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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

作曲は何と似ているか(2)カンニングの摘発と似ている 

Posted on 09:36:09


 作曲は何と似ているか(1)の続きです。

 これは作曲とよく似ている、と私が感じたいくつかの事柄を取り上げて、なぜ似ていると感じたのかを検討していくシリーズです。


カンニングの摘発と似ている

 
 私は大学教員なので、定期試験の監督を行うことがあります。その際、どうやら、他の監督者よりも私のほうが、試験中に不適切な行為をする学生を発見することが多いらしいことがわかってきました。
 
 2012年の前期試験のある一日の出来事です。
 3コマ試験監督をしたのですが、計3件の不正行為に類する現場(カンニングペーパー、持込不可物の持込、答案の見せ合い)を発見してしまいました。同室にいた他の2人ないし3人の監督者は、なぜか見落としていました。私も熱心に見つけようとしているわけではないのですが、なんとなく気付くのです。
 
 この「なんとなく気付く」過程を振り返ってみると、まず、何かザワザワした漠然とした気配を教室の一部から感じます。その感触を探っていくと、あるいは後から振り返ってみると、特定の学生の不自然なしぐさや視線であったりします。ひょっとすると、体臭の変化や発汗現象なども伴っているのかもしれません。そして、教室の中を気配に導かれるようにして歩いていると、その現場に逢着してしまうのです。
 
 最初に感じる、正体不明のあいまいな気配を見逃さず、その感触に寄り添って、微妙なシグナルを増幅させて感じ取り、それが持っている内実に迫っていく。このカンニング発見のコツは、作曲の初期過程、モチーフの産出・生成・成長過程とよく似ていると感じます。
 
 たとえば、私が昨年作曲した<複相都市の情景>と、<高原の風>という曲があります。これらはそれぞれ、松本の街並みの印象、上高地の散策の印象をもとに創作した管弦楽曲ですが、どちらの曲でも、いくつかの断片や構想は、それぞれの場所から喚起された、さざ波のような微妙な精神の揺らぎを捉えるところから生成してきました。
 その漠然とした感触は、言語でも音楽でもないのですが、ゆがめないように見守って、気配と戯れていると、音楽で表現可能な水路に流れ込んでくることがあります。そして、最初に得られた感触が秘めていた色合いを失わないように、曲の形式の中に組み込んでいきます。場合によっては、最初の気配に導かれるようにして、曲全体が生成することもあります。
 このように、曲を「なんとなく思いつく」という過程は、不正行為に「なんとなく気付く」過程と、構造的にもそっくりなのです。
 気配に対して感受性を開放しておく、ということです。そして、どちらも、本人の意識的営為は補助的役割にとどまっています。
 
 思いついたモチーフに対する色付け―和声付け・曲の構成・オーケストレーションなど―の局面では、私が経験してきた文化的背景の影響が多大でしょうから、完成された曲は、最初に得られたいくつかの気配の総体と、作曲者に纏わりついている音楽・文化的荷重との相互作用の産物といえるかもしれません。


作曲は何と似ているか(3)に続く

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