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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

精神のミニマリスト―腹二分の生き方― 

Posted on 07:06:28

 
 「ミニマリスト」という生き方があります。物質的所有を最小限にして生活している人のことです。
 私にはそんな生き方は無理ですが、志向性としては共感していました。「精神の在り方」として、似た傾向を私も持っているからでしょう。

 
 その精神の在り方を、「精神のミニマリスト」と呼んでみることにしました。
 文明社会が誘導してくる、生き延びるのにはほとんど不必要な欲望から、距離を置く。また、他者からの見返りを期待しない。このような、心の姿勢です。
 精神的欲望を、生存ラインが満たされればよし、とするレベルに置く、ということです。腹八分食べなくとも、腹二分程度の食事で、おそらくは人は生き延びられるでしょう。それと同様に、精神の欲望も、その程度にコントロールできれば、心は肥満せず、すっきりさわやかな状態を保てるのではないでしょうか。
 
 たとえば、家や車は、必要性のない人ならば、所有せずに済みます(私は両方とも持っていません)。ミニマリストならば、まず持たないでしょう。そして大事なポイントは、自分にとって不必要なものに対しての所有願望を抱かない、ということです。
 あるいは、自分の社会的地位・肩書きにこだわらない、心の持ち方です。地位や肩書きは、欲しなくてもついてきてしまうことがあります。単なる社会の約束事に、自分の精神が振り回されるとしたら、ばかばかしいことです。望まないし、来てしまったものに囚われない。
 私のイメージする「精神のミニマリスト」とは、そのような精神の在り方です。
 
 私は大学で、学生に向けて授業をしていますが、授業することは、私にとって、まずは趣味のような愉しみであり、また、学生に対する多面的な感化を行っている、といった感覚です。多面的感化とは、知識・考え方・生き方・社会に対する距離感などが、講義を通じて多少とも学生に伝わっているであろう事情を指します(私の思い込みだけかもしれませんが)
 そして、その見返り、学生からの評価などを期待しない、というのが、「精神のミニマリスト」の姿勢となります。様々な工夫をしてより良い授業を目指しますが、それは学生と自分の愉しみのための精進であり、見返りを求めない。
 あるいは、わたくしは研究者として、また日曜作曲家として、論文を書いたり、音楽作品を創作したりしていますが、それらは私にとって、まずは趣味の愉しみであり、修行でもあり、また、読者やリスナーへ贈り物を捧げている、といった感覚です(このブログ記事も、そのようなつもりで書いています)
 その研究・執筆、作曲・制作の過程自体が充実していて、報われています。それゆえ、他者からの評価を期待する必要はありません。そもそも、論文や楽曲をどう捉えるかは、受け取る側の自由でしょう。やはり、これらにおいても、見返りを求めない。
 このような姿勢を、「精神のミニマリスト」と名付けてみたのです。
 
書いていて、私が老荘思想や仏教哲学の影響下にあることを、痛感しました。2000年以上前からの東洋の知恵を、現代的に翻案したに過ぎないような気になってきました。ただし、仏教において提示されている、「涅槃」や「大円鏡智」などの究極の精神境位については、私は好きではありません。それらへの欲望自体が、精神の肥大化を招きかねないからです。
 
 「精神のミニマリスト」であろうとすると、心が穏やかになります。また、周囲の思惑をあまり気にせず、自在に生きられます。結果として、「心の平和」がやってくるのが、この生き方の最大のメリットかもしれません。


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