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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

1800年前後の生物分類の動向と、分類の類義語をめぐって 

Posted on 07:04:49

 
 フランスの生物学者、ラマルクの研究に、私はしばらくの間、携わってきました。進化論の先駆者として知られる学者ですが、ラマルク本人は、自らを「分類学者」と考えていたと思われます(この点に関しては、ブログ記事<ラマルクの分類と進化学説における「秩序」と「順序」>をご覧ください)
 ラマルクの最重要課題は、動物の自然分類体系の構築でした。そして、彼は、「分類」に相当する用語を2種類使っています。それも、異なる意味合いを持たせて使い分けているのです。なぜこんなことをしたのでしょうか。
 この謎を私は解明しようと追究し、ある程度納得のいく解答が得られました。
 その解答をブログに記しておこうと思うのですが、読んで理解してもらうためには、それなりの準備が必要です。今回は、その謎の解明に向けての準備編です。

 
 ラマルクは、主著『動物哲学』(1809年)の第1部において、「分類」に相当する用語を2種類提示して、使い分けています。その二つとは、distribution と classification です。この二つの用語は、当時、ほぼ同義語として用いられていました。
 ラマルクはこの二つの用語の概念規定を行い、対比的に使い続けています。つまり、分類に対して二重構造を設定しているのです。
 この問題は、ラマルクの中心テーマである分類に対し、彼がどんな構想やイメージを抱いていたのかをうかがい知る絶好の題材だ、と私は直感しました。この二重の分類概念には、その時代の制約条件が反映されているようです。さらに、ラマルク自らの生命観が凝縮して込められているようにも思われました。
 ここで、ラマルクの概念の分析に入る前に、分類をめぐる時代動向を簡単に確認しておきます。
 
分類をめぐる当時の動向
 
 パリの王立植物園が、自然史博物館へと改組されたのが、1793年のことでした。その年にラマルクは、中心となる研究分野を植物学から動物学へと転換しています。そして主に1800年以降、動物の自然誌に関する重要な著作を次々と著わしていきます。
 この1800年前後の時代は、植物学においても動物学においても、分類の大きな準拠枠ができつつあった時期でした。
 植物学では、18世紀後半は、のちに「人為分類から自然分類へ」と評された時代でした。リンネの研究を引き継ぎ、アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシューが自然分類を確立したのが、1789年の『植物属誌』です。彼はその著作で、「形質順位の法則」という分類のための原理を提案しています。それは、ひとつの器官または形質にのみ基づいて分類するのではなく、いくつかの形質(子葉、花弁、子房など)を考慮に入れ、なおかつ、自然の類縁性を反映するように、それらの間に重要性の順位をつけて分類していく、というものです。
(リンネとジュシューの分類については、ブログ記事<リンネはなぜ、植物の分類基準として「雄しべ」を選んだのか?><リンネの植物分類の後始末―ジュシューの自然分類―>をご覧ください)
 植物の自然分類は、この原理が確立して初めて成立しました。つまり、「人為分類から自然分類へ」の移行は、分類基準・分類原理をどうするかという方法論的研究の進展と、足並みをそろえていたのです。
 一方動物学では、1790年から1830年にかけてのフランスにおいて、近代動物分類学の枠組ができていきました。とりわけこの分野の開拓に貢献したのが、キュヴィエとラマルクです。
 ここで注目すべきことは、この二人とも、ジュシューの分類原理を動物分類にも援用しようとしたことです。さらに、両者とも分類の方法論的問題にこだわりをもち、独自の分類理論を構想していたことです。このことは、ひとつの分野の枠組が形成されつつあるときに、必然的に要請される事柄でしょう。
 ラマルクの二重の分類概念は、その独自性の現れのひとつといえます。これは、動物分類の枠組が整備されていく途上の過渡期に出現した、きわめて興味深い事例でしょう。
 
当時の研究者の用語法
―分類の類義語―
 
 ところで、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、当時の研究者が使用していた「分類」という意味を表す類義語が、フランス語にはいくつかありました。その主なものは次の四つです。
(『ラルース仏語大辞典』と『ロベール仏語大辞典』で確認)
 
 ① système  ② méthode 
 ③ distribution  ④ classification
 
 ①と②については、「分類」を表す場合には、かなり強く、ずれた意味合いが付け加わっています。①は分類「体系」というニュアンスをもち、②は分類「方法」というニュアンスをもちます。それに加えて、①は“人為分類”的分類を表現する用語として、②は“自然分類”的分類を表現する用語として使用された形跡があります。
 ①はリンネの分類や、リンネ以前の分類に対して使用されることが多かったようです。それとは逆に、②を自然分類に相当する分類として用いていたのは、ジュシューの用語法からわかります。彼の原理を引き継いだキュヴィエとラマルクの表現の仕方からも確認できます。“自然”分類を強調する場合、当時は méthode naturelle と言い表すのが普通だったようです。
 ③の distribution は当時、「分類」を表す同義語として、④と同様に使われていたようです(もちろん「分配」の意味でも使われましたが、「分類」の意味でも使われていたということです)。
 現在、生物学用語としては、distribution は生態学で言う地理的「分布」の意味で使われ、「分類」の意味では通常は使われません。しかし、16世紀の中葉から19世紀に至るまで、distribution は「分類」を表す一般的な用語として使われていたのでした。
 ラマルクの同時代に関してみると、キュヴィエは1817年の『動物界』で「分類」を表すのに一貫して distribution を用いています。しかしながら、フランスでその時代に統一的に distribution が用いられていたわけではありません。その1年後、1818年に著わされたジョフロア・サンティレールの『解剖哲学』では、基本的に classification が使用されています。
 ではその④の classification ですが、『ラルース仏語大辞典』によると、フランス語での初出の例は1752年だそうです。すると、この語は分類学の枠組ができつつあった時代の流れと並行して使用されるようになっていったのでしょう。こちらのほうが、 distribution よりもずっと新しく誕生した用語なのです。
 このように、分類学が成立しつつあった時代において、方法論が並行して成立していったのみならず、さまざまな用語法の試みが起こっていたのでした。後の時代には classification に統一されていきますが、この分類の揺籃期においてはまだ、共通了解を確立した用語にはなっていなかったようです。
 けれども、だからといって、一人の研究者がひとつの著作のなかで、自分の分類に対して二段構えで概念設定する必要性はないでしょう。たとえばキュヴィエの『動物界』のように、distribution で通してしまってもよいはずです。
 なぜそうしなかったのでしょうか。それが問題なのです。
 
 ここまでで、ラマルクの分類概念の謎の解明に向けての準備は終了です。
 次回、本題に入ります。


 


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