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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

固定的自然観の呪縛(その2)―大陸移動説論争への影響― 

Posted on 09:03:25

 
 過去の代表的な科学論争の中には、論争の一方の陣営において、強固な信念である「固定的自然観」が大きな影響力をもっていた事例があります。前回の(その1)では、二つの事例、天動説・地動説論争への影響、生物進化論争への影響を、紹介しました。
 「固定的自然観」とは、「根拠なく、宇宙・自然を時間・空間的に不変・不動の存在と思い込む観念」です。この観念は、常識的・日常的自然観に根ざしているため、自覚しにくい暗黙の了解となっているのです。
 今回は、その固定的自然観の影響事例をもうひとつ、紹介してみようと思います。

 
大陸移動説論争への影響
 
 この論争は、20世紀前半に起こった地質学上の大論争です。単に地質学や地球物理学のみならず、古生物学や地理学や古気候学といった、関連諸分野を巻き込んだ、学問領域を横断する論争となりました。
 この論争においては、前回紹介した論争で見られたような、宗教的イデオロギーの介入はもはや見られません。しかしながら、背景に伏流する根強い自然観の対立が、この論争にも大きく作用していたことを見逃すわけにはいきません。
 A.ヴェーゲナーが『大陸と海洋の起源』において大陸移動説を提唱したのは、1915年のことでした。それ以降、約半世紀近く、この仮説は科学的学説としては認められず、批判・否定され、黙殺されてきました。
 ただ、古生物学者や地理学者や地質学者の一部には、この学説に賛同する人々も存在していたので、全く無視されていたわけではありません。およそ50年に亘って断続的に論争がなされていましたが、大陸移動説に対する批判派の勢力のほうが優勢でありました。
 ではなぜ大陸移動説は、20世紀前半には多くの支持者を得られなかったのでしょうか。よく挙げられるのが、次の二つの理由です。
 第1に、大陸移動の原動力が当時不明であったことです。第2に、決定的証拠が当時は不在であったことです。この2点がよく指摘されます(*)
 
*A.Hallam, Great Geological Controversies, 2nd ed.(New York, 1989), p.177.
あるいは、ガブリエル・ゴオー、菅谷暁訳『地質学の歴史』(みすず書房、1997年)、pp.289-290。
 
 確かに、この二つの理由はもっともであり、誤りではありません。しかし1点目については、1960年代に大陸移動説が受容される際にも、マントル対流やプルームテクトニクスが把握されていたわけではありませんでした。つまり、原動力の理解が不十分なまま、大陸移動説は受容されたのです。そのことを考慮に入れると、認められなかった第1の理由は、決定的なものではなかったと考えられます。
 また、第2点目についても、証拠が全くなかったわけではなく、ヴェーゲナー自身が複数の証拠を提示していました。たとえば、南アメリカ大陸とアフリカ大陸とがつながっていたと考えられる状況証拠として、地質構造や山脈がつながっていること、動植物分布や古生物の化石分布が対応していること、氷河時代の痕跡が一致すること、などを挙げています。
 今日の目からすれば、これらの証拠を最も合理的に説明できるのは大陸移動説であり、当時の「陸橋説」はこじつけにしか見えません。むしろ、問題とすべきなのは、これらの証拠がなぜ当時の人々に説得力を持たなかったのか、ということでしょう。
 つまり、上記の二つの理由は、大陸移動説が認められなかった理由としては不十分なのです。これらの理由は、仮説を形式的・表面的に否定する理由でしかありません。根底的かつ直観的に、この仮説を拒絶する理由があった、と私には思われます。
 その理由とは、「大陸が動くはずがない」という根強い常識的・日常的信念、すなわち「固定的自然観」が、科学的・合理的思考を妨げていたのではないか、ということです。 ヴェーゲナーが『大陸と海洋の起源』のなかで、最大の対抗学説とみなしていたのは、「海洋不変説」でした。大陸と海洋はその位置と割合をほとんど変えることはない、という学説です。そして大陸移動説への強力な批判者、反対者は、この大陸と海洋の永久不変説を大前提にしている場合が多かったのです。ところが、この「海洋不変説」は、理論的根拠こそあるものの、事実に基づく証拠があったわけではありません。疑うべからざる公理、あるいは信念に近いものでした。
 結局、この論争には、大陸移動説への支持か反対か、という表面的な対立の背後に、旧来の地質学の固定観念―固定的自然観―を有する人々と、新しい地球観―地質学的時間における大陸や海洋の大規模な変化を認める動的な自然観―を有する学者たちとの間の、自然観についての深刻な対立があったのです。
 そしてこの論争でも、前回紹介した二つの論争と同様に、常識的・日常的見方に根差した「固定的自然観」の影響力が、正当な理論の理解を遅らせ、受容を阻んできたのです。 大陸移動の原動力について、この観点から見直すと、当時はまだ地球の内部構造についての知見がほとんどなく、地殻変動・造山運動の動力因などについては科学的議論の域には達していませんでした。だからこそ、科学的には十分な根拠の伴わない自然観の対立が、学説と連動して表面化したのでしょう。どちらの自然観も、科学的には決定的な否定も肯定もできないため、信念の対立が温存され、直接学説と結びついていったと考えられます。
 また、証拠について再考してみますと、大陸移動説否定派は、大陸間の対応・一致といった状況証拠に対しては、「大陸と海洋は不変である」という理論の中核を決して疑わずに、つじつまあわせのような説明をしていました。古気候学や生物地理学や地質学上のデータが異なって解釈されたのは、解釈の背後に自然観の対立があったからこそです。「固定的自然観」の影響力を考慮に入れなければ、これらの証拠がなぜ当時の人々に説得力を持たなかったのか、ということの説明がつきません。
 したがって、20世紀前半に大陸移動説が受け入れられなかった最も根源的な理由は、「大陸が動くのは不可能だ」という信念、「固定的自然観」の影響力が強かったこと、といえます。
 
[大陸移動説の受容まで]
 
 ヴェーゲナーの死後、1950年代頃から、古地磁気学や海洋底の調査の進展によって、大陸移動説に有利な証拠が次々に集まってきました。地質年代における極の方向が地磁気化石によって推定可能となりました(たとえば、1億年前の溶岩からその場所の当時の北の方角がわかるのです)。また、海洋地殻の極端な薄さや、大西洋中央海嶺付近の熱流量の高さ、などの知見の集積とともに、海洋底拡大説が提起されました。この説は、海洋底の磁気異常の縞模様が中央海嶺を軸として左右に対称的であることや、中央海嶺から遠いほど海洋底の年代が古いという同位体年代測定による証拠によって、支持されました。海洋地殻は、中央海嶺で出現し、中央海嶺を軸として左右に拡大していたのです。
 ヴェーゲナー生前の証拠は、大陸移動したと仮定すればうまく説明がつく、というタイプの、陸上における状況証拠でした。ところが、海洋底の証拠は、まさに「海洋底が動いた」証拠なのです。ヘスによるこの海洋底拡大説とそれに関連する海洋底のデータによって、事態は急転していきました。「大陸と海洋の永久不変説」の信者の転向が相次ぎ、大陸移動説は科学的学説として再生を遂げました。大陸と海洋に関する「固定的自然観」が粉砕されたからです。
 これらの集大成として、地殻とマントル上部を含むプレートの運動理論、プレートテクトニクスが確立し、大陸移動説はその学説の枠内で整合的に説明されるようになりました。
 
考察
 
 科学の歴史の歩みにおいて、さまざまな「固定的自然観」が段階的に取り払われてきたという、ひとつの方向性を掬い取れそうです。空間的視野を拡大したり、時間的スケールを長期的に捉えたりすると、宇宙・地球・自然・生物は、かつて無自覚・無反省に考えられていたほど安定的存在ではなく、運動や変化をし続ける存在であることが、自然科学の進展に伴って理解されてきました。この歴史の流れの方向性は、注目に値すると私には思われます。
 さらに、人間の思考の無自覚な指向性として、自然を安定的な存在と思いたがる傾向がありそうだ、ということを指摘できます。この思考の傾向性はおそらく、人間の生存・適応上の必然性がありそうです。日常生活において「固定的自然観」を疑っていては、生き延びるのに差し障りがあるでしょう。しかし、自然科学における自然界の探究は、人間が生き物としてよりよく適応しようとする実利的観点を超えて、自然そのものの実相を捉えようとします。自然の探究におけるひとつの方向性、「生物としての適応からの解放」の方向性と、「固定的自然観」からの離脱は、互いに連動してきたように私には感じられます。
 実際に地球が動いていようと、生物の種が長期的に変化しようと、人間が生活していくうえで全く困りません。しかしながら、自然科学の探究の志向性の中には、生き物として生き延びるための知恵だけでなく、それとは関係なく純粋に自然そのものを知りたい、という欲求があります。この欲求は、知の探究の歴史を駆動してきた最も本源的な渇望でありましょう。
 この、「適応的観点から解放された知」への欲求と、「固定的自然観」の影響力からの離脱とは、共鳴し、並行して進行してきた歴史的過程なのではないでしょうか。
 
 (その3)に続きます。


 

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