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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

音楽と科学における創作と発見 

Posted on 18:08:23

 
 メロディーラインが思い浮かびます。
 その際、和声進行も付随して浮かんでくるのが通例ですが、その和声を敢えて無視します。そして、口笛を吹いたり、フルートで旋律のみを演奏したりすると、また違った可能性が見えてきます。

 
 その旋律に対して、他の和声進行を組み合わせることもできます。また、対位法的に、もうひとつの旋律を絡ませられそうだ、と感じることもあります。あるいは、さまざまな異なる伴奏パターンが思い浮かんだりします。さらに、メロディー自体にさまざまな修飾を施したくなります。
 こうしたことを積み重ねていくと、変奏曲ができてきます。あるいは、ひとつの楽章を構成するさまざまな要素がそろってきます。
 上に記した試行錯誤は、私が作曲を行う際にしばしば行う作業です。この過程は、一般的には「創作」の過程とみなされるでしょうが、私の感覚では、それとともに、「発見」の過程でもある、と思うのです。
 一本の単純なメロディーラインの中に、潜在的に胚胎されていた可能性を見出す、ということです。こんな和音をつけられたのか。こんな対旋律が隠れていたのか。このメロディーはこんな形にまで変貌を遂げるのか。
 作曲者本人が思いもよらないものが、どこからともなく出現してくるのです。これは、「創作」であると同時に、「発見」である、と感じます。
 バッハやモーツァルトやベートーヴェンらは、変奏曲の名手でした。彼らもおそらく、単純な旋律に底知れない可能性を見出し、その井戸から汲み上げたものを形にしていったのでしょう。カオス状態で潜在している未分化な胚種を見つけて、さまざまな異なる形に仕上げていく作業。その代表的な産物が、≪ゴルトベルク変奏曲≫であり、≪泉のほとりで≫であり、≪ディアベッリ変奏曲≫でありました。
 作曲には、「創作」かつ「発見」という側面があることは確かなように思われます。
 
 ところで、自然科学の分野では、新たな科学理論は、一般的には「発見」される、と語られます。すでにこの自然界の中に存在していて、未だに形式として表現されなかった規則性が見出され、新たな法則が「発見」された、というわけです。
 たとえば、ニュートンの万有引力の法則は、ニュートンが発見する以前から、この宇宙を統御していた自然界の秩序である、と考えられ、すでに存在していたその規則性を、ニュートンが「発見」して形式化した、と一般には理解されています。
 しかし、ニュートンの法則は、世界を物質系として捉え、3次元空間と時間軸の枠組の中で世界が動いている、という世界観と不可分のものです。そして、その世界観は、正しいとか誤っているといった判断を下せるような類のものではなく、ニュートンの時代の近代西欧の知識人の一部に、歴史的に形成されてきた世界のひとつの見方です。
(科学における世界観は、その後の科学史の展開においてどれだけ新たな知見を産出するのに有効であったか、という基準で事後的に評価することは可能ですが、それ自体の正しさを判断する上位の基準は存在しません)
 そして、法則と不可分の世界観には、個人や一群の人々によって「創作」された、という面もあると思います。
 たとえば、ケプラーの『宇宙の調和』(1619年)を読んでみると、全体としてはケプラーの宇宙観と音楽観の表明になっています。宇宙には、音楽の和声的調和と同様な調和的秩序が存在する、というのがケプラーの信念でした。彼の独自な世界観は、ケプラー本人がどう考えていたかは別にして、「創作」されたひとつの作品のように私には映ります。宇宙や音楽をどう捉えるか、というのは、個人の主観的要素が強く、芸術作品の「創作」と相通じる側面があります。その世界観の海に浮かぶように、ケプラーの調和則(第三法則)は手短に記述されています。ケプラーの創造的作品の中に、法則が宿っていた、という印象です。
 あるいはまた、ラマルクの『動物哲学』(1809年)には、先駆的な進化学説が書かれていますが、書物全体としては、ラマルクの生命観や分類観の表明、といった色彩が濃厚です。種は実在しない、分類とは綱を区分することと配列することがともに重要である、分類は自然の秩序を反映すべきで、自然の秩序とは生物が出現してきた時間的順序のことである、といったラマルク独自の思想が、随所に滲み出ている書物です。この著作からも、ケプラーの場合と同様、ラマルクの創造的作品の中に、学説が宿っていた、という印象を受けます。
 新たな学説が登場する場合、往々にして、それ以前とは異なる世界観を伴って立ち現れます。その新たな世界観は、ひとつの芸術作品のように、「創作」された産物と見ることができます。もちろん、自然科学の世界観の場合、それから導出される理論や事実が検証や反証に耐えなければならないという条件が付随しますが。
 ひとつの芸術作品も、過去のその分野の歴史的系譜や、社会情勢や思想潮流などの影響のもと、形成されます。科学における新たな世界観も同様に、歴史的・社会的・思想的影響のもと、ある形が析出してくるものです。そして、その上に、それらをすべて呑み込んで消化した一個人の個性が作用して、芸術作品や世界観が形成されるわけです。
 そうした意味合いを含めて、芸術作品が「創作」であるならば、一科学者が構想した世界観も「創作」といえるのではないでしょうか。
 したがって、新たな世界観と不可分に出現してくる新理論は、「発見」であると同時に、「創作」でもある、といえるでしょう。パラダイムの転換には、新しい世界の切り取り方を創案する、という側面があります。「創作」された世界観と整合的な理論や事実が、新パラダイムの確立の後、「発見」されてくる、という順序となるでしょう。
 
 音楽を作曲する過程にも、新しい科学理論の出現にも、「発見」と「創作」の両面がある、というのが、私の見解です。
 音楽にも自然科学にも、宇宙や自然や生命を探究し、それを表現しようとする志向性が宿っています。その共通する志向性が発現されるとき、双方の分野で「創造的発見」がなされるのです。


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