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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

17世紀初頭に出現した、大譜表とデカルト座標 

Posted on 12:22:05

 
 音楽史では、1600年頃に、バロック音楽が誕生します。当時の代表的楽曲に、クラウディオ・モンテヴェルディのオペラ、≪オルフェオ≫があります。
 同じ頃のイタリアでは、ガリレオ・ガリレイが、自然科学の刷新となる研究を行っていました。

 
 バロック音楽と近代科学は、ともに、17世紀の初頭、イタリアの北部を中心に始動しました(バロックオペラはフィレンツェで始まり、モンテヴェルディはマントヴァの宮廷で活躍し、ガリレオはパドヴァやフィレンツェで業績を残しました)
 この両分野の誕生の間には、こうした表面的な類似性以上の、世界観や方法論に関わる本質的共通性が潜んでいる、と私は考えています。その内容のひとつが、「数学的方法論」です。数学的手法が両者に深く関わりあっていた、ということです。
 その一例として、大譜表とデカルト座標の構想を紹介することにします。
 
 17世紀になると、オペラや器楽曲が発展していきます。それと連動して、以前とは異なる水準の楽譜が書かれるようになりました。それが、「大譜表」です。
 16世紀末までは、鍵盤楽器のための特殊な記譜法にしか見られなかったものです。それも、せいぜい上下2段の譜表です。また、1小節ごとに小節を区切る「小節線」は一般的ではありませんでした。
 ところが、小節線の入った大譜表が、皆川達夫氏の表現を借りると、「17世紀初頭から突如として音楽史の表舞台に登場し、あらゆるジャンルでひろく使用されることとなった」のです(皆川達夫『楽譜の歴史』音楽乃友社、1985年、p.68)
 モンテヴェルディのオペラ、≪オルフェオ≫の楽譜は、1609年にヴェネチアで出版されました。そのスコアを見ると、多声部の大譜表と、小節線とが、すでに導入されているのがわかります。
 

大譜表の例(≪オルフェオ≫より)
≪オルフェオ≫の<トッカータ>冒頭部分
(図版は、ハワード・グッドール、松村哲哉訳『音楽史を変えた5つの発明』白水社、2011年、p.81、より。クリックで拡大)
 

 大譜表と小節線の導入は、音楽の「座標軸化」と捉えることができます。音の高さを目安に上下方向の軸が分節化され、音楽の時間的流れに沿った1サイクルのリズム単位に小節線という目盛りがつけられました。
 オペラやオーケストラのスコアは、楽曲の時空間構造を2次元の座標平面に投影した幾何学的設計図なのです。そして、この近代的記譜法の基本型が「突如として」出現し、普及し始めたのが、デカルト座標の出現にわずかに先立つ17世紀初頭でした。
 デカルト座標平面上に、放物線や楕円などの数学的世界が描かれるのと同様に、スコアという名の座標平面上には、楽曲の数学的構造が描かれるのです。 

 
 さて、その「デカルト座標」ですが、一般的にはそのアイディアは、オランダに在住していたフランス人、ルネ・デカルトが、1637年に考案したとされています(『方法序説』中の試論「幾何学」に述べられています)
 しかしながら、x軸とy軸のような、直行する2本の軸を基準とした枠組上で、幾何学的に数学的理論を考察する方法は、デカルト以前のガリレオに見られます。
 ガリレオは、放物線運動を、水平方向の等速運動と、垂直方向の等加速度運動の合成と捉えました。その研究過程での手稿が残されています。次の図をご覧ください。
 

ガリレオの放物線運動についての手稿
手稿116v
(フィレンツェ国立中央図書館所蔵、高橋憲一『ガリレオの迷宮』共立出版、2006年、p.176、より。クリックで拡大)
 

 これを見る限り、ガリレオがすでに、直交座標の枠組で放物線運動を理解しようと試みていたことがわかります。つまり、ガリレオは、デカルト座標を先取りしていたのです。
 この手稿が書かれた年代については、高橋氏は、「1609年の初期に書かれた公算が大」と推測しています(同書、p.178)
 時期的に、オペラで大譜表が採用され始めた時期と重なっています。音楽史と科学史において、その世界を直交座標平面上に表現しようと試み始めた時代が同期しているのです。
 
 近代力学を確立したガリレオは、自然は「数学の言語で書かれている」と確信していました(ガリレオ、山田慶児・谷泰訳『偽金鑑識官』中央公論新社、2009年、p.57)。彼にとって、世界を理解するとは、数学的言語で世界を記述することに等しかったのです。
 そのガリレオの言葉遣いを真似れば、「音楽の世界も数学の言語で書かれている」といえるでしょう。
 
補足しておきます。
 モンテヴェルディとガリレオの両者に、多大な影響を及ぼした一人の人物がいます。ヴィンチェンツォ・ガリレイです。ガリレオの父です。
 ヴィンチェンツォはリュートの演奏家であるとともに、音楽理論家でもありました。モンテヴェルディは、不協和音の理論や、オペラのモノディ様式などの構想を、ヴィンチェンツォから吸収したようです。息子ガリレオは、父から、音楽理論に関連する実験助手の経験などを通して、実験精神と数学的手法を学んだと思われます。
 1600年頃の、音楽史と科学史の共時性について、鍵となる最大の人物が、ヴィンチェンツォ・ガリレイなのです。



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