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作曲と思索の愉しみ

オーケストラ作品の作曲・制作過程や、科学史と音楽史の研究にかかわる記録です。 森さちやの自作曲の公開も行います。 曲と思索を分かち合いたい。

古典派風の楽曲を創作する意味―自然な逸脱― 

Posted on 08:59:17

 
 最近、新録音版の演奏の公開を続けていますが、そのうち、<アシカのメヌエット><白鷺の舞>は、モーツァルトやハイドンを見倣って作曲した、古典派風の作品です。
 それら以外でも、古典派風の管弦楽曲を何曲か作っています。私はなぜ、懐古趣味のような、あるいは時代錯誤的な作品を作ってみたくなるのか、ここで自己分析してみます。

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テーマ - 作詞・作曲

ジャンル - 音楽

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「骨格のみの文」に、和声や伴奏をつける 

Posted on 06:59:40

 
 メールでの短い事務的な文章では、最低限の意味は伝わるものの、書き手の感情の動きや相手に対する距離感といった、細やかなニュアンスは伝わりにくいものです。
 その同じ文面を、肉声で現実に対面する相手に語りかけるなら、文字情報以外のさまざまな事柄も同時に伝達されるでしょう。喜んでいるのか、悲しんでいるのか、相手に対して心理的な救いを求めているのか、何かを期待しているのか、そういったことまでなんとなく感じ取れるものです。
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テーマ - 文明・文化&思想

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相対音感と絶対音感とのモードチェンジ 

Posted on 09:50:35

 
 「絶対音感」という能力のデメリットに焦点を当てて書かれた論考を読みました。
 
 「標準ピッチと絶対音感」(西原稔・安生健『アインシュタインとヴァイオリン―音楽の中の科学―』ヤマハミュージックメディア、2014年、第3部第3章)
 
 この章の後半は、安生健氏が執筆しています。この論考からは、いくつか得るものがありました。特に、①「固定音感」としての絶対音感は、害多くして益少ないこと、②絶対音感の習得は、幼少期の頃の母国語の習得と似ていること、この二つの論点に関して、私は実に納得できました。
 ここでは、その安生氏の知見を出発点として、私がさらにめぐらせた考察を、記録しておこうと思います。

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ジャンル - 音楽

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自分が作りたい曲ではなく、自分が聴きたい曲を作る 

Posted on 06:27:51

 
 半年ほど前から、私は、作曲と音楽制作に関して、休眠状態に入っていました。
 やや行き詰っていたのだと思います。
 けれども、このひと月ほどの間に、2つのきっかけが重なって、作曲を再開しようと思い立ちました。
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テーマ - 作曲・編曲・アレンジ

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作曲・音楽制作における心身相関について 

Posted on 15:56:24

 
 以前、「逆境を楽しむ」というテーマで、ブログ記事を書きました。
 その頃以前から、ふた月以上、体調があまりよくない状態が続いています。
 それには複合的要因がありそうなのですが、そのうちの無視できない要因のひとつとして、断続的に行ってきた、<地下の迷宮>の音楽制作がありそうだと見当をつけています。
 音楽活動は、心身に確実に影響を及ぼす、と感じています。
 このことについて、私見を述べておきます。

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テーマ - 芸術・心・癒し

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