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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

肺循環説とニケーア公会議 

Posted on 08:57:38

 
 人間の血液は、心臓を出て体中に行き渡り、また心臓に戻ってくる――という血液循環説は、17世紀前半に、ウィリアム・ハーヴィーによって確立しました。
 それに先立ち、心臓と肺との間の循環に気づいていた人物がいました。セルヴェトスです。
 宗教改革の時代、16世紀半ばに、セルヴェトスは初めて肺循環説を提唱したのですが、彼はその学説を、宗教的根拠に基づいて主張していたのです。
 今回は、血液理論とキリスト教の教義との関連について、考察してみます。

 
 セルヴェトスの信じていたユニテリアン神学は、古代ローマ帝国時代に異端とされた、アリウス派の流れを汲みます。
 325年のニケーア公会議によって、アタナシウス派の「三位一体」説が正統教義とされました。一方、イエスの神性を否定する(つまり、神の子でないとする)アリウス派は、異端と看做されました。
 さて、古代にも血液理論がありました。それは、ローマ帝国時代(2世紀)のガレノスが体系化した理論です。彼の血液理論は、当時の考え方を集大成した学説で、「プネウマ」という概念と深く関わりのある理論体系でした(「プネウマ」とは、空気中に漂っている生命力の源となる存在で、日本語では「精気」と訳されています)
 そして、ガレノスの血液―プネウマ理論は、やがて「三位一体」説と結びつき、キリスト教の支持を得て、定説として、1000年以上もの間、継承されていきます。
 
ガレノス理論と三位一体
 
 古代ローマ帝国時代においてすでに、人間の体には、全身に行き渡る3種類の脈管系が存在していることがわかっていました。静脈系と動脈系、そして神経系です。ガレノスの学説の根幹は、この3種の脈管が異なるプネウマを運搬している、という点にあります。
 当時はもちろん、血液が循環する、という発想はなく、血管は末端で開いており、血液は行ったり来たりしながら、ゆっくりと全身に染み渡っていく、と理解されていたようです。静脈と動脈は、血液の色彩がやや異なるため、異なるタイプの血液が流れていると考えられていました。
 では、ガレノスの血液―プネウマ理論の概略を紹介します。
 心臓の右心と静脈系は、腸で食物から吸収した栄養分が肝臓に到り、肝臓で生成した<自然プネウマ>を、静脈血とともに全身に運びます。肝臓は造血器官でもあります。
 心臓の左心と動脈系は、肺から取り入れられた<生命プネウマ>を、活力化された動脈血とともに全身に運びます。(右心と左心の間には小穴があり、そこを通って血液は移動し、肺からの気体によって活力化される、とガレノスは考えていました)
 神経系は、脳で、左心からやってきた生命プネウマを含む血液が精妙化され、<精神プネウマ>となり、それを全身に運びます。
 そしてこの3種のプネウマは、それぞれ、人間における「植物的機能」(消化・排泄など)と「動物的機能」と「人間的機能」を支える生命力の源となると了解されていました。3種のプネウマが三位一体となって、人間の生命を支えているという図式です。
 このプネウマ理論は、アタナシウス派の正統教義、「三位一体」説と親和的であり、また、アリストテレスの3種の霊魂論とも見事に対応していたため、広く受け入れられ、定説として16世紀まで引き継がれていきました。
 心臓や血液は、心や魂といった事柄と連想しやすいため、宗教や哲学的議論と絡んでいくのが常態であったのでしょう。
 
*プネウマに関する訳語については、故・坂本賢三氏の見解に従いました。英語の animal spirit に対応する用語は、「動物精気」ではなく、「霊魂精気」あるいは「精神プネウマ」と訳すのが適切だ、と、坂本先生から、私は大学院時代に教示していただきました。
 
肺循環説とアリウス派
 
 冒頭で述べたように、ハーヴィーの血液循環説に先立って、肺循環説がセルヴェトスによって初めて提唱されました。肺循環とは、心臓の右心室を出た血液が、肺を経由して、左心房に戻ってくる経路のことです。
 セルヴェトスは、この経路が存在する必然性を、ユニテリアン神学の見地から主張しました。
 アリウス派の系譜を引くユニテリアン派は、当然のことながら、「三位一体」を否定します。それと連動して、セルヴェトスは3種類のプネウマも否定します。そして、神格が唯一存在するのと同様に、霊魂の宿る血液も1種類のみである、と断定します。
 静脈系の血液と動脈系の血液は同種であり、肺を通じてつながっている、肺で血液が活力化されるため、見かけの色合いが異なって見えるに過ぎない、とセルヴェトスは説きます。空気中に遍在する神の息吹によって、血液にプネウマが吹き込まれます。
 彼のこの肺循環の主張は、『キリスト教の復興』(1553年)という、ユニテリアン神学の布教のためのパンフレットの中でなされました。宗教活動の一環として、肺循環説は最初に主張されたのです(その小冊子は異端とされ、禁書となりました。またセルヴェトスはジュネーヴでカルヴァンによって捕らえられ、処刑されてしまいました)
 ひょっとするとセルヴェトスは、「三位一体」を否定するための身体的論拠として、肺循環を持ち出したのかもしれません。いずれにせよ、肺循環説は、「三位一体」説の否定と、深く関わりあっていたのです。
 1200年ほど前のニケーア公会議での仇を、アリウス派の末裔のユニテリアン派が取ろうとしていた、と私の目には映ります。
 アタナシウス派の「三位一体」と結びついたガレノスの血液理論(の一部)を、ユニテリアン派の肺循環説が突き崩したのでした。
 
*6年後の1559年には、コルンブスが解剖学的根拠に基づいて、肺循環説を唱えています。セルヴェトスの説を知っていたか否かについては、不明です。知っていたとしても、禁書を読んだとはいえないからです。
 
 血液や心臓は、古代より魂や心と結びつけて考えられていました。血液理論の転換が、宗教的教義の対立と連動していたことは、偶然ではなく、人間を理解しようとしてきた知の歴史上の必然といえそうです。
 
※参考書:中村禎里『生物学の歴史』(川出書房新社)、メイスン『科学の歴史・上』(岩波書店)、『科学史技術史事典』(弘文堂)。


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