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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

ラマルクの二重の分類概念の謎を解く(その1) 

Posted on 09:32:14

 
 前回の記事<1800年前後の生物分類の動向と、分類の類義語をめぐって>の続きです。
 
 ラマルクは、「分類」を表す述語として、二つの用語を使い分けていました。その二つとは、distribution と classification です。
 ラマルクにとって、最重要課題は、動物の自然分類体系の構築でした。そのテーマの根幹に関わる用語をめぐって、二重の概念規定をしているのです。
 なぜこんなことをしたのでしょうか。
 その謎を解明するための準備を、前回の記事で行いました。
 今回はいよいよ、本題に入ります。

 
ラマルクの使い分け
 
 さてここから、ラマルクの『動物哲学』(1809年)第1部第5章において、彼がどのように「分類」に対して二重の概念を設定しているのか、確認していきます。しばらくの間、あえて問題の二つの用語を日本語訳せずに、原語のまま登場させることにします。
(J.B.Lamarck, Philosophie zoolosique (Paris, 1809), 2tomes)
 では要点を整理して紹介していきます。
 第5章のタイトルは、「動物の distribution と classification の現状について」となっています。当時の同義語であったこの2語に、ラマルクは独自の概念設定を行います。彼によれば、両者は目的が大きく異なるのです。
 distribution の目的は、「参照に適した一覧表を持つこと」であり、さらに、「自然の秩序そのものを可能な限り提示するひとつの秩序を、この一覧表において手に入れること」です。その秩序(ordre)とは、「自然が動物を生み出す際にたどった秩序=順序(ordre)、自然が動物相互の間に類縁を設置することによって、たくみに特徴づけた秩序(ordre)である、と述べています。
 一方、classification の目的は、「動物の全般的系列のあちこちに引かれた分離線の助けを借りて、私たちの想像力に静止点を提供すること」です。これは「研究と認識を容易にする」手段であり、不可欠ではあるが、「人為の所産」であります。そして、分離線とは、「やむを得ず設定する分離線」なのです。それは研究者が「準拠すべきいくつかの原理を合意の上で採用しない限り、恣意的となり、その結果、不確定なものとなるであろう」と語っています。
 さらに整理しなおして要点を抜き出してみます。両者ともポイントは2点あり、対比的です。
 distribution のひとつの目的は、「一覧表の提示」ですが、この用語の語感に添って言い換えれば、<配列すること>となるでしょう。一方の classification は、それに対して<区分すること>となりましょう。
 また、distribution が自然の秩序に近づくことを目標にしているのに対し、classification は便宜的な手段であり、人為的なものだといいます。
 この対比は、一見“自然分類”と“人為分類”との関係に似ていますが、少々様子が違います。なぜなら、classification にも自然分類に近づく可能性が残されているからです。きちんとした原理を採用すれば、恣意性を減ずることができるかもしれないのです。実際にラマルクは、ジュシューの原理を採用して、分類の方式を探っていきました。
 それゆえ、“自然分類”と“人為分類”(すなわち当時の méthode と  système)はともに、ラマルクから見れば classification であったと思われます。
 “自然分類”といえども、<区切りを入れる>行為を行う以上、人為性は免れない、と感じていたのでしょう。しかし、これなくしては、研究と認識は進みません。だから「やむを得ず設定する分離線」なのです。
 そして、ラマルクにとってはどうやら、自然の秩序に少しでも近づくには、区切りの入ったものを<配列>し直す必要があったようなのです。ラマルクの視点からは、過去のほとんどの分類は、<区分>を行っただけで、それをいかに<配列>するかという重要性を認識していなかったように見えたのでしょう。それが過去の分類に対する、彼の決定的な不満点でありました。
 ここまでの分析で、ラマルクがこの二つの用語に込めた意味合いが明確になってきました。
 まとめると、classification とは<分けること>であり、人為の所産であります。distribution とは、classification の結果を<並べること>であり、これによって自然の秩序に接近する可能性が開かれます。
 
訳語の提案
 
 これを踏まえて日本語訳を検討してみますと、distribution は「分類配列」と訳し、classification は「分類区分」と訳すのがよいのではないか、と私は考えました。ただ、この訳では、自然と人為の対比のニュアンスが抜け落ちてしまいますが、訳語にそこまで要求するのは本来無理でしょう。
 
岩波文庫の小泉丹氏および山田吉彦氏共訳の訳語は、distribution が「配類」、classification が「分類」となっています。前者の訳語には苦慮した様子がうかがわれ、意を汲んだ上で訳語を造ったようです。ただ読者の立場からすると、distribution の基本的意味が「分類」であることがわかっていないと理解しづらいのではないかと思います。(ラマルク著、小泉丹・山田吉彦訳『動物哲學』岩波書店、1954年、p.100)
 また、朝日出版社、科学の名著シリーズの高橋達明氏の訳語は、distribution が「分類」、classification が「綱区分」となっています。「綱区分」とはかなりの意訳に感じますが、『動物哲学』における classification は、綱をいかに分類するかが中心的主題となっているので、これもうなずける訳語です。しかし、この訳語の場合でも、そもそもこの二つの用語が同義語であるという前提的理解がないと、誤解されやすい訳語ではありましょう。(ラマルク著、 高橋達明訳『ラマルク・動物哲学』朝日出版社、1988年、p.68)

 
ここまでのまとめと出てきた課題
 
 ラマルクは、「分類」を、<分けること>と<並べること>の二つの契機に概念を分節化しました。そして、自然の秩序に近づくには、後者が必要だと考えたのです。
 
 ではなぜラマルクは、このような分類概念の分節化を行ったのでしょうか。また、<並べること>と自然の秩序への接近が、なぜ結びつくのでしょうか。
 その必然性については、次回の(その2)で探っていくことにします。
 
(その2)に続く。


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