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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

老子は武道の達人であったかもしれない 

Posted on 06:33:22

 
 これは単なる思いつきですが、『老子』の英文訳を読んでいるときにイメージされてきた人物像で、日本語訳からは想像できなかったことなので、書き記しておくことにしました。

 
 『老子』という書物は、中国の戦国時代(紀元前4世紀頃)に成立したらしいですが、その著者に関しては、曖昧模糊としているようです。
 司馬遷の『史記』(前漢の時代、紀元前97年)に、老子についての人物像が記述されているそうですが、その「老子伝」においても、1人の人物に絞りきれず、3人の候補を挙げているそうです(蜂屋邦夫訳注『老子』岩波文庫、2008年、「解説」より)
 蜂屋氏の解説によれば、いずれにせよ、老子は「世を避けて出仕しない知識人」、すなわち「隠君子」であったようです(同書、p.367)
 

 「隠君子」という人物像は、『老子』の書物の内容と実に適合しているので、納得できますし、私自身、日本語訳を読んでいた際に形成されていた「老子」の人物像も、それに近いものでした。
 ところが、戯れに『老子』の英訳本を入手して読み進めてみると、若干異なる印象を受けたのです。
 『老子』本文の内容も、日本語訳よりも生き生きとして自由闊達な訳で、情景を容易に想像できるような記述もしばしば見られました。それと連動するように、「老子」の人物像も、「隠君子」像にプラスアルファとなる要素が加味されたのでした。
 ひょっとしたら、老子は武道の達人でもあったのかもしれない。
 この印象は、次に掲げる第15章の英訳から得られたものです。いにしえの君子の描写です。
 

They were careful
as someone crossing a frozen stream in winter.
Alert as if surrounded on all sides by the enemy.

(Translated by J.H.McDonald, TAO TE CHING, Chartwell Books, 2010, p.35)
 

 自分を取り巻く環境世界に対して、鋭敏でしなやかな感受性を持っている人物。薄い氷の張った冬の川を慎重に渡るように、また、敵に囲まれているかのように感覚を研ぎ澄ませて、目に見えないタオの流れと一体化している人物。
 私はこの英訳の文章から、「老子」は単なる「隠君子」であるのみならず、何らかの武道の心得を有する人物だったのではないか、と直感したのです。自分の実体験を元に書いたのだろう、と思ったのです。
 

参考までに、日本語訳も引用しておきます。岩波文庫と、中公・世界の名著より。
「注意深いことよ、冬に川を渡るよう。慎重なことよ、四方の隣国を畏れるよう」
(蜂屋訳、前掲書、p.66)
「慎重なことは冬に川を渡ろうとしているかのようであり、注意深いことは四方から危険が起こるのを畏れるかのようであり、…」
(小川環樹責任編集『世界の名著4 老子・荘子』中央公論社、1978年、p.86、この部分は小川環樹氏の訳)

 

 私に到来したこの人物像は、もちろん想像の域を出ていません。したがって学術的には意味を成さないことがらです。しかし、この想像を梃子にして、老子の思想をより深く吟味(あるいは誤解?)できる可能性が拓かれたように、私は感じています。
 『老子』における論点の一つに、「戦争論」とでもいえるものがあります。この議論に対しても、執筆者が武道家であったと仮定して読み解くと、また異なる展望が見えてくるかもしれません。
 ここまで書いてきて、『荘子』における「真人」の描写にも、武道の達人を思わせる人物像があったのを思い出しました。老荘思想と武術とは、意外にも親密な関係であったのかもしれません。迂闊でした。
 最後に付け加えると、「思想」というものの存在意義は、第一に、人生をよりよく生きるための「肥やし」になること、にあると思います。その意味では、「武道の心得をもつ老子」というイメージからは、また異なった滋養を得られるような予感があります。
 

『老子』の英訳本の種類について
 上記の英訳本の Introduction に、現在多数の英語訳が出版されていることが書かれていました。40種を超えるそうです。さらにオンラインで、30種かそれ以上付け加わるそうです。想像力を刺激し、多様な解釈の余地がある(ありすぎる)著作だからでしょうか。
 また、これだけ普及している『老子』は、『聖書』のように全世界的な古典的書物(哲学・宗教・思想書)と位置づけられるのかもしれません。


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