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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

「生・老・病・死」の共通性―覚悟をもった精神― 

Posted on 09:19:32

 
 私がよく利用する甲府市内のホテルには、部屋に『和英対訳仏教聖典』(仏教伝道協会)という書物が常備されています。夜、寝る直前に読むと、精神が安らぐので、安眠に効果を発揮しています。

 
 さて、その本をつまみ読みしていて、以前から気になっていた、仏教思想の根本教義に対する疑問がよみがえってきました。それは、「四苦」についての疑問です。
 原始仏教では、この世界が本質的に「苦しみ」である、と説きます。その「苦」を克服するのが仏教での修練や世界観の転換の重要な課題となるわけですが、その前提となる、「苦しみ」の四つが、とくに若い頃にはいまひとつ納得できなかったのです。
 後ろの三つ、「老・病・死」が苦しみであるのはよくわかります。それに対して、「生きる」というのも苦しみであるといわれれば思い当たる節もありますが、どうも後ろの三つとは性質が少し違う気がしていました。
 「生きる」というのは、辛く苦しいときもあれば、楽しく喜びに満ちているときもあるからです。現代人ならば、これが常識的感性なのではないでしょうか。
 それゆえ、「生・老・病・死」を「四苦」と括る思考には抵抗がありました。
 
 ところが最近、「生・老・病・死」には、苦しみとは若干異なる共通性がありそうだ、と気づきました。
 それは、「覚悟」ということです。
 「老・病・死」は、いのちある限り、たいていの人は迎えなければなりません(若死にしたり、病を経ずして亡くなったりする場合もありますが)。したがって、それらを経験する「覚悟」が要請されるでしょう。それらが到来したときに、大木のような落ち着いた精神が形成されていれば、それらの事態を従容と受け止めることができるでしょう。
 すると、ここで問題となるのが、「精神の成熟」であることが見えてきます。「老・病・死」を受け容れる「覚悟」ができている精神をいかに形成するか、ということが、仏道の重要なテーマであると、私には感じられます。
 その一方、「生きる」ということにも「覚悟」が伴います。
 人生にはさまざまな喜怒哀楽があり、試練があり、運命の転変に翻弄されたりします。それらの到来に対して、悠然と待ち受ける「覚悟」が形成されていれば、やはり、動揺の少ない精神生活を送れることでしょう。
 おそらく話の順序は逆で、「生きる」経験の中で「覚悟」をもつことを学んでいき、徐々に精神的成熟が進み、その結果、「老・病・死」に対しても、おのずと受容できる「覚悟」が宿ってくるのでしょう。
 自分に与えられた人生を、十全に生きようとする「覚悟」の延長上に、「老・病・死」を受け容れる「覚悟」が養われてくる、と私には思われます。
 
 仏教思想の構図からずれているかもしれませんが、「生・老・病・死」を「覚悟」という観点から捉えてみると、私にはそれらの共通性を上記のように了解できる実感があります。
 
覚悟をもった精神に、心の平和は宿ります。


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