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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

2011.3.11以降、研究者として考えたこと(2) 

Posted on 12:02:33

 東日本大震災と、福島原発事故を受けて、私なりに、今後の学問のあり方を考えてきました。
 

 今、学問はどうあるべきか(1)では、
 

§1.対象世界の変貌 において、
 学問の探究対象である世界が変貌したこと、現代の問題群が顕在化したこと、学問分野はこれらの衝撃を真摯に受け止めるべきだということ、を指摘しました。
 
§2.学問分野の枠組・前提の見直し においては、
 今、学問に要請されている喫緊の課題は、<各分野が暗黙のうちに仮定している考え方や、前提となる公理・価値観を洗い出し、再検討すること>である、と提起しました。
 
 学問の対象世界が変貌し、問題群が顕在化した現在、従来の枠組・価値観のままでよいのか、自覚的反省が迫られているのではないでしょうか。
 

 その続きの文章を、以下に掲載します。
 
 興味ある方はどうぞご覧下さい。


 今、学問はどうあるべきか(2) 

 ―2011.3.11 が研究者に突きつけたこと― 

 
§3.西洋近代の価値観の再検討
 

 日本は明治維新以来、さらには第2次大戦以降、欧米の近代文明をセットで導入してきた。科学技術や政治・経済システム、教育制度など、広い領域で、西欧先進国の文化的体系を吸収・模倣してきた。
 もともと日本にも対応物はあったのだが、歴史的な諸事情のため、西洋型のシステムが優先的に日本の社会に導入されてきた。
 だが、本来、これらの文化的体系や方法は、西洋近代の価値観や世界観と不可分に結びついているものである。必ずしも日本の伝統的価値観とは相容れない西洋の思考様式もあるにもかかわらず、表層的に西洋の文物を導入してきた、という側面があったことは否定できない。
 それゆえ、西洋の近代文化は、日本においてはどこか実感の伴わない、しっくり来ない飾り物、と受け取られる傾向もあった。クラシック音楽に対する距離感や、論理的議論に対する忌避感は、それらの文化の背後にある価値観と日本人が切り離されているために生じる違和感なのであろう。
 西洋の近代文明がいくつかの面で行き詰まりを見せている現代において、そして、その文明をセットで心ならずも吸収してしまった日本において、まさに、西洋近代の価値観を根源的に問い直すときが来ている、と思われる。
 原発事故は、西洋近代文明の限界を象徴的に提示した事件であると同時に、日本人の持つ価値観・世界観や社会のあり方と近代科学技術の世界観との不整合・軋轢を顕在化させた事件でもあったといえる。
 日本という国のもつ、地理的・歴史的立ち位置の特殊性を考慮すると、日本においてさまざまな分野で西洋近代文明の問い直しを行うことは、複層的な意味をもつことになるであろう。
 まず、戦後や明治以来の近代化路線の歴史への批判的再検討に通じる面がある。一方、17世紀以降の西洋近代文明をめぐって、欧米人には自覚しにくい内容や、表現を躊躇する事柄に対して、異なる視座・価値観から日本人が指摘できる、という面もある。
 たとえば、科学史を少々研究すれば、科学技術の持つ自然への支配の傾向性と、西洋諸国による植民地支配とが、同型的構造を持ち、同じ世界観を根に持つ兄弟であることは、すぐに気付くことなのだが、欧米の研究者たちはこのことを明瞭には語りたがらない。
 西洋近代の批判的吟味は、日本の過去の理解のために資するだけでなく、世界の近代化の図柄を再構成し、今後の世界の方向性を望見することにも貢献しうるのである。
 したがって、学問各分野における枠組や前提の見直しの一環として、西洋近代の価値観の再検討は重要な意義をもつものとなろう。

 
§4.研究者の在り方
 

 以上のような状況を踏まえると、今後、研究者はどんな事柄を研究対象にすべきか、研究にどんな意味を持たせるか、といった問いに対する方向性が、おのずと見えてくる。
 現在、各分野の研究者に要請されている喫緊の重要課題は、各分野の細部に至る知見の積み重ねなどではなく、むしろ、その学問分野の大局的動向や位置づけを再検討し、他の研究領域や社会との関連性を再確認することであろう。そのためには、その分野の枠組や前提となる価値観の見直しは欠かせない。
 研究者には悪癖があり、筆者も陥りがちな罠なのだが、研究が、学問のための学問、あるいは批判のための批判、といった自己目的化した閉じた領域内のものになってしまうことがある。本人は無自覚かもしれないが、自己の有能性を見せつけるためのような学会発表を目にしたこともある。
 このような、あまり生産的でない目標のための研究は、最小限にとどめておき、自分の研究が周りの世界とどうつながるのか、関連性を自覚した上で、その領域外の人にも意義が理解してもらえるような研究をしたいものである。
 そのためにも、その分野の暗黙の枠組や前提となる価値観の洗い直しは必須であろう。
 学問の在り方を変えるには、研究者の在り方が変わらなくてはならない。
 そして、意欲ある研究者であるならば、各自の研究分野の今後の在り方はどうあるべきなのか、ヴィジョンを描いてみることに使命を感じるのではなかろうか。


「2011.3.11以降、研究者として考えたこと」 終わり。

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テーマ - 文明・文化&思想

ジャンル - 学問・文化・芸術

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