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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

ブルックナーの交響曲を聴く愉しみ 

Posted on 09:23:14

 
 アントン・ブルックナーには不思議な魅力があります。そのためでしょうか、愛好家の中には、究めつきの「ブルックナー通」のマニアが結構いるようです。私は、マニア、あるいは“信者”と言えるほどブルックナーに傾倒している訳ではありませんが、惹かれているのは確かです。
 今回は、ブルックナーの交響曲に対する私の姿勢、どのように愉しんでいるかを自己分析してみようと思います。

 
 私のブルックナーの交響曲に対する聴き方は、必ずしも「ブルックナー通」の方々の聴き方とは同様ではなく、ひょっとすると相当ずれているかもしれない、“邪道”なのかもしれない、と思うようになりました。それは、『交響曲CD絶対の名盤』という本の中で、次のような一節に出会ったからでした。
 
「…やがて私が気づいたことは、世の中には、ブルックナーを一瞬にして「天啓」と受け取れる者と、「一生涯無縁」の者の二種類があるのだということである。こればかりは、いくら「ここが良いでしょう?」と迫ってみても、どうしようもない」
(福島章恭『交響曲CD絶対の名盤』毎日新聞社、2005年、p.122)
 
 そうでしょうか。この文章には違和感を覚えました。なぜなら、私はどちらでもないからです。私にとってブルックナーは、崇拝の対象からはほど遠く、時には身近な遊び相手の感覚だからです(“信者”の方々、ごめんなさい)
 だとしたら、ひょっとしたら特殊かもしれない私の聴き方を書き記しておくことも、あながち無意味ではないかもしれないと考え、自己省察をまとめておくことにしました。
 
(1)画面のない映画音楽として聴く
 
 映画音楽といっても、映画のテーマ音楽ではなく、情景描写のような音楽を念頭においています。ブルックナーを目を瞑って聴いていると、壮大な光景が連想されてきます。どこまでも続く広大な原野や、悠然と流れる大河のような、開放的な広々とした空間を思い浮かべたりします。その情景の中に溶け込み、音楽が導く世界の変化に身を任せます。
 ブルックナーの交響曲の細部は、映画の多様な情景描写を思わせます。音楽を聴きながら、景色を味わえるのが、ブルックナーの一番の魅力です。
 
(2)対位法の絡みを堪能する
 
 対位法はオーケストラ音楽には付きものではありますが、とりわけブルックナーの交響曲では、対位法が緻密に構築されています。ほとんどの旋律が複旋律になっているといってもよいほど、ブルックナーは対位法にこだわりを持っています。主旋律に対旋律が絡み、さらな対旋律を修飾するオブリガートがそれらを引き立てる、というような三重(以上)の対位法となることも頻繁にあります。
 ブルックナーの曲に宗教的厳粛さが感じられる一要因に、構築された対位法のテクスチュアが効いていることは、疑いないでしょう。
 バロック時代にはバッハが対位法を究めましたが、ブルックナーは明らかにバッハを引き継いでいます(ブルックナーは教会のオルガン奏者を務めていた、信仰の厚い人物ですから、バッハの影響を受けていないはずかありません)。その技法を後期ロマン派の複雑な和声進行の中で活かしているのです。驚くべきことです。これを堪能できるのはなんと幸せなことでしょう。
 
(3)良質の哲学書を熟読するように鑑賞する
 
 たとえば、最近、内山節さんの『自由論』を読みましたが、内容があまりにも私の精神に響いてくるので、速読などはせず、敢えて“遅読”して、丁寧になめるように読み進めました。宗教書でもそういうことはありうるでしょう。そのように良書を熟読するごとく、私はブルックナーの音楽を聴くことがあります。ブルックナーは“熟聴”に耐えうる作品の宝庫です。
 
(4)オーディオ・スピーカーの能力を発揮させる
 
 私は通常は、書斎兼スタジオとしている部屋で、小型スピーカー(ALR JORDAN Entry Si)で音楽鑑賞をしていますが、ブルックナーの交響曲を聴く場合、残念ながらこのスピーカーでは十分には作品を表現しきれません。そのため、じっくりと聴き込む場合は、リビングルームのオーディオで、YAMAHA NS-1 Classics というスピーカーを通して聴くことにしています。
 このスピーカーは、20年ほど前に購入したのですが、クラシック音楽の再生能力がすばらしいため、気に入り、買い換えていません(二度、イタリアのスピーカーSONUSFABER Minima と、デンマークのDALI MenuetⅡというスピーカーに食指が動いたことがありましたが、販売店での試聴の結果、NS-1 のほうが私の好みと判断しました)
 とりわけ、後期ロマン派の大編成のオーケストラを見事に再現してくれます。小型スピーカーが苦手としている中低音域(ホルンやトロンボーン、チェロの音域あたり)を、濁らず、こもらずに、ふくよかに奏でてくれます。また、弦の表現も艶やかでしっとりとしています。
 ブルックナーのCDをかけていると、このYAMAHA NS-1 が生き返ったように感じます。スピーカーが躍動し、喜んでいるように思えてきます。
 
(5)好みの管弦楽団の彩を味わう
 
 私がブルックナーのCDを選ぶ基準は、指揮者ではなく、オーケストラです。ブルックナーととりわけ相性のよい管弦楽団があり、私はその楽団の音色を堪能するのが、この上ない喜びなのです(このような聴き方は、やはり“邪道”かもしれません)
 そのオーケストラとは、ドレスデン国立管弦楽団(Staatskapelle Dresden)です。
 絹のような肌触りの弦楽器を中核として、まろやかな、とろけるような格調高いサウンドを創出します。おそらく、楽団として、古来からの響きを継承してきているのでしょう。歴史の重みさえ感じる音色です。私にとって、オーケストラサウンドのリファレンスとなっています。
 このオーケストラの演奏するCDの中で、一番の愛聴盤は、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮の第7番、1980年の演奏です(上記の福島氏の著作には載っていませんでした)。演奏、録音ともにすばらしく、音楽とオーディオを同時に満喫できます。
 ブロムシュテット以外にも、オイゲン・ヨッフムや、ジュゼッペ・シノーポリの指揮による演奏もすばらしいです。
 
(6)作品の構成を吟味する
 
 最後に、日曜作曲家として、このような複雑怪奇な作品の構造を解き明かす、という愉しみがあることを付け足しておきます。
 この作業は、音楽に身を任せるような聴き方から抜け出さなくてはできませんので、向き合う姿勢が異なります。音楽作品を対象化し、分析の対象として、いわば自然科学者の姿勢で臨むことになります。
 聴きながら、いつの間にかモードチェンジしていることがあり、聴く姿勢に違いがあることに気づきます。気晴らしのために読んでいた本が、いつの間にか研究の対象になってしまうことがあるのと似ています。
 
 ブルックナーの交響曲は、このように、さまざまな観点から味わえるのです。ということはやはり、底知れない深さを湛えた作品群なのでしょう。現代のオーディオ装置で、彼の音楽を鑑賞できるのは、実に恵まれている、と感じます。


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