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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

ケプラーが円を捨てた根拠―二つの作業仮説どうしの比較― 

Posted on 11:58:48

 
 現在書き進めている論文(「平均律と楕円軌道」)の細部を詰めるために、ケプラーの著作『新天文学』(の日本語訳)を、丁寧に読み解いていきました。
 すると、古代ギリシア以来の伝統的な固定観念である「円軌道」をケプラーが放棄した経緯に関して、私が誤った先入観を持っていたことがわかりました。その先入観とは、次のようなことです。

 
 ケプラーは、師のティコ・ブラーエの残した火星の観測データと〈直接〉比較して、そのデータとは合致しない円軌道を捨て、データと整合的な楕円軌道に到達した、と私は思い込んでしました。
 ところが、ケプラーの原著によると、データと〈直接〉比較対照したわけではない、ということがわかりました。
(ケプラーを専門としている科学史研究者ならば、このことはひょっとしたら常識なのかもしれませんが、ケプラーについての二次文献を系統的には読んでいない私のような科学史研究者にとっては、新鮮な発見でした。おそらく、多くの科学史研究者が誤解している可能性のある事柄なので、書き記しておく価値があると考えました)
 そこで、今回のブログ記事では、ケプラーがどのような比較を行って、「円軌道」を断念するにいたったのか、という過程のエッセンスを簡潔に説明したいと思います(ケプラーの説明は非常に煩瑣で迷路の中を歩いているようです。そのため、簡潔に要約するのは至難の業かもしれませんが、やってみます)。さらにその過程から、意外にもケプラーが、天動説を集大成した古代ローマ時代の天文学者、プトレマイオスの用いた小道具(離心円・エカント点)を活用していたことが判明しました。そのことについても、この記事の最後に触れておきます。
 
 ケプラーの師、デンマークのティコ・ブラーエの観測記録の正確さは驚異でした。望遠鏡を使わずに肉眼で観測できる理論的極限値に近い精度だったらしいです。プトレマイオスの測定誤差が10分(6分の1度)程度であったのに対し、ティコの誤差は1分以内であったそうです(参考までに、太陽の視直径は32分)。それまでの天文観測記録の多くを修正しました。そして、惑星の中でも見かけの動きがとりわけ複雑な火星の運行を、正確に記録に残したのです。
 1599年に、神聖ローマ皇帝ルドルフ二世の招きでプラハに移ったティコは、1600年にヨハネス・ケプラーを助手として招聘します。ケプラーの数学の能力を見込んだようです。その翌年にティコ・ブラーエは亡くなり、膨大な観測資料は、弟子のケプラーへと引き継がれました。
ティコの死後、ケプラーは師の正確無比なる観測データを活用し、火星の軌道研究に取り組みました。その研究成果が、1609年の『新天文学』です。
 この著作は、火星の軌道分析に基づいて、惑星運動の「幾何学的」法則性を探究しているのですが、それと同時に、このタイトル副題に「原因を説明できる天体物理学」(*)とあるように、惑星運動における「物理的原因」も探究しています。ケプラーにとって、理論的天文学の目標は、単に観測データに合う宇宙の幾何学的モデルを作成することだけではありませんでした。その宇宙モデルは、力学的運動原理に基づいて説明されなければ十分ではなかったのです。
 
ヨハネス・ケプラー、岸本良彦訳『新天文学―偉大なティコ・ブラーエ氏の観測による火星の運動についての注解、すなわち原因を説明できる天体物理学―』工作舎、2013年。 
 
 さて、ティコ・ブラーエの観測記録に基づくと、火星の運動は明らかに等速運動ではありませんでした。また、太陽からの距離も変化していました。大まかな規則性として、太陽に近いほど火星は速く動き、遠いほど遅くなるようでした。ケプラーはこの相関を、太陽に近づくほど太陽からの力を強く受け、速く運行する、と理解しました。そして、速度変化を支配しているであろう法則性を見出そうと努めたのです。
 そこで、ケプラーは、暫定的な作業仮説をひとつ、提案します。【仮説1】としておきましょう。
 
【仮説1】火星の軌跡が同一平面上の離心円(円軌道の中心が太陽からずれる円)であると想定する。その上で「惑星が費やす離心円の等しい弧での所要時間どうしの比は、それらの弧の[太陽の中心からの]距離と比例する」とする仮説(同書、p.388、[]内は訳者、岸本氏による)
 
 想定した軌道は未だに円でしたが、この仮説はケプラーの第2法則の祖型といえます。離心円のもとでの「面積一定則」と等値だからです。
 ところが、この「面積一定」仮説に基づいて得られる火星の理論上の位置は、太陽から最も遠い地点、遠日点を基準にして、45度または135度ほど移動した軌道付近では、「適切な位置」から若干ずれてしまいます。
 問題は、この「適切な位置」をケプラーがどのようにして求めたのか、またその精度はどの程度か、ということです。
 「適切な位置」とは、ティコの観測記録に基づいて算出された、火星が実際に存在しているはずの位置でした。その算出には、もうひとつの暫定的な作業仮説が用いられました。それを【仮説2】とします。
 
【仮説2】離心円の遠日点と近日点を結ぶ直径上の架空の点「エカント点」、その点から見ると等角速度運動しているように見える点、を仮定する(同書、第16章)。そのエカント点を基準にすると、火星の軌道上の位置変化を算出できる。

離心円とエカント点 
離心円とエカント点。Aは太陽、Bは離心円の中心、Cがエカント点。DEFGは軌道上の火星、Hは遠日点、Iは近日点。視点としての地球は、DA、EA、FA、GA上にある。
(同書、p.233より)

 

 ケプラーは、ティコの火星の観測記録を2分以内の誤差で再現するエカント点を捜し出していました。「エカント点モデル」とも言うべき【仮説2】が十分に信頼できるため「経度に関しては十分に信頼できる代用仮説」同書、p.416)、それで算出した値を「適切な位置」とみなし、その位置と、【仮説1】の「面積一定」仮説より得られる理論上の位置とを比較したのです。
 したがって、実際にケプラーが行った比較は、二つの代用仮説の間の照合だったのです。

 興味深いことに、【仮説2】で適切な位置が求められるのに、その仮説をケプラーは最終的には採用しませんでした「誤った仮説が正しい仮説と同じはたらきをすることが起こりうる」同書、p.274)
 なぜでしょうか。
 それは、【仮説2】の「エカント点モデル」では、太陽を力の源泉とするモデルとはなっていないからです。そのため、ケプラーはそれを数学的仮説としてのみ用いたのです。「エカント点モデル」は、観測記録と対応するとしても、正当な力学的法則にはなり得ないと認識していました。
 
 比較に話を戻します。
 ふたつの仮説によって得られる火星の位置に関して、遠日点を基準にして、45度または135度ほど移動した軌道付近では、若干のずれがあったのです。太陽から見た角度で、どちらも8分ほど齟齬をきたしていました。
 遠日点や近日点の前後では、【仮説2】より得られる実際の火星は、【仮説1】より得られる理論値よりもう少し遅く、遠日点や近日点から離れた90度付近の位置では、相対的にはもう少し速く運行しているようでした。そもそも火星は、遠日点付近では遅く、近日点付近で速く、運行するのですが、その中間領域、90度をまたぐ領域での加速と減速が、ふたつの仮説間では少々合致しなかったのです。
 とすると、90度付近では、火星の実際の位置は太陽により近く、円軌道よりも内側にあるのかもしれません。扇形の半径が小さくなれば、面積一定のもとでは弧の長さが長くなり、つじつまが合うからです。
 

 ここで考えられる可能性は、3通りあります。
 【仮説1】の面積一定仮説が誤り。
 または、観測記録と【仮説2】に基づいて算出された「適切な位置」が信頼できない。
 あるいは、軌道が円であるという前提が間違っている。
 

 ケプラーが選び取ったのは、上記の最後の選択肢でした。
 ケプラーは「円軌道」という二千年来疑われることのなかった天文理論上の大前提を疑い、最終的に、それを放棄しました。円軌道を若干修正すれば、面積一定仮説と観測記録に基づく位置とは合致しそうでした。太陽を力の源泉とする自らの惑星運動仮説と、観測データとの間接的な整合性を、古代以来の固定観念よりも優先したのです。ケプラーは、「円」の呪縛から解放された最初の理論家でした。
 惑星の運動は「一様」でもなければ、「円運動」でもありません。等速性に換わって得られた規則は、「面積一定則」でした。では、円運動でなければ、軌道はどんな形なのでしょうか。また、その軌道形成の第一原因となるべき太陽はどう関わっているのでしょうか。
 円を棄てたケプラーは、試行錯誤の末、「楕円軌道」にたどり着きます。楕円は、観測データと合致するのみならず、太陽が軌道の中心と一致しない必然性も与えました。離心円では、なぜ太陽が円の中心とずれているのか説明がつきません。ところが楕円ならば、楕円の長軸と短軸の交点としての中心以外に特別な幾何学上の点「焦点」が存在し、そこに太陽を位置づけることができます。
 こうして、ケプラーは「円から楕円へ」の転換を果たしたのでした。
 そして、円を捨てた最大の根拠が、〈ふたつの作業仮説どうしの比較〉にあったのです。理論を観測データと〈直接〉比較したわけではありませんでした。両方の作業仮説を保持するには、円を捨てるしかなかったのです。
 このことが、私にとって、新鮮な発見だったので、ブログに書き留めることにしたのです。
 
 さらに、【仮説1】と【仮説2】の両者に、古代のプトレマイオスの天動説に用いられていた補助理論、離心円とエカント点が活用されていることも、注目されます。
 離心円もエカント点も、力学的観点からは意味をなさない代物です。そのことはケプラーも十分に理解していたことでしょう。しかし、ケプラーはこれらを、位置変化を説明できる「幾何学的モデル」として利用しました。最終的には、これらの小道具を放棄しますが、使い勝手のよい補助ツールとみなしていたのは間違いありません。
 やはりケプラーも、天文学の歴史的伝統を十分に踏まえた上で、自説を展開していた、といえます。ケプラーは地動説の支持者ではありましたが、天動説の議論全体を見限ることはせず、使える、と思われる補助理論は再利用していたのです。
 
この記事で示した、二つの仮説に関連する研究論文などをご存知の方がいらっしゃいましたら、ご一報していただければありがたいです。
 お願いします。


 


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