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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

「尾を塗中に曳く」思想―『荘子』の寓言の多面性― 

Posted on 16:29:16

 
 中国の古典『荘子』に出てくるよく知られた寓言に、「尾を塗中に曳く」話があります。秋水篇に出てきます。
 『荘子』の中の他の話もそうなのですが、この説話も、いくつかの解釈が可能であろうと思います。今回は、「尾を塗中に曳く」思想の多面性に光を当ててみます。

 
 あらすじは次のような話です。
 荘子が釣りをしているところに、戦国時代の楚の国王からの使者がやってきて、荘子に「楚の国の宰相になってくれないか」と頼みます。それに対して、荘子は断ります。
 「霊験あらたかな神亀として祀られるよりも、泥の中を這いずり回る亀のように生きたい」というのが、断りの理由でした。
 
 この寓言に対する一般的な解釈は、名誉や富や出世よりも、貧困でも自由を選ぶ、という荘子の「自由人の生き方」の現われとみる見方でしょう(野村茂夫『ビギナーズ・クラシックス中国の古典 老子・荘子』角川ソフィア文庫、2004年、p.222)
 話の筋から言っても、この解釈こそがこの話を書き留めた作者が最も伝えたかったことでありましょう。しかしながら、もう少し異なる視点から、この話の奥行きを探ることもできそうです。
 「泥の中の亀」という表現からは、世俗の塵埃にまみれることを、荘子が肯定的に楽しんでいるように、私には感じられました。有能であっても、あえて脚光を浴びようとはしないで、亀のように泥臭くしぶとく生きる
「俗世間の中に隠れる思想」といえるかもしれません。『老子』の「和光同塵」にも通じる思想です。
 また、「泥の中で遊ぶ亀」というイメージからは、自然界と調和して、生命の潮流に身を投じて生きていく、という姿勢が感じられます。荘子はもともと、エコロジストであったろうと思います。
 国家や社会システムの虚構からは距離を置いて、生命本来の食物連鎖や物質循環の近くで生きる。「釣り」をしているところに「国王」からの使者が来る、という対比からも、そうした思想を暗示しているように思われます(この対比は、映画≪釣りバカ日誌≫の「釣り」と「社長」との対比に似ていると、書いていて気づきました)
 さらに、「亀」と「釣り」のスピード感覚にも注目すべきでしょう。ゆったりのんびり、気ままに生きる。これは、ひとつ目の「自由人の生き方」の指針を暗示しているようです。
 煎じ詰めれば、「無為自然」のひと言に収斂するのでしょうが、さまざまなイマジネーションを喚起する寓話でありました。
 
 このように、「尾を塗中に曳く」寓言からは、「自由人としての生き方」のみならず、「俗世間の中に隠れる思想」や、「生命潮流と溶融する思想」も、私には読み取れました。
 これは、私個人の過剰な読み取りかもしれませんが、それができるだけの豊饒性が、『荘子』の寓言には宿っているとも言えるでしょう。

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