なくとも、自然から文化への移行という大きなテーマをめぐっての変奏曲であった、とは言えるでしょう。それは、天上世界と地上世界の交感の決定的な断絶、という対償を払って獲られた移行でした。そこから、この神話の中心的問題が人類の問題になってくるのです。
(レヴィ=ストロース、ディディエ・エリポン、竹内信夫訳『遠近の回想』みすず書房、2008年、p.245)
 
 神話には「自然から文化への移行」を語る、という大きなテーマがある。そのことを語ることによって、神話は、人間の文化が「天上世界と地上世界の交感の決定的な断絶、という対償を払って獲られた」産物であることを想起させる機能を持つ。
 このようにレヴィ=ストロースは考えていたのです。
 そしてどうやら彼は、神話の比較分析による自らの構造主義的研究も、神話と同様な機能を果たす、と確信していたようです。次のようなコメントもあります。
 
「構造主義は人間を自然に再統合し、主体…[中略]…を棚上げする」(前掲『裸の人2』、p.862)
 
 人類の文化・文明は、かつて我々が自然界と渾然一体となって生活していた時代から、自然を母体として誕生してきました。ところが、文明化とともに、人間の文化的活動は、自然界から切り離され、逸脱するようになり、自らのルーツ、自然界との結びつきが忘却されようとしています。また、文明人は過剰な自我意識を持ってしまいました。
 そのあたりの事情に、神話と構造主義の問題意識は照準を合わせているのです。
 レヴィ=ストロースは、神話とは「人間と動物がまだ区別されていなかった頃の物語である」(前掲『遠近の回想』p.248)という表現もしています。
 レヴィ=ストロースは、「自然と文化の対立」という観点を提示しますが、それは「その対立を実体的なものとして固定化するのを乗り越えるためにさしあたり導入されたもの」とみなせるでしょう(出口顯氏の見解を借りました。出口顯『神話論理の思想』みすず書房、2011年、pp.158-159)
 レヴィ=ストロースは、神話において、自然と文化とが相互に浸透しあっていることを認めています。また彼の言葉を引用します。
 
「自然と文化、動物と人間が、それらの神話では交換可能になっている。一方の世界から他方の世界へ自由に障害なく移る。両者の間に溝があるのではなく、混ざり合い、一方の世界の個々の項が他方の世界の個々の項に対応し、その項を意味する項をたちまちに思い浮かばせている」(レヴィ=ストロース、早水洋太郎訳『神話論理Ⅰ・生のものと火を通したもの』みすず書房、2006年、p.388)
 
 このように、人類が経験した自然から文化への移行・疎外を想起させ、自然界との相互流通の感覚を蘇らせようとする志向を、神話は人々に与えると考えられます。
 
 さて、シリーズ第1回でも示したように、レヴィ=ストロースは神話と音楽の類似性をことあるごとに語ります。そして、近代のある時期から、音楽が神話の機能を引き継いだ、との認識を表明しています。
 また、神話群の分析から得られた知見は、他の領域にも適用可能であることを示唆しています。「この[神話が提供する暗号解読用の]格子が、ある一つの意味、神話そのものの意味ではなく、神話以外の意味を解きあかすことを可能にしてくれる」(前掲『遠近の回想』p.254)
 ということは、彼が、音楽には「自然から文化への移行」の諸様相を表現する、という大きなテーマがある、と考えていたであろうと推測しても、おかしくはないでしょう。そして、音楽は「天上世界と地上世界の交感」を復元しようとする営み、と彼が把握していたであろう、と私は確信しています。
 つまり、音楽には「自然と文化の再統合」という志向性が宿っている、と、構造主義の人類学者は洞察していたのです。
 考えてみれば、標題性の強い交響詩のジャンルを振り返ると、自然と文化、天上界と地上界とのかかわりや、生と死、さらには神話をテーマとした作品がいくつも思い浮かびます。R.シュトラウスの≪アルプス交響曲≫や≪死と変容≫、リストの≪プロメテウス≫や≪オルフェウス≫、フランクの≪プシシェ≫など。あるいは、J.シュトラウスのワルツ≪美しく青きドナウ≫や、ベートーヴェンの交響曲≪田園≫、サン=サーンスの≪動物の謝肉祭≫、ハイドンのオラトリオ≪天地創造≫なども、その系譜の作品といえそうです。
 レヴィ=ストロースの音楽観は、作曲や演奏に携わっている当事者にとって、当たり前すぎることかもしれません。逆に、こうした考え方に拒絶反応を示す音楽家もいるかもしれません。
 ただ、作曲をする私からすると、彼の見解は実に腑に落ちます。
 作曲家たちはそうした志向性を意識的に持っているわけではありませんし、音楽に携わる人々には多様な、目指している境地があることでしょう。
 しかしながら、少なくとも、神話的テーマである「自然と文化」や「天上界と地上界」の間の対立と融和を、フーガ形式やソナタ形式に託して表現しているとみなせる作曲家たちの仕事がいくつもあります。そして、私自身の作曲の営為を振り返ってみても、深層の志向性を彼が言い当てている、と感じます。
 
 音楽には「自然から文化への移行」の諸様相を表現する、という大きなテーマがある、音楽には「自然と文化の再統合」という志向性が宿っている、とレヴィ=ストロースは見通しました(本人が明言しているわけではありませんが、私にはそう読み取れました)
 その洞察に、私は賛意を表し、このブログに書き残したのです。

 
追記
 
 同様の「人類にとっての音楽の役割・機能」という問題意識から書かれた、ロクリアン正岡氏の論考「新年2017ご挨拶」も、ご参照ください。


 

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