06 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. » 08

作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

陶酔の時間―内山節『自由論』第5章を読んで― 

Posted on 10:36:16

 
 現代社会で生きている私たちは、時間を管理しつつ、時間に追われる生活を送っています。その一方、時間に制約されないひと時を過ごせると、充実した解放感を得られます。 こうした消息を、内山さんは『自由論』の第5章「時間と自由の関係について」のなかで、語っています。
(内山節『自由論』岩波書店、2014年)
 この第5章を読んで共感し、納得したことを、以下に綴ってみます。

 
 時計の時間に管理されている現代人の状況に関して、すぐさま思い浮かんだのが、起床の時間と食事の時間でした。出勤する日には、身体の欲求とは関係なく、決まった時間に起床し、食事をしています。考えてみると、出勤日以外も、体の声を聴かずに、自分で予定した一日のメニューをこなすために、無理に早起きしたり、食欲があまりなくても時間が来たら食事をしたりしています。
 内山さんの言うように、「自分の一生でさえ、時間管理の発想でとらえる(p.95)やり方を、私も相当内面化しているのは否めません。計画通りの一日を送ろうとするため、内なる自然ともいえる、身体の微妙な変化を無視してしまうことがよくあります。
 これでは、自分の肉体を機械として、あるいは奴隷として酷使しているようなものかもしれません。
 機械的な時計の時間による人生の管理は、工場での生産管理のように、その社会で生きる人々を機械仕掛けのような生き方にし、いのちが内側から輝くような生き方を抑圧する傾向にあるのは確かでしょう。
 
 その一方、内山さんは、2種類の「時間の自由」を語っています。ひとつは「自在に時間を配分する自由」、もうひとつは「失われることのない、いまという時間を自在につくりだす自由」です(p.86)。そして、後者の自由こそが、「人間を平等にし、創造の自由を与えている」と強調しています。その自由の回復を、内山さんは重視しているのです。
 私にも、精神の解放となる時間が訪れることがあります。たとえば、旅先で時間を気にすることなく気の向くままに散歩するとき。あるいはまた、趣味の作曲や音楽制作に没頭しているとき。趣味だからこそ、期限の制約なしに、思うがままに打ち込めます。
 こうした陶酔の時間をどれだけ味わえるか、どれだけの深度で経験できるか、ということが、人生の充実度を決定づけるのではないか、とさえ思います。
 「時間の流れを超越したような創造の楽しさ(p.95)を生きる瞬間に没入することに関しては、私は今まで恵まれた生き方ができた、と実感しています。
 充実した、輝くような生きている時間をどこかで持つことが、現代の日常的な管理された生き方に押し潰されないための鍵なのでしょう。


関連記事
スポンサーサイト

テーマ - 文明・文化&思想

ジャンル - 学問・文化・芸術

△page top

△page top

Secret

△page top

トラックバックURL
→http://wood248.blog.fc2.com/tb.php/129-f4960632
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

△page top

カテゴリ

全記事一覧リスト

最新記事

月別アーカイブ

コメントをどうぞ

最新コメント

最新トラックバック