04 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. » 06

作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

管弦楽曲の作曲の醍醐味―スコア作成までの過程― 

Posted on 11:39:50


 今回は、曲の着想段階から、断片のメモ書きを経て、オーケストラ譜ができるまでの、私のステップを、やや詳しく紹介します。
 作曲とは、未分化な潜在意識を形にしていくことである、というのが、私の実感です。


私の作曲過程―オーケストラ譜の完成まで―


私が常々感じていることなのですが、作曲は、自分の意思のままにできるのではなく、自覚されない潜在意識の活動を土台にして、その上に意識的・理論的構築を行っているように思います。
 曲の完成までの貢献度の割合は、潜在意識 対 意識的構築が、程度の割合、といったところでしょうか。
 作曲の過程とは、私にとって、勝手に湧き上がってくるものを、特定の枠組や理論内に落とし込んでいく作業である、といえます。 

 作曲←[成長(育てる)]+[構築]
 
 たとえば、<運命の変容>というヴァイオリン協奏曲は、ベートーヴェンの<運命交響曲>のモチーフを変形したテーマを持っている曲なのですが、ある朝、夢うつつの状態で頭の中を流れていたメロディーが<運命>の主題に似てることに気づき、この路線で曲を作ってみたら面白そうだ、と思い、育てていったものなのです。
 ベートーヴェンの<運命>に対抗した曲を作ろう、などといった不遜な意図で作曲し始めたわけではありません。
 
アイディアは成長していきます。
 メロディー、和声進行、対旋律、ソロのフレーズなど、作曲を進めていくうちに、植物が成長するように、変容を遂げていきます。毎日水をやり続けるように、曲と心を通わせ続けると、曲は成長していきます。
 潜在的な可能性が、さまざまな形に顕現してくる、と言い換えてもいいです。
 この段階では、五線紙にメモして、アイディアを書き留めていっています。


小説を書く際に、登場人物が作家の意図とは無関係に活躍し始めることがよくあると聞きます。作曲でもそうです。
 登場人物(脳内ソロ楽器)が、私の意向とは無関係に、勝手に演奏を始めることがよくあります。とりわけこれは、協奏曲のソロ楽器のカデンツァ部分で、何度も経験しました。
 たとえば、チェロ協奏曲<天上の蓮>のカデンツァ部分を、その直前までのオーケストラ・スコアがほぼできた後に書き始めようとしたところ、メモ書きしていた長調のメロディーラインとは全く異なる短調の旋律が頭の中で勝手に鳴り響き、その脳内チェロのメロディーがとても魅力的だったので、そちらを急遽、カデンツァとして採用し、書き留めました。
 
もう一方の、「構築」的側面について。
 素材がある程度出てきたら、曲の大まかな構想を決めます。
 
 [例、<運命の変容>より]Ⅰ→Ⅱ→Ⅲ(複合3部形式)、
  Intro―AABA―CCDDBC―ABA―Coda

 そして、各部分の、メロディーライン、和声進行、メロディー楽器の割り振り、等をほぼ確定し、オーケストラ全体の楽器編成を決めます。ただし、大まかな編成は、初期段階から漠然と思い描いています。
 私の場合、和声進行の原型は、弦楽四重奏のような、4声部の対位法が基本です。その4声部をさまざまなパートに配して、変形・装飾を加えたりして、オーケストラ・スコアを書き進めます。
 (楽譜作成ソフト、Finale Allegroを利用しています)
 ただし、書き進めるうちに、予想外の変更が頻繁に生じます。ひとつの変更が、芋づる式に、他の変更へと、延々と続くこともあります。
 
作曲の最大の愉しみは、萌芽的断片の中に潜んでいた可能性が、思いもよらない形で立ち現れ、成長していくことにあります。
 生成の現場に立会い、世界との共鳴の場に溶け込む―これが作曲の醍醐味です。

 
蛇足:発生学上の論争との比較


 ひとつの曲が出来上がっていく過程は、個体発生の過程とも比べられます。発生学の歴史上の、「前成説preformation」「後成説epigenesis」の論争と対比してみると、作曲にはどちらの要素もあるようです。大まかなプラン・枠組はあるが(前成説的)、作曲の過程でさまざまな修飾・変容を遂げ(後成説的)、当初の予定とはかなり異なる作品が生成してきます。

前成説とは、成体のミニチュア、または原基が発生の最初から存在し、それが展開されてくる、という学説です。
 後成説とは、個々の器官は発生の過程で徐々に形成され、単純な胚が複雑に分化していく、という学説のことです。

 「後成説的生成」は、曲に生じるだけでなく、作曲者にも生じることがあります。曲を作る過程において、人間的な変容―音楽観や人生観の微妙な変化―が生じた感触をもったこともありました。
 これは、作曲の過程が、世界との感応を反映しているからでしょう。世界のあり方自体が、前成説的側面と、後成説的側面を含んでいるから、と理解できます。
 したがって、この両面性は、世界のあり方を反映して、作曲者という媒体を通じて、音楽に宿る、といえます。三重の対応が、ここにはあります。

関連記事
スポンサーサイト

テーマ - 作詞・作曲

ジャンル - 音楽

△page top

△page top

Secret

△page top

トラックバックURL
→http://wood248.blog.fc2.com/tb.php/16-de090fa1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

△page top

カテゴリ

全記事一覧リスト

最新記事

月別アーカイブ

コメントをどうぞ

最新コメント

最新トラックバック